ドイツのメリタ・ベンツというご婦人が考案したらしい。
一つ穴、っての。
ぺーパーフィルターにハンドミルで粉にした珈琲豆を入れ。
さて、細いお湯を注ぎ、というやつね。
いつもの珈琲豆屋さんで、と言っても、そこでも珈琲、飲ませていただけるので。
喫茶店、という方がいいのか。
このところ、頻繁ですね、という問いかけに、いや、息子も飲み始めたので、と応じ。
そこでも会話が広がり、このドリッパーが、っていう話の展開で。
くだんのご婦人の手になる、メリタ、がいいですよ、ゆっくり淹れることができ、濃厚な。
コクのある珈琲になる、なんてことね。
なんでも、人の意見は受け入れる、というとても素直な?性格なので、すかさず、じゃ。
それ、いただきます、ってなもんだ。
その後、何日かがたち、何杯かの珈琲を落としたのだけれど、たしかに、違う。
ずっと前のCMみたいなもので、違いのわかる男です。
ルーティンの味が変わると、なんだか、人生が変わったような気にもなり。
五感に生きる、ってのは、なかなか、楽しいものだ。
そうだ、web会議の件ね、この場のコメンテーターでもあるtoshさんから推奨いただいた。
zoomってやつ、試してみようか、と思っている。
それ自体はやったこと、あるんだけど、多対多、が可能なようで。
タイミングよく、今日の午後、会社支給用のスマホの設定に、来てくださるので。
サッカーの本田じゃないけど、持ってるよ、オレ!ってね。
わが社あたりでも、そんなこと、これを機に、なんて考えているんだから、世の中、変わるよ。
きっと。
それも、いい方向へ、ね。
医療の現場や政治の現場が、今回の騒動、コロナ禍で、明らかになってる感じもあるでしょ。
そろそろ、何かのためという大義で、戯言を語るのはやめにしますか的なメッセだな。
大事なこと、地味でも目立たなくてもお金にならなくてもいいから、やってこうよ。
だって、それ、人々の幸せに通じるんじゃない?って。
しかし、その際に大事なことは、誰かに、何かに依存する、ってメンタリティも、一緒に。
根こそぎ、クリアしましょうね、くらいの展開、とも言えるかな。
どう?
そんな気、してこない?
自己免疫力、ってのが、自尊、につながり、という予感は、どうも、そうなりそうだな、と。
そもそも、免疫力、って言葉も、さらにその前に、自己、なんてつけるのも、ちょっと。
ズレがあるかも、だけどね。
ま、そんな小難しい領域に入ることもないか。
というわけで、なんとかはあざなえる縄のごとし、そうか、禍福、か。
つまり、禍(わざわい)も幸福も、より合わさった縄みたいなもので、ってわけだ。
そこになんの萌芽を見るか、読むか、嗅ぐか、感じるか、ってのが、テストに出るところだな、きっと。
さて、今日の禍福を始めるとするか。
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