日常。
ようやく帰ってこれたかな、という気分でもあるな。
何を指し示しているのか、は、諸説、あるいは、いろんな受け取り方があるのだろうけど。
結果、目の前にあるのは日常と呼ばれるものだ、ということだな。
この三年ばかり、空中戦もしながらの日常戦だったからね。
空中戦の方は、ほぼほぼ、見通しが立ち、さて、日常だ、という具合だ。
もちろん、空中戦はまだまだ続いているのだけど。
世界とか歴史とか人類とか、そんな言葉が撒き散らされるのが、空中戦。
一方、日常戦の方は、満月だ、とか、メジロがやってこない、とか、フロントガラスが凍りつき、とかね。
わけわかんないかも、ですけど。
コロナとかパンデミックとかインフォデミックとか、さまざまな言われ方をしている諸現象以来、いつも首を傾げ。
訝る、という気分だったんだけど、加えて、ウクライナVSロシア、あるいは、西側諸国VS BRICs諸国みたいな。
こともやってきて、そのうちに、途轍もない長さの、文明というのか、考え方、生き方というのか。
そんなことも混ざり込み、の日々でもあり。
なんて朝は、表題のように、旧暦12月18日の月が御神木の高きに輝いていたのであります。
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