この表題、フランス語なのかな。
死を思え、と訳すらしい。
チベットのラマ僧。
というか、僧侶だけじゃないのかもしれないけど。
かの地は、風葬だったりり、鳥葬だったりするわけだ。
どちらも、死体を、さらすのですね。
鳥葬なんかだと、鳥がつつきやすいように、かなり、死体を細かくするという。
それを、子どもたちは、見て育つ。
以前、こんな記事、書いてますね。
死というもの、死んだ後の肉体の変化などなどに、向き合うわけだ。
この世で、絶対的なことは、ひとつしかなくて、人は死ぬ、ということだから。
というのは、中沢新一さんの解説なんだけどね。
死んだ後、49日間は、バルドォとかいうのかな。
日本でも、というか、仏教でも、しじゅうくんち、なんて言うよね。
その間は、耳の感覚が残っている、というのが、チベット密教なんだって。
なので、死を送る僧侶は、慎重に、その49日の過ごし方を、故人の耳元で、伝授する。
チベットの「死者の書」というのに、かいてあるらしい。
いろいろ、書いてあったけど、覚えてません。
漢字の「眞」と言う字、白川静さんが、書いているけど。
これ、道端に、歯をむき出しにして倒れている死体だ、というんだね。
その死に行く方に対して、丁重に、真摯に、向きあう、お送りする、というような意味から、まこと、しんじつ、しんり、なんていう意味に、つながるらしい。
たしか。
いずれにしても、メメント・モリ、ですね。
死を思え、です。
日本の神道も、死から遠ざかったので、パワーをなくした、なんて言う方もいますしね。
死を思え、と訳すらしい。
チベットのラマ僧。
というか、僧侶だけじゃないのかもしれないけど。
かの地は、風葬だったりり、鳥葬だったりするわけだ。
どちらも、死体を、さらすのですね。
鳥葬なんかだと、鳥がつつきやすいように、かなり、死体を細かくするという。
それを、子どもたちは、見て育つ。
以前、こんな記事、書いてますね。
死というもの、死んだ後の肉体の変化などなどに、向き合うわけだ。
この世で、絶対的なことは、ひとつしかなくて、人は死ぬ、ということだから。
というのは、中沢新一さんの解説なんだけどね。
死んだ後、49日間は、バルドォとかいうのかな。
日本でも、というか、仏教でも、しじゅうくんち、なんて言うよね。
その間は、耳の感覚が残っている、というのが、チベット密教なんだって。
なので、死を送る僧侶は、慎重に、その49日の過ごし方を、故人の耳元で、伝授する。
チベットの「死者の書」というのに、かいてあるらしい。
いろいろ、書いてあったけど、覚えてません。
漢字の「眞」と言う字、白川静さんが、書いているけど。
これ、道端に、歯をむき出しにして倒れている死体だ、というんだね。
その死に行く方に対して、丁重に、真摯に、向きあう、お送りする、というような意味から、まこと、しんじつ、しんり、なんていう意味に、つながるらしい。
たしか。
いずれにしても、メメント・モリ、ですね。
死を思え、です。
日本の神道も、死から遠ざかったので、パワーをなくした、なんて言う方もいますしね。
私の自転車用のジャージの中に、ヨーロッパのどこかの国(イタリア?)製のお洒落なジャージがありますが、胸のところにMoriと大きく書かれています。
それを見た、知人の森さんから、俺のことか!?と言われたことがありましたが、これを知ってビックリ!
事故にきをつけなくっちゃ!
くどいですけど、「道」という字。
あれ、古代の中国で、異族の地へ入っていくのに、異族の首を手にかかげて、入っていった、と。その土地、土地で、そこに住む人々を、守る霊がいたんだね。
僕らも守ってね、くらいかな。
今から見れば、ずいぶん、残酷なことにも見えるんだけどね。
というわけで、Moriというロゴは、安全祈願のお札です。
ご安心を!