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南無煩悩大菩薩

今日是好日也

飯か酒か

2020-10-27 | 酔唄抄。

(photo/source)

「そりやそうや、そうや、旦那の言う通りや、誰が銭持ってたら、空き腹に酒なんかあおるもんか、米の飯(めし)がほんまに恋しゅうてならんわ

昨日も飯食うたんやあらしまへん、観照寺で接待あるゆうよってに、伊原つれて出かけたら、それが、うどんの接待だす、伊原にお前わいに半分残しとけゆうたのに、あの狸め、ちょっとも余さんと食うてしまいよる

なア旦那、大体伊原に、観照寺で接待あるよってに行こかゆうて誘うたのはわいだっせ、知らんといたらうどん一筋も口に入らんとこや、なア、そやのに、恩知らずめが、どうだす、礼儀の知らんこと、後輩の癖にわいより先にお汁をかけて、ちょっと残しといてと頼んどいたのに、どんぶり鉢のはしも噛る位綺麗に食うてしまいやがんね

それからとゆうものは、まる二日、仕事もないし!」


「わいは、何のはなししてたんやったかいな、――そやそや、旦那は酒飲む金で飯食えと説教してくれはったんやったな、どうも、おおきに」

「そやけど、ほんまのことをゆうとやな」と、語り出した。

――彼らはどんなに空き腹を抱えていても、人に飯を食わせてくれ、とは云えないのであった。何故ならば、誰も彼も自分だけが食うのが精一杯で余裕は更にないので、しかも頼まれたら、すぐに足りないものも半分は分けてやらねばならず、

だから、そんな人の予定を狂わし迷惑かけるような依頼心を起すのは道徳的ではないと、されている。そして、もしも誰かが景気よくて、すっかり気が大きくなり、おい、酒のませたろかと誘われた時にも「酒の代りに飯をおごってくれ」とは言えないものだ、とおっさんはしみじみ述懐した。

それは一つには、虚栄心もあったし、また折角相手が酒で愉快になっている気分をぶち壊すに忍びないからであった。だから、今夜のように酒だけで腹をこしらえている時もある!ーー


「兄貴、酒おごらんか、は言えます、そやけど、言えまっか、めし一杯頼むとは」と彼が云えば、夜更けの酔っ払いたちは口々に、

「そうは云えん、云えんもんじゃ」

ー 引用参照/武田麟太郎「釜ヶ崎」より

Le Phare - Yann Tiersen

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密やかな聚楽

2020-10-24 | 酔唄抄。

(photo/Alfred Eisenstaedt)

酔っ払いの翌朝はとなるといつもの反省と侮改の性根衰弱状態のなかで「なぜ早く切り上げなかったんだろう」と後悔するが常であるにしても、

その「無駄で」「さしたる意味もない」「記憶にも定かでない」呑んでいる時間のなかに、そのときだけは自分は自由だと、なににも縛られずに自分の好きなことをやってるんだと、そういう安心感を得ていることは決して否めないのである。

だとしたらそれは質的には無駄じゃないはずではありえる。ただ、そんなことを他者との遣り取りの中に言うべきことではないことも重々承知の上であるにしても。

Silence is Golden

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ありがとう、鈴木さん。

2020-09-07 | 酔唄抄。

(photo/季刊25時Vol.3spring 2014 より)

‘ええ酒飲みになってきたきね。’

また聞きでもそう言ってもらったとおぼしき折、実はかなり嬉しかったです。直接言われるよりもずっと。

花まだ根付けぬ折よりやがて咲く土を肥やしつづけてきましたね。孤高に折れずのその心中や如何ばかりであったでしょう。

今朝聞きました、ご他界の事。

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左様なら、司朗さん。

2020-08-03 | 酔唄抄。

2020年7月30日午前、司朗さんは逝った。

2011年12月14日に、司朗さんが私に差し出した紙切れにはこう記されてある。

「 命終の時にのぞんで 心転動せず 心錯乱せず 心失念せず あたかも禅定に入るがごとく 」

酒の恩師であり道の導師であり、なによりも若輩に対しこれほど肝胆照らしてくれた方はおらんのであります。

その昔、ある賢人は言いました、語り得ぬことにおいて、人は寡黙になるべし、まさしくその心境です。

数えきれない想い出ありがとうございました。

 

