巴川越しの川風が、心地よい朝。
ちょっと離れたところで、パーコレーター、というんだっけ、珈琲がね。
音を立てている。
今朝の、母親は早かったな。
玄関の出がけ、行ってらっしゃい、ときた。
幸いなことに、その場でそのまま、手を降って、という感じだったんで、ことなきをえた。
んだけど。
玄関を出て、外まで見送ってくれるときには、彼女が。
玄関の戸を閉めるまでは、出発できない、というね。
もと特攻隊長にして、作家の島尾敏雄じゃないけど、出発はついに訪れず、って、特攻隊の出発とは、えらく違いはするけど。
このところ、ちょっと、アニマルメディスン、ってのに、コリかけてるのですが。
動物を、トーテムとして崇める、とでも言えるか。
トーテムというのは、その部族とともにある精霊、とかいうらしい。
メディスン、というのは、学びとかよく生きるための処方箋、と。
何種類かの動物が挙げられている中、カラス、が気になって。
なにせ、神武天皇の東征にも先導した、三本足のヤタガラス、だったり。
よく見かけるしね、利口だし、よその家に卵を産み付け、育てさせちゃう、なんて托卵。
なんてのは、ちょっと、えぐいけどね。
不吉な印、みたいな言われかたもされてるし、なんだけど、可愛くもあって。
で、カラス。
感じる力、使ってる?
って、メッセージなんだよね。
お墓にたむろし、なんてことからも、不吉に繋がるんだろうけど、その実、見るものを見ている、とも言えて。
供物が届けられる、のを、ただ静かに眺め、自らの食物にしているだけ、と解釈もできる。
カラスのメディスンは、兆しを受け取る、なんだ、と。
カラスをトーテムに望むなら、良い兆しを受け取り、成長するときを迎えている。
欲や見栄に惑わされない、シンプルな生き方を促しています、と書いてある。
なかなか、いいメディスンでしょ。
情報の多さ、素早さ、というこの時代、とは言え、結果、人は、見たいものを見、聞きたい言葉を聞き。
で、実のところ、自分のフィルターを通しての、情報、ってものに切り替えちゃうがちなんだけど、そこへ。
カラスを登場させて、目の前に起こったことを、ただ、見るだけ、というね。
そのことを、兆し、という言葉に置き換え、ってわけだ。
自宅の庭先に、仏壇に供え終わったご飯を目当てに、スズメがやってくる。
可愛いんだよね。
トーテムとしてのスズメからのメッセージは。
自分じゃできないことって、なんだろう?
処方箋たるメディスンは、委ねる気持ち、なんだそうだ。
まんま、ビンゴ、って感じです。
カラスのように、見るものをただ見る、ということで、じゃ、自分のできないことを誰に委ねる?
とつながり、プチコミュニテイとなり、それが大きなコミュニテイへ、ってわけだ。
さて、風鈴は、しばしどころじゃなく、鳴り続けている本日、カラスとスズメとともに生かせていただくとするか。
本の帯にある、
野生の躍動するパワーをあなたに!
って言葉とともに。
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