南無煩悩大菩薩

今日是好日也

符牒。

2005-05-12 | 日日是好日。

山! といえば 川!

この符牒を用いたのは 確か赤穂浪士四拾七士の皆さん。

我々は様々な符牒を用いる。

赤は危険。黄色は注意。青は大丈夫。といった色の符牒。

Pは駐車場。  は温泉。 SMはサドマゾ博士。 69は合体の形。 はダメよ。 Hなわたし。

・・は 金おくれ。 なのか オーケー なのだろうか。
・・・・は 男が欲しい。 のか グッド なのだろうか。
・・もしかしたら・・ヒッチハイクなのだろうか。

もとい。


色や形や音や言葉における符牒と 逆に ある対象物に自らの考えを投影した符牒がある。

つまり 一般的に理解される符牒と 自分で用いる符牒とがある。

問題は 後者

血液型や人相や体格のようなものを 符牒として信じると 人生不調になります。


神様も キリスト教ではゴッド。ユダヤ教ではエホバ。マホメット教ではアッラー。浄土教ではアミダ仏。真言宗ではビルシャナ仏。華厳宗ではシンニョ。天台宗ではミョウホウ。等等の符牒を用いる。


符牒が指針となる?
指針が符牒を産む?


・・・・。



例えば 私にとって成功というものを表す符牒はなんだ?
金を持つ事?
贅沢をする事?
人に認められる事?
自分らしい事?
失敗しない事?
・・・・えーと。せと。ら。
誰しも符牒がついている。


・・・金や 土地や 物や 愛や 待遇や。 人はよく その符牒の所有の権利について争う。

私のものだ。 あの人には負けたくない。 私であるべきだ。 云々といって。


・・・・・・。


西側の人々と 東側の人々が 一匹の 猫 をめぐって対立していました。

猫 とはなんぞや?

金や 土地や 物や 愛や 待遇 などの符牒が 猫。

南泉和尚さんは その猫を掴みあげて 斬り殺してしまいました。

猫 がいなくなってしまったので 東西両側の人々は 対立する理由もなくなりました。


・・・・・。


猫に罪はありません。

あるのは 自分がつけた符牒を捨てきれないこと。


食べ物で兄弟喧嘩をしている場合。 もったいないと思わずに 食べ物そのものを捨ててみる。

ドロドロの▲関係になった場合。 もったいないと思わずに 問題そのものを捨ててみる。

そこに あるから 囚われるものも多い。


なぁーんだ。 そんなことか! 何やってたんだろうわたし。

と思える確率は高い。


斬られる 猫 もきっと救われるだろう。


悪性の執着にならないように。
符牒の在り処を消してみよう。


自分勝手に符牒をつけると。
相手勝手に符牒をつけられている。


捨ててみて浮かぶ瀬もある不如帰。
南無煩悩大菩薩。
コメント (2)
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