「Don't ask what your countory can do for you」というボブ・ディランの歌詞を。
中川五郎さんは、表題のように訳していた。
続けて、たぶん。
諸君が国のために何ができるのかを問う。
とでもなるのかね。
いつの頃からだろうか、こんなフレーズが青臭い、無益な世迷いごとみたいに受け止められるようになったのは。
その数行後に、こうある。
「"Shut your mouth", said the wise old owl」
中川五郎さんは。
「黙ってろ」、そう言ったのは謹厳実直そうなのに世慣れてずる賢い年寄り、と訳す。
そんな気分で、夕べは、「JFK」の残りを観た。
すっかり、ディランとともに、1963年からの世界に飛んでいってる。
上記、国と諸君を入れ替えただけのフレーズだけど、なかなか、意味深ではあるね。
法治の社会がデフォルトであることに、なんの疑いも抱かずとも生きてこれた時代。
それがある日を境に、激変し、それぞれがそれぞれの、「そもそも」を携え、抱え込み。
哲学用語のような、行動変容、なんて言葉が降下、降臨し。
かくいうわが方の会社でも、じゃ、会社、閉めようか、出社禁止、とか、いや。
もっとゆるく、出てきてもいいよ、なんて言い草が、俎上に乗っかるかも、なんて状況だ。
精神変容、なんてことを謳ってきたスピ業界も宗教業界も、右往左往の風情濃厚で。
もちろん、リアルを謳歌してきた産業界も、似たようなもので。
そんなタイミングでのリリースが、くだんの「Murder most foul」もっとも卑劣な殺人、って曲だ。
100万言のCOVID-19評論よりも、ひょっとしたら、深く濃厚、濃密なものかも、なんて予感だな。
なにせ、炭鉱のカナリヤだからね。
いつからだろう、母が唇に、さす紅をやめてしまったのは。
いつからだろう、父が小言の、たった一つもやめてしまったのは。
って、チューリップの唄だ。
しばらくぶりの故郷は、大きな街に姿を変えていた、なんてのもあったな。
ところで、くだんの曲のインターネット配信の時のディランのメッセージが。
「どうぞ安全に過ごされますように、油断することがありませんように、そして。
神があなたと共にありますように」とあったそうだ。
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