南無煩悩大菩薩

今日是好日也

表現の不易流行。

2012-01-17 | 世界の写窓から
(source/LIFE)

電車の運転手がいちいち信号を指差し確認するのは、それなりのわけがある。

パブロフの犬ではないが、条件反射による誤認を防ぐ為だ。

人間の脳細胞は線で繋がれているわけではなく、電波に近いような物質によって接続されるというから、見たものを違った記憶野や視覚野と繋いでしまうことだってあるのだろう。

むしろそれは、願いに近いものに優先されることだってあるはずだ。

つまり人の精神は常に安定しているとは限らないということを前提としている。

それとこれに誤謬なくおこなう事と、かたや絵画などにおいても、その通り描くとろくな絵にならなかったりもする。

人はある場面においては現実認識に縛られ、ある場面では自由でアーティスティックさを求められる事もある。

なんともしかし、悩ましい生き物だ。
コメント
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