と言ったのは、OSHOだそうだ。
表題の前に、本当の生は、とある。
常に過ちをおかすことができるようにし、常に勇気を持ちなさい、ってわけだ。
そこから成長する。
過ちをおかすとなじられる、100点じゃないですね、こことここが間違ってます、というね。
そんな時間を、どうだろう、何十年、保育園からしたら、3+6+3+3、15年か。
人生50年としたら、三分の一だよね。
しかし、同じ過ちを二度と繰り返してはいけない、と道学者のようにも話す。
なぜなら、からが少し違って、それは、古くなるからだ、とくる。
新しくやること、新しい在り方、それを見つけなさい、ってことなんだね。
〜しなさい、って訳は気に入らないけど、ま、そこはおいといて。
とはいえ、これ、おもしろいな、と思ったので、ノートしたのでした。
それとかね、人格は文明の賜物だ、とか、あなたはあなたの衣服ではない、とかね。
本当の生の土台は、who am i?への答えだ、ってわけだ。
いいね、OSHO。
表題の、過ちは、字の如くに、すでに過ぎ去った過去だ。
過去を託つ、悔いる、なんてのは、詮ないことで、反省はサルでもできる、って猿に失礼なキャッチコピーもあったな。
人間万事塞翁が馬、だっけ、失敗したと悔いたことが成功への架け橋で、みたいな。
成功は失敗のもと、なんて揶揄、斜め目線、なんてのもありか。
というか、そもそも、失敗・成功ってのは、衣服を着ている僕、ってことになるね。
社会というか、文明というか、そんな衣服を着込んでの、評論家気取り、ってなもんだ。
さて、そんなわけで、今日も、who am i ?、の答えを見つけに旅立つとするか、って、まるで、青い鳥だね。
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