まわりで起こっていること

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榊の新芽が目に飛び込んできた

2017年04月25日 | Weblog

勢いがあるね。

わが事務所の神棚。

目に青葉 山 ホトトギス 初鰹

ってわけだ。

まず、目に青葉のワンアイテム、ゲットという次第。

ついこの間、桜三昧に、人生初めてというくらいの感激をしたのだけれど、それに続いて。

さて、新緑の季節。

とはいえ、このゴールデンウィークには、安曇野でも出かけてみようか、なんて。

昨日の個人ミーティングの相方、信州は上田の出身の御仁からご教示いただいた。

例年は、この時期、桜ですよ、というね、安曇野、海人族の末裔たちの地名のついた。

そこへの小旅行でも、という。

なんて書くと、あそこもここも、なんて気になって、でも、行けないよね、ということを。

この間のシフティングのセッションで、左目と右目に交互に聞いてみる、なんてこと。

自分の中にある、アクセルとブレーキ、ってやつね。

実際に、左目を隠し、あそこもここも行きたい、というのはほんと?

もちろん、行きたいよ、右目を隠して聞くと、いや、そうでもないよ、と。

もう一度、左目を隠して聞くと、うん、そうだね、たしかに、そうでもないか。

みたいなやりとりが、右目と左目であったわけだ。

ブレーキとアクセルのバランスが、何とは無しに取れて、万事めでたしめでたし、ってことなんだけど。

果たして、ゴールデンウィークの安曇野は、成立するのでしょうか。

昨日の個人ミーティングは、実は、シフティング講座の振り返りも兼ねて、と自分の中では。

目論見もあったんだけど、そこはそれ。

なかなかに、思い通りには行かないわけで、サチコ、思い通りに、サチコ、生きてごらん。

なんて歌、あったけどさ。

にしても、意識の枠組みを外す、というのか、自分、とかの言葉で意識している存在、ってのが。

そんなに確固たるものでもない、という気づき、ってのは。

面白くて。

一つのツールとして、使い倒したら良さげなもの、くらいでいればね。

自分を鼓舞しもし、慰めもし、と。

で、目指すゴール地点は、あちら、そこへ行くためには、鞭をくれたりニンジンをくれたり、の馭者のように。

自分の意識を使い倒す、って絵柄だな。

そんなことのきっかけになる、ま、シフティングなんだけどね。

講座終了後、講師の方に、熟成させてみます、とメールしたんだけど。

まさしく、過ぎ行く時間を味方にして、ほんの少しの変化にしか見えない、生成物の進化発展を。

眺めるとしますか。

くらいの感懐だな、今催しているのは。

つい最近、わが社の21歳の女史、彼女のおじいさまが、101歳で他界された。

あなたがその年になるまで、あと80年か、なんて会話があって。

その時に俺は、140歳だ、と。

及び難い時の流れからしたら、ほんの刹那とも取れる時間かも、だけど。

なんて感慨も湧く朝、わが榊くんたちも新芽で迎えてくれて。

さて、一日に出発しますか。

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