「 千里鶯啼いて緑紅に映ず 水村山郭酒旗の風 南朝四百八十寺 多少の楼台 煙雨の中 」-江南の春 杜牧

「 春宵一刻値千金 花に清香有り月に陰有り 花管楼台声細細 鞦韆院落夜沈沈 」-春夜 蘇軾

 

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顔無の系譜。

2020-06-22 | 酔唄抄。
(Netsuke of a Woman/source)

酒飲みの話によると、一番うまい酒はコップから受け皿にあふれた「こぼれ酒」だそうだ。

今の私の人生はその「こぼれ酒」のようなものである。

ー小野田寛郎 当時77歳

Kashiwa Daisuke - travel around stars
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手段と目的

2020-06-20 | 酔唄抄。

painting/Beryl Cook OBE)

ある立派な人が、政治の世界で自分の目的を成し遂げるために金を配るという「手段」をしたのと、どうしようもない人が、政治家という地位を手に入れるのを「目的」として金を配ったのと、表面上はわかりません。

でも本人にしかわからないながら、手段が目的となった時点で、本来の面目はもう捨て去っているということに我々は注意する必要があります。

たとえば、明治維新のころ1人一票、多数決の民主主義が行われていたらどうでしょう。鎖国下で生きてきた人民は国の行く末などの目的なく、ただ手段を行使しただけに終わったかもしれません。

行われなかったのは、行われない理由があったとみるべきでしょう。

ただ、目的のない手段として酒を呑むのは、人知はいいすぎにしても我見を超えた目的かも知れないのであります。

Technopolis YMO / Dance Perfume  YMO テクノポリス / パフューム

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Post Nighthawks

2020-05-20 | 酔唄抄。
(gif/source)

誰もいないじゃないか。

画像は、エドワード・ホッパーの1942年の絵画「Nighthawks」のパロディ。

ホッパーの当時は工業化の幕開けであり大量生産へと突き進んでいた。量産された家電や電灯は家庭生活を明るくするだけでなく、夜の街も変えた。以来、繁華街の食堂や酒場は深夜営業が増え、ナイトホークス(夜更かし)たちのたまり場となった。

2020年今現在、夜更かしたちは行くところが無くなっている。賑やかな都会の片隅にある魂の孤独、なんていう気取ったことは贅沢な過去の事のようになっている。

ころなはずじゃなかった。

original/Nighthawks
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さりながら御免蒙らず

2020-05-19 | 酔唄抄。
/カフェライオン鼻つまみ番付)

しかるに御免蒙りたい人たちには、

村松正俊、一日に八遍も来るから。
辻潤、酔うと女に抱きつくから。
松崎天民、あいも変わらず偉そうなホラばかり吹くから。
千田是也、肩ばかり怒らせているから。
英百合子、卑猥な顔をしているから。
プラウデ、鮭みたいな顔をして、色男ぶるから。
山田耕作、金もないくせに特別室へ入るから。
尾崎士郎、宇野千代に呑み代を貰ってくるから。
吉井勇、エッヘエッヘと笑うから。
近衛秀麿、毛虫眉毛をピリピリさせるから。
菊池寛、たまにきて女給を張るから。
宇野浩二、ハゲかくしに帽子をとらないから。
エトセトラ・エトセトラ・・、とそうそうたる人たちも目くそ鼻くそでおらっしゃる。

ご同輩諸氏、斯くの如し、世の酒飲みはどこぞにかでも世間にて酔う限り身に覚えあるものと、思し召しくだされ。

さりながら、ところが、鼻つまみもんでこその愛嬌、連れ合い好き合い嫌い合いなりにまた杯を勧むということも無きにしも非ず。

さればこそ、この世の名残酒の名残と申すものであります。

まつのき小唄
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酒好きの矜(つつし)み

2020-04-27 | 酔唄抄。
(photo/source)

