南無煩悩大菩薩

今日是好日也

共通する姿態。

2012-01-12 | 意匠芸術美術音楽
(Artist/Ju Duoqi)

白魚のような手だな、というたとえを頭の中でつぶやくことはあったけれど、これからは白菜のような人だな、とつぶやいてしまうかもしれない。

こまった。これからしばらく白菜をみてニヤニヤしてしまうかもしれない。

知らなければ、なにも感じないが、知ってしまったが為に余計な想念を引き起こしてしまう事もある。

ただ、一つの新しい見方を開発してくれる事は確かだ。

新たな思考を(嗜好ではありません)与えてくれることに出逢える幸運、そういう意味においてもこの白菜は間違いなく芸術品だ。

しかし自然界にあるものは、どれもなんと芸術性を帯びている事かと思う。

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後々まで残す。

2012-01-11 | つれづれの風景。

その行く末を慮り、適度な盛土をして木を植え、成長と共にその土を徐々に取り除いていくと、このような立派な表根の松が出来上がる。

昔の人はなんとも、遠大かつ壮大、繊細かつ風流なことを発想し具体策に取り組んだものだ。

もちろん初代は、自分の眼で完成を観ることもない、何代もの後世に託すことになる。

松の生長は一人の人間の一生をはるかにしのぐ時間を要するが、しかしこの松のように、初代からの風雅の心意気は、大地にしっかりと根をおろしている。
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旅の空から。

2012-01-10 | つれづれの風景。

日本海側の海岸線の風景は、太平洋側の海岸線の印象とは何かが違うように感じます。

パースペクティブ、色彩、空、浪の気質、それらの合わさった匂いのようなもの。

風土というものが人に与える影響は、ある種の霊的なものの捉え方や表現方法の違いとなって現れてくるような気もします。

肌を刺すような寒風とあいまって、このような暖色の拡がる海岸線は、生まれ育った太平洋岸で私は見たことがなかった。

風土を見て感じて、そこにある魂のようなものに想いを馳せるということはとても大事だと思います。

地元でも昨日は成人式でした。

若者たちよ、旅をし、見聞を広め、己の霊的なものをはぐくみそだてよ。
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無題。

2012-01-07 | 意匠芸術美術音楽

ニューメキシコのプエブロ(村)では、インディアンたちがいまも美しい陶器や敷物を作っている。
彼らにとって、芸術は毎日の生活の一部になっている。
プエブロそのものが一種の陶芸作品といってもいい。
我々の場合、いまのところ芸術とはたった一人で作り出すものである。我々の社会では、絵を描かない者は画家とは名乗れない。天与の才はごく一部の人にしか授からないものである。
ところが、古代のインディアン部族においては、天分は全ての人に与えられるごくありふれたものだった。それは当たり前の日常だった。
人々は全て、自分の力に応じて自分の人生を生き、表現した。人はその存在全てにおいて霊的な存在であり、天才であり、一人の芸術家だった。
それ以外にも、彼らは作物を育て、衣服をととのえ、自分たちの知識にしたがって物質的欲求を満たした。
我々にとって貴重なのは、一種の霊的な幸福、日々の暮らしを大切にする暖かい心、仕事に愛を持って取り組む態度である。
彼らにとって、仕事は自分たちの幸せの証なのだ。-ロバート・ヘンライ「アート・スピリット」より-
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鏡餅。

2012-01-03 | 日日是好日。

橙、代々、千載万歳、辰の年。





吉祥あらせ給えや、内なる珠玉、龍を呼び宝玉とならんことを。
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