誰が言ったのか、そんな表題のような言葉がひと頃、流行っていたよね。
うまいキャッチだよな。
資本主義の権化に辿り着きそうな、あるいは、たどり着かなきゃいけないような焦燥感、掻き立てるよね。
あるいは、日本がこのままじゃ潰れちゃう、消えちゃう論なんての、声高に唱える向きもあるけれど。
そもそも、だ。
何を強いようとしているのか、ってことだな。
戦国時代にしろ、その前の荘園の争いにしろ、そんな具合なフレーズ撒き散らされての。
口角泡を飛ばしの、だったのかもな。
激情がなきゃ、日常から離れられないからね。
そんな日常は、昨日に続いてのコロンビア。
たしかに、柔らかな、しかし、舌に残る珈琲か。
昨日のお茶会には、モカを進ぜ、久々のイルガチェフ。
美味かったな。
せっかく、ムツゴロウさんが当帰の茶葉をくださったのだけども、だな。
そうそう、宇宙の本質は、遊びと喜び、なんて言説に出会って、得たりやおう、ってなもんだった。
神のみぞ遊ぶ、なんてこと、白川静さんが言っていて、なかなか、それが腑に落ちなかったんだよね。
しかし、昨日、腑に落ちたかな。
われは神なり、ってことだ。
表題の対極にあるような言葉だね、遊び、ってのは。
どうも、幼なき子たちの動きやら感じ方やらがおもしろくて。
例えば、孫娘たちを見ていると、ね。
目に入るものすべてがわが師なり、って具合だな。
遊びをせむとやうまれけむ、なんて、梁塵秘抄だっけ、忘れたけど、どこかにあったよね。
言い得て妙、ってわけだ。
さて今日も、遊びと喜びに