夜おそくまで、おじいさんは仕事をしていました。寒い冬のことで、外には雪がちらちらと降っていました。風にあおられて、そのたびにさらさらと音をたてて、窓の障子にあたるのが聞えました。
家の内に、ランプの火はうす暗く灯っていました。そして、おじいさんが槌で藁を叩く音が、さびしいあたりにおりおり響いたのであります。
 
このおじいさんは、たいそう酒が好きでしたが、貧しくて毎晩のようにそれを飲むことができませんでした。それで夜なべに、こうして草鞋を造ってこれを町に売りにゆき、帰りに酒を買ってくるのを楽しみにしていたのであります。
 
野原も、村も、山も、もう雪で真っ白でありました。おじいさんは、毎晩根気よく仕事を続けていたのであります。
おじいさんは、しんとした外のけはいに耳を傾けながら、「また、だいぶ雪が積ったとみえる。」と、独りごとをしました。そしてまた、仕事をしていたのであります。
 
このとき、なにか窓の障子にきて突きあたったものがあります。雪のかかる音にしては、あまり大きかったので、おじいさんはなんだろうと思いました。
これはきっとすずめかやまがらが、迷って飛んできたのだろう。こう思っておじいさんは障子を開けてみますと、暗い外からはたして、一羽の小鳥が部屋のうちに飛び込んできました。
 
小鳥はランプのまわりをまわって、おじいさんが仕事をしていた藁の上に降りて、すくんでしまいました。
「まあ、かわいそうに、この寒さではいくら鳥でも困るだろう。」と、おじいさんは小鳥に近づいて、よくその鳥を見ますとそれは美くしい、このあたりではめったに見られない-こまどり-でありました。
「おお、これはいいこまどりだ。おまえはどこから逃げてきたのだ。」と、おじいさんはいいました。

こまどりは、野にいるよりはたいてい人家に飼われているように思われたからです。おじいさんはちょうど籠の空いているのがありましたので、それを出してきて口を開いて小鳥のそばにやると、籠に慣れているとみえてこまどりはすぐに籠の中へはいりました。
 
おじいさんは小鳥が好きで、以前にはいろいろな鳥を飼った経験がありますので、雪の下から青菜を取ってきたり、川魚の焼いたのを擂ったりして、こまどりに餌を作ってやりました。
こまどりはすぐにおじいさんに馴れてしまいました。おじいさんは自分の寂しさを慰さめてくれるいい小鳥が家に入ってきたものと喜んでいました。
 
あくる日からおじいさんは、こまどりに餌を作ってやったり、水をやったりすることが楽しみになりました。そして太陽がたまたま雲間から出て、暖かな顔つきで晴れ晴れしくこの真白い世の中を眺めますときは、おじいさんはこまどりの入っている籠をひなたに出してやりました。こまどりは不思議そうに雪のかかった外の景色を頭を傾むけて眺めていました。そして日が暮れてまたあたりがもの寂く暗くなったときは、おじいさんはこまどりの入っている籠を家の中に入れて、自分の仕事場のそばの柱にかけておきました。
 
二、三日すると、こまどりはいい声で鳴きはじめたのであります。それはほんとうに響きの高い、いい声でありました。
おそらくだれでもこの声を聞いたものは、思わず足を留めずにはいられなかったでしょう。おじいさんもかつてこんないいこまどりの声を聞いたことがありませんでした。
 
ある日のこと、酒屋の小僧がおじいさんの家の前を通りかかりますと、こまどりの鳴く声を聞いてびっくりしました。それは主人が大事に大事にしていた、あのこまどりの声そっくりであったからです。主人のこまどりは、雪の降る朝、子供が籠の戸を開けて逃がしたのでした。
「こんなに、いい声のこまどりはめったにない。」
と、主人はいつも自慢をしていました。その鳥がいなくなってから主人はどんなに落胆をしたことでありましょう。
「どこへあの鳥は行ったろう。」と、主人は朝晩言っているのでした。
 
小僧は、思いがけなくこのこまどりの鳴き声を、道を通りすがりに聞きましたので、さっそくおじいさんの家へやってきました。
「お宅のこまどりは前からお飼いになっているのでございますか?」と、小僧は尋ねました。仕事をしていたおじいさんは頭を振って、
「いや、このこまどりは雪の降る寒い晩にどこからか窓の灯りを見て飛んできたのだ。きっとどこかに飼ってあったものが逃げてきたと思われるが、小僧さんになにか心あたりがありますか。」と、おじいさんはいいました。
 
小僧は、これを聞いて、
「そんなら、私の家のこまどりです……。」と、彼は、雪の降る日に子供が逃がしたこと、主人がたいそう悲しがって毎日いい暮らしていることなどを話しました。
おじいさんは、柱にかかっているこまどりの籠をはずしてきました。
「このこまどりに見覚えがあるか。」と、小僧に尋ねました。
 
小僧は、自分が朝晩餌をやったり水を換えてやったこともあるので、よくその鳥を覚えていましたから、はたしてそのこまどりに違いないかどうかと調べてみました。すると、その毛色といい、ようすといい、まったく同じ鳥でありましたので、
「おじいさん、この鳥に相違ありません。」といいました。
「そんなら早くこの鳥を持って帰って主人を喜ばしてあげたがいい。」と、おじいさんはいいました。
 
小僧は、正直なやさしいおじいさんに感心しました。お礼を言ってこまどりを貰って家から出かけますと、外の柱に酒徳利がかかっていました。それは、空の徳利でありました。
「おお、おじいさんは酒が好きとみえる。どれ、主人に話をして、お礼に酒を持ってきてあげましょう。」と思って、小僧はその空の徳利をも一緒に家へ持って帰りました。
 
主人は、いっさいの話を小僧から聞いて、どんなに喜んだかしれません。「おじいさんにこれから、毎日徳利にお酒を入れて持ってゆくように。」と、小僧にいいつけました。
 
小僧は、徳利の中へ酒を入れておじいさんのところへ持って参りました。
「おじいさん、柱にかかっていた徳利にお酒を入れてきました。どうかめしあがってください。」といいました。
 おじいさんは、喜びましたがそんなことをしてもらっては困るからといいました。
「私は、町へ草鞋を持っていって帰りに酒を買おうと思って、徳利を柱にかけておいたのだ。」と、おじいさんはいいました。
小僧は、主人のいいつけだからといって酒の入っている徳利をまた柱にかけて、
「おじいさん、酒がなくなったら、やはりこの柱に空の徳利をかけておいてください。」といいました。
 
おじいさんは酒が好きでしたから、せっかく持ってきたものをと思って、さっそく徳利を取ってすぐに飲みはじめたのであります。
 
酒を飲むと、おじいさんは本当にいい気持ちになりました。いくら家の外で寒い風が吹いても雪が降っても、おじいさんは火の傍らで酒を飲んでいると暖かであったのです。
酒さえあればおじいさんは、寒い夜を夜なべまでして草鞋を造ることもしなくてよかったので、それから夜も早くから床に入って眠ることにしました。おじいさんは眠りながら、吹雪が窓にきてさらさらと当る音を聞いていたのであります。
 
あくる朝、おじいさんは目を覚ましてから戸口に出て柱を見ますと、きのう空の徳利を掛けておいたのに、いつのまにかその徳利の中には酒がいっぱい入っていました。
「こんなにしてもらっては気の毒だ。」と、おじいさんは初めのうちは思いましたが、いつしか毎日酒のくるのを待つようになって、仕事は早く片づけてあとは火の傍らでちびりちびりと酒を飲むことを楽しみとしたのであります。

ある日のこと、おじいさんは柱のところにいってみますと、空の徳利が懸っていました。
「これはきっと小僧さんが忘れたのだろう。」と思いました。
しかし、その翌日もその翌日もそこには、空の徳利がかかっていました。
「ああきっと長いあいだ酒をくれたのだが、もうくれなくなったのだろう。」と、おじいさんは思いました。
おじいさんは、また自分から働いて酒を買わねばならなくなりました。そこで夜は遅くまで夜なべをすることになりました。

「なんでも他人の力をあてにしてはならぬ。自分で働いて自分で飲むのがいちばんうまい。」と、おじいさんは知ったのであります。
 
しばらくたつと酒屋の小僧がやってきました。
「実は、せんだってまたこまどりがどこかへ逃げてしまったのです。もうここへはやってきませんか?」といいました。
おじいさんはそれではじめてもう酒を持ってきてくれないことがわかったような気がしました。
「どうして大事なこまどりを二度も逃がしたのですか。」と、おじいさんは怪しみました。
「こんどは主人が、ぼんやりかごの戸を開けたままわき見をしているうちに外へ逃げてしまったのです。」と、小僧は答えました。
「それがもしおまえさんが逃がしたのならたいへんだった。」と、おじいさんは笑って、

「どんな人間にもあやまちというものがあるものだ。」といいました。

おじいさんは毎晩夜遅くまで仕事をしたのであります。また折々ひどい吹雪もしたのでした。
おじいさんはうす暗いランプのしたで藁をたたいていました。吹雪がさらさらと窓に当る音が聞こえます。
「ああ、こんやのような晩であったな。こまどりが吹雪のなかを灯りを目あてに飛び込こんできたのは。」と、おじいさんはひとり言をしていました。

ちょうどそのとき、おりもおり窓の障子にきてぶつかったものがあります。バサ、バサ、バサ……おじいさんはその刹那、すぐに、小鳥だ……こまどりだ……と思いました。そして急いで障子を開けてみますと、窓のなかへ小鳥が飛びこんできてランプのまわりをまわり、いつかのように藁の上に降りて止まりました。
「こまどりだ!」と、おじいさんは思わず叫んだのです。
 
おじいさんは、このまえにしたように、また、かごの空いたのを持ってきて、その中にこまどりを移しました。それから雪を掘って青菜を取り、また川魚の焼いたのをすったりして、こまどりのために餌をつくってやりました。
 
おじいさんは、そのこまどりはいつかのこまどりであることを知りました。
そしてそれを酒屋の小僧に渡してやったら主人がどんなに喜ぶだろうかということを知りました。
そればかりではありません。おじいさんはこのこまどりを酒屋へやったら、先方はまた大いに喜こんで、いままでのように毎日自分の好きな酒を持ってきてくれるに違いないということを知りました。
 
おじいさんはどうしたらいいものだろうと考えました。
こまどりは、おじいさんの処へ来たのを嬉しがるように見えました。そしてそのあくる日からいい声を出だして鳴いたのであります。
おじいさんは、このこまどりの鳴き声を聞きつけたら今にも酒屋の小僧が飛んでくるだろうと思いました。
 
寒い寂しかった長い冬も、もうやがて逝こうとしていたのであります。たとえ吹雪はしても空の色に早や春らしい雲が晩方などに見られることがありました。
「もうじきに春になるのだ。」と、おじいさんは思いました。
 
山からいろいろの小鳥が里に出てくるようになりました。日の光は日増しに強くなって空に高く輝いてきました。おじいさんはこまどりの籠をひなたに出してやると、さも広々とした大空の色を懐かしむように、こまどりは首を傾むけて止まり木にとまって、じっとしていました。

「ああ、もう春だ。これからはそうたいした吹雪もないだろう。昔は広い大空を飛んでいたものを一生こんな狭い籠の中に入れておくのはかわいそうだ。おまえは籠から外へ出たいか?」と、おじいさんはこまどりに向って言っていました。
こまどりは、しきりに外の世界に憧れていました。そしてすずめや他の小鳥が木の枝にきて止まっているのを見て、羨やましがっているような様子に見えました。
 
おじいさんは、酒屋へ行って籠の中に住むのと、また、広い野原に帰って、風や雨の中を自由に飛んで住むのと、どちらが幸福であろうかと、小鳥について考えずにはいられませんでした。
 
また、酒の好きなおじいさんは、この小鳥を酒屋に持っていってやれば、これから毎日自分は夜なべをせずに酒が飲めるのだということをも思わずにはいられませんでした。しかしおじいさんはついにこまどりに向って、

「さあ、早く逃げてゆけ……そして、人間に捕まらないように、山の方へ遠くゆけよ。」といって、かごの戸を開けてやりました。

もう気候も暖くなったのでこまどりは勇んで夕暮がたの空を、陽の落る方に向って飛んでゆきました。

そののちまた吹雪の夜はありましたけれど、こまどりは、それぎり帰ってはきませんでした。

-小川未明「こまどりと酒」より
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将進酒

2020-03-29 | 酔唄抄。
君見ずや 黄河の水 天上より来るを

奔流にして海に至り 復た回らず

君見ずや 高堂の明鏡 白髪を悲しむを

朝に青糸の如きも 暮には雪となる

人生意を得らば 須らく歓を尽くすべし

金樽をして虚しく月に対せしむ莫かれ

天 我が材を生ずるは 必ず用有り

千金散じ尽くさば還た復た来たらん
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心地の徒然

2020-03-02 | 酔唄抄。
(photo/source)

おいしいお酒をいただきたい、もしくは、おいしくお酒をいただきたい、違いは小さな一事だが、酒のみにとっては大きな一時である。

時、場所、事情、つれづれのうまいがある。

Kora Jazz Trio - Chan Chan
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良酒は誘う大海原へ

2020-02-12 | 酔唄抄。
(gif/original unknown)

羨君有酒能便酔  羨君無銭能不憂

うらやむきみがさけありてよくすなわちようことを
うらやむきみがせんなくしてよくうれいざることを

「これはまずもっての美酒である。」
「味わって貰いたい。」

「何という名前の酒?」

「メイコン、迷へる魂、迷魂。」

「どうして君はそのような銘酒を手に入れたの?」

「私はメイコンと称ばれる良酒を服用して、適度に酔うて来ました。」

「次には何を味わって飲むの?」

「メイテイ・・・」
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WHY Are We Here?

2020-01-11 | 酔唄抄。
(photo/source)

下戸不知藥
上戸不知毒

酒のみは酒の呑めないものにたいして、本当の薬を知らないという。
酒を呑まないものは酒のみにたいして、本当の毒を知らないという。

We all eat lies when our hearts are hungry.

心が餓えているとロクでもないものを信じてしまう。

牛も鳴き狐も鳴きて別れ哉

もうもうこんこん。

酒のうえだけではない、下戸も上戸も。

Nils Frahm - Says (Official Music Video)
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勧君金屈巵

2020-01-02 | 酔唄抄。
(quote/source)

満酌我不須辞

余呉幾許、余裕なくとも有余なくすことなかれ。

Niall Byrne - Nocturne in G - Score Video
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萬時機嫌よく

2019-11-26 | 酔唄抄。
/伝空海)

‘自己の欠点を知悉し得ぬところに、一切の悩みと悲しみとは生ず。故にまた一切の苦悩の超克と解脱は、自己の如是相の徹見あるのみ。’

-森信三

如是とは是(かく)の如(ごと)し(そのようである、という意)のこと。

そうでないならそうであったりするわけがないように、そうであるなら、そうでなかったりするわけがない。原子が嫉妬深かったり、下痢が抽象的であったり、タピオカが目的論的であったりしないのと同様。

ちゃんと、みてしることで、もっと忘れかけていたそもそもの機嫌の良さを取り戻すことだってできるというものです。

西田佐知子 コーヒー・ルンバ 1961 / Coffee Rumba
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