この前に、
酒に酔えば新しき世を言い合えど、というのが、昭和11年の近藤芳美の歌。
どうもね、あの頃から離れないんだな、226前後の頃、当方の意識も。
昨日も、パラパラと「B面昭和史」と過ごした。
後世に、大事件と記されることとリアルタイムで起きていたこととの乖離とでも言おうか。
今も変わらないからね。
当たり前と言えば当たり前なのかもな。
それほどに、言葉で記録されたものというのは、一面しか捉えられず、なんだけど。
日々の生活、仕事の中での出来事でも、言葉を紡ぎ、脳内、体内へ埋め込み、なんてこと。
あるある、だからね。
この世界の不思議さ、ってなもんだ。
昨日は雨ゆえに走らずで、久々の河岸の市へ、だったな。
うまそうな本鮪のかまがあったな、小アジもあったな、とか手に入れられなかったものが浮かぶ。
ところで、昨日からの七十二候、第26候は、腐れたる草蛍と為る、だ。
なんともいいでしょ、蛍になるんだよ。
ついこの間までは、新緑の季節が到来、なんて言っていたのにさ。
腐れたる、なんてのは、一つの死とも言えるけれど、彼らの中では死というものは存在するのか。
そりゃ、万物の霊長のように意識もないし、なんて通説だ。
しかし、だな。
万物の霊長と自らを呼ばざるを得ない哀しみ、なんてのが、この人間存在なのかもね。
流れていくだけなんだろうけど、実際のところは。
上記の歴史上の記録にしても、ほとんど、不正確、というか、そもそも、まんまを映し取るなんてのは不可能な。
だよね。
その不可能を可能なりと信じることに奮励努力をし、というわけだ。
今、スズメ達を撮ろうとiPhoneを構えようとしたら、一斉に飛び去っていった。
ちょっとした波動の違いを感じたのか、どうなのか、あるいは、どこからかの指令があったのか、だな。
そうか、半藤一利さんの本に絡めて「夜郎自大」についてchatgptに聞いた話も面白いんだけど。
それはまた、だな。
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