と言うのが、今朝の思案どころ、で。
たぶん、東ないし山、と言う気分だけどね。
それにしても、東京では今日、二日が、桜の満開、なんてニュースがあって。
おいおい、と眺めていたら、東京在住の妹によれば。
護国神社だったか、その桜は、いつでも早咲きなようで、じゃ、参考にならないじゃん。
なんだけど、なんでも早いのがいい、くらいの話かね。
と言うわけで、今日は、おじおば会。
昨夜も、すぐ下のおばから、電話が入り、空模様がちょっと、心配で、雨なら仕方ないね。
中止だね、と言う気分が伝わってきたので、雨でも行きましょう、と。
小さな心配を打ち消し、だって、小学生、いや、幼稚園の遠足なんだから、もちろん。
このあいだの、ラッセル事故のようになっちゃいけないんで、慎重な判断は必要ではあるにしても。
雨か晴れか、なんてのは、行き先の選択一つだからね。
一つ、いいことをしたんだよね、おばの行くのか行かないのか、の心配を吹き飛ばした。
わけで、それこそ、中国の古典、なんだったかは忘れたけど、いいことをしたら。
一つ、お手玉のような赤い玉だっけ、袋に入れる。
それがたくさんたまると福が来る、みたいなの。
あのデンでいけば、プラス1、ってことなんだな。
しかし、中国の古典も、よくよく注意深く受け止めないと、とても不自由を強いられる。
孔子の「論語」にしてもね。
金科玉条みたいな、なんとか原理主義みたいな、だから、注意召されよ、ってことだけどね。
昨夜の羽生結弦、よかったね。
涙を目尻に溜めながら、と言うか、美しい気迫が伝わってきてね。
素晴らしかった。
会場で声援を送る人たちが、なんて言うのか、彼の演技にすっかり飲み込まれていた。
そんな時間を創り出した彼、よかったね。
稀勢の里の、ほんわりと決定戦の相撲といい、やっぱり、アスリートは何か、を我々に。
伝えてくれるね。
昨夜は、鯛のアラを買ってきて、潮汁にチャレンジしてみた。
iPhone片手に、つまり、レジピを眺めながら、と言うわけだ。
とても淡い味付けで、母親が美味しい美味しい、と食べてくれてね。
その言葉が料理人を育てる、ってことで、タモリを真似て、使ったそばから片付けていく。
ってのね。
それも実践しつつ、わだは料理人になる、by なんだっけ、あの版画の、彼みたいに。
なんとかしこう、棟方志功だ。
海ツボも買ってきて、食べたんだけど、茹でたのしか、知らなかったので。
生を食べちゃったんだね、あれ、これ、どうも違うな、って。
結果、茹でたんだけど、なんでも、初心者になろう、今年こそ!ってことで。
知らないことを体験していく楽しさ、ね。
人生の瞬間瞬間に新人でいる、と言うのが、たぶん、この時代の最高の豊かさの表現でもあり。
ずっと前から予言していた、一気呵成に世界が変わる、経済の軛からの解放、とかも含め。
ここだな、たぶん、テストにでるところは。
さて、おじおば会に出かけるとするか。
幼な子のようなおば達とともに、ね。
誠に誠に汝らに告ぐ、幼な子のようにならなければ天国への門は開かない by イエスキリスト。
と言う箴言を残しつつ。
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