南無煩悩大菩薩

今日是好日也

平等と差別。

2005-05-20 | 日日是好日。

人は差別される事を好むか?好まないか?。

平等に差別することは好むが 差別的な平等は好まないらしい。

なぜなら。


平等を心がけようとするときの出発点は 差別をなくす事だから。

つまり。


差別というものが念頭にない人には 平等の概念も必要ないでしょう。

ということは。


差別を感じているからこそ 平等というものへの志向が生まれる。

平等の概念があるからこそ 忌み嫌う差別と歓迎する差別を 差別してしまう。


平等も差別も認識としての 出所は同じ。

ということ。


になりませんか?


平等感。差別感。 に認識の違いがあれば 平等と差別は逆転する。


平等概念のない人が差別を認識する事が困難なように。
故意に差別的な言動を行える人は、平等概念があって初めて それを故意に壊せるのだ。


分母と分子の話でもないらしい。


不公平と公平というのは これまた別物。
同じ土俵の話ではないので。


人は受け取る 不平等感に対しては 怒りを覚えるが。
人に与える 不平等感に対しては 自己完結型平等感 を覚えるものらしい。


それは 差別でござるよ。
それは 平等ではござらぬか。

このあたりの 同じ事ながらも違うこと。
をどのように 差配するのか。

ということが 人の世の一つの処方箋。


差別なきところに平等なし。
平等なきところに差別なし。


まぁまぁ。みんな平等だと思いますわ。
コメント (2)
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