まわりで起こっていること

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今年の桜は見逃している

2017年04月11日 | Weblog

と言えるか。

それとも、日々、あんまり、四方八方へ動いていないのか。

気がつくと、江尻城跡、今では小学校沿いの桜が、満開の風情。

帰りがけに通る道すがら、桜を愛でながら、なんだけどね。

山の師匠のFacebookには、身延のしだれ桜が、なんて見事な写真がアップされていた。

どこかの山の帰りに寄った、ということだったけど。

桜も紅葉も、なかなか、ジャストタイミングで、というのは、難しいからね。

頭の中に、河津桜の桜色が残っていて、山桜の淡さがいいな、なんて気分がもたげてきたり。

にしても、あの川沿いの桜は見事だし。

いずれにしても、桜咲く季節は、いいね。

入学式なんかもあって、もの皆、新しい季節に向かう、という感じで。

桜の樹の下には屍体が埋まっている、と書いたのは、誰だっけ。

梶井基次郎でもなく、明治の詩人だったか。

萩原健二でもなく、萩原井泉水でもなく、ま、そんな人がいたね。

相変わらず、意味、わからないんだけどね。

いつか聞いたかも、だけど、忘れたのか。

今日は、復活なった新芽の会。

その前に、カーテン工房のミーティング。

夜には、同友会の支部の総会。

ぎゅっと詰まった一日ではある。

新芽の会は、メンバーが半分以上、入れ替わっているから、まるで、なでしこの代表メンバーみたいな。

ざっくりとした意図は、異種格闘技、ま、戦いじゃないんだけど。

その昔、日常が重く、変わりばえしない村にやってきた、まれびと。

あるいは、異形の民。

今の言葉で言えば、異業の民が集い、そこに、新しい文化文明が生まれる。

「文明の衝突」、というと、イスラムとキリスト教の戦い、みたいだけど、とても。

大きな話にしちゃえば、蝟集するそれぞれが、それぞれの文化文明を背負って。

その場に登場する、という絵柄でもあり。

かけがえのない時間、というわけです。

黙って座ればピタリと当たる、じゃないけど、素直な心でその場にいるだけで、なにごとかが招来し。

なんだよな、きっと。

ものごとは、小さな意図が基点となり、オートマチックに、動いていく。

あとはお任せの世界、とでも言えるか。

心してみれば、万物皆我が師なり、ってわけだ。

この文節では、心してみる、というのが、大事なところで、それがあれば。

学校なんか行かなくても、まわりはボランティアの先生だらけ、時には、大金までいただける。

って算段で。

学ぶ、という言葉が、まるで、いやいやをしている幼児の首に縄をつけてね。

ひきづりながら、という絵柄のような、干からびた魔物のようにも感じられるような。

そんな今日この頃、ってことだけど。

一度、学び舎について、明らかにしておく必要、あるかもだね。

というのも、誰かとの、どこかとの、彼我の差を際立たせるのが、学びではない、ってことをね。

あれ、どこまで来ちゃったのか。

そうだ、桜を見逃している、ってことだ。

そりゃ、残念だけど、いわゆる心の眼で、ま、心眼ってやつだね、では、愛でている。

とでも言っておきましょうか。

さてさて、希望とともに目覚め感謝とともに眠る一日を始めるとしますか。

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