南無煩悩大菩薩

今日是好日也

ものごと。ということ。

2005-05-30 | 日日是好日。

我々が接するものごと。には実体経験をするものと 仮想体験をするものとがある。


情報と言うものは、どちらからでも受け入れる事は可能です。


現在の新聞一日分は、18世紀の英国人貴族が生涯に接する情報より多いらしい。

 
しかし。生身の人間としての現実的実感。というものはどうなんでしょう。

私は18世紀の英国人ではないので わかりゃしませんが ものごとの実体験を剥き身の体で受け取っている。という実感においては 私たちのほうが希薄ではあるまいか?と思います。


生きる為の智恵。というものがあるとしたら それは実感した ものごとから生まれるしかないようにも思えます。


非現実的。仮想体験的。に物事に接すると 私たちはついつい批判的。評論家的。な立場を取るようです。

大量の情報に接する為 切り捨ててしまって しまった 大事な事があるかもしれまへん。



生きる為の智恵。や ものごと。 ということが非常に複雑になったんだろうなぁ。

ともいえそうです。


仮想的な現実から 実際的な現実に対処する方法を学ぶ。
ということは 危険な行為にもみえます。


現場・現実・現状。 何を持って底に起こっている ものごと。とみなそうか?


物事に対して 魂の入った。 状態とはそういうことのような気がします。

つまりそういうふうにもおもえる。こういうふうにもおもえる。実体験はこうだ。
しかるに。わたしはこれで生きていこうと・・・・。


・・・・。



あのひと成仏しはったなぁ。

なんでですの?


肝硬変なるとわかっていながら大酒飽きずに飲んで。
あんた死にまっせ。ゆうて大きく書かれたたばこ 平気で何箱もプカプカやって。
誰も喜ばん駄洒落言うては 勝手に悦に入って。
嫌われてるのわからんと わしはみんなに好かれて幸せやぁ。てなもんで。


・・・わからんでぇ。魂入ってたかどうか。

なんででっか?


ものごと。に対して考え方。むちゃくちゃでしたしなぁ。

・・・・・。



どっちが幸せなんでっしゃろな。

ものごとへの我田引水。ものごとへの優柔無碍。





人それぞれ。
成仏入魂。
南無煩悩大菩薩。
コメント (2)
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