まわりで起こっていること

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「しっかりしなきゃ」オーラ

2019年05月09日 | Weblog

昨日、ふとしたことで、うつ病の話になり。

まわりでも何人か、そんな話を聞いているのだけど。

個々の話には、さまざまな由縁があるんだろうから、迂闊には結論づけられない。

んだろうな。

のだけれど、若かりし頃読んだ、吉本隆明、共同幻想と自己幻想、だったか。

その二つは、逆立ちの関係、と言っていたな。

共同幻想、というのは、社会などの集団の持っている、考え方、感じ方、価値観などなど。

それによって、みんなで個人を守り、というようなものでもあるんだけど。

しかし、そんな、もともとは、共同で力を合わせてはたらき、ということが。

かえって、個人を縛り付け、がんじがらめにし、というような話で。

ふと、今朝、昨日聞いたうつ病のことを思い浮かべたら、吉本隆明の逆立ち、ってのが、浮かんだ次第で。

よかれと思っての営為が、知らぬ間に、お互いを縛り付け、身動きならぬように、というわけだ。

このところの、さまざまなキャンペーン、というのか、同調圧力とでもいうか。

そんなものを眺めていると、うつ病の発症に限らず、鬱陶しい世間でもあるな。

はともかく、くだんの相方とは、組織としてはチャレンジしがいのあるテーマ、というのか、課題、というのか。

そんなことになるね、と話したんだった。

わが社も、ずっと前から、病気をしない会社、というフレーズから始まって、今では、病気の治る会社。

なんての、目指しているからね。

大言壮語、ある場合には大事だな。

「しっかりしなきゃ」オーラ、をね、いかに、消し去るか、あるいは、同じことに違った意味、意義を持たせられるか。

って感じかな。

メンタルの深い部分の話にも飛んでいき、わが瞑想の領域とも絡むはずなんだな。

もっと言えば、生命そのもの、あるいは、地球だったり、ね。

生命誕生、そして、日々の営為、みたいなデッカイ話にもなる、けど、実は、ごく些細な話でもあるんだな。

単に生きて死んでいく、むしろ、生きてあるだけ、というか。

そもそも、誰一人、死というものを体験したことがないからね、あれが死だ、というような。

伝聞でしか死を味わえない、あるいは、幻想でしか、ね。

体験、体感できるのは、今でしょ!、イマココしかないでしょ、ってわけだ。

もっとも、眠りに入り込む瞬間を、死、とも言えるかも、だけど、どうなんだろう。

いやいや、テーマは、「しっかりしなきゃ」病を強いる社会の共同幻想だったな。

目くそ鼻くそ、50歩100歩、十人十色、あと何かな、イマル、生きてるだけで丸儲け、とかさ。

どうにでも、解釈のしようがあるんだけどね。

真面目で、聞き分けのいい子は、どうしてもさ、体制順応型にならざるを得ず。

で、しかも、学校や社会の仕組みを、雛鳥の雌雄の選別みたいなものとして捉えちゃうとね。

放り投げられるように、はい、メス、はい、オス、みたいな。

さて、そろそろお時間です、骨、行きます。

 

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