前にもアップしたけど、聴くこと。
子どもたちには、よく言うんだけどね、聴くことが大事なんだ、と。
人物を判断するのに、しゃべることより、どれだけ、聴けるか。
なんてことを、言っているんだけど。
古代ローマの哲学では、聴くことと考えることは、同義なんだ、と見ていたらしい。
思考=考えることは、常に空間を浮遊しながら人の耳から耳へと流れていくものだ、とされていた、という。
考えることも、自分だけの、自分独自の、私のものよ、という現代風とは、違っていたわけだ。
これ、茂木健一郎という脳科学者の、カラヤンについて、の文章のなかに、あるらしい。
どこかのブログに、ありました。
なにが言いたいか、というと、考えることやら、なにかに感情的になることやら、ってのが、実は、空間をただよっているんだよ、ということ。
あなたのものでは、あなたのオリジナルなものでは、ありませんよ、ということに、なるんだろうね。
今きている感情、それ、どこか、よそから来ているからね。
みたいな会話を、妻とは、よく交わす。
この区分けが、できちゃえば、楽なんだけどね、諸事。
子どもたちには、よく言うんだけどね、聴くことが大事なんだ、と。
人物を判断するのに、しゃべることより、どれだけ、聴けるか。
なんてことを、言っているんだけど。
古代ローマの哲学では、聴くことと考えることは、同義なんだ、と見ていたらしい。
思考=考えることは、常に空間を浮遊しながら人の耳から耳へと流れていくものだ、とされていた、という。
考えることも、自分だけの、自分独自の、私のものよ、という現代風とは、違っていたわけだ。
これ、茂木健一郎という脳科学者の、カラヤンについて、の文章のなかに、あるらしい。
どこかのブログに、ありました。
なにが言いたいか、というと、考えることやら、なにかに感情的になることやら、ってのが、実は、空間をただよっているんだよ、ということ。
あなたのものでは、あなたのオリジナルなものでは、ありませんよ、ということに、なるんだろうね。
今きている感情、それ、どこか、よそから来ているからね。
みたいな会話を、妻とは、よく交わす。
この区分けが、できちゃえば、楽なんだけどね、諸事。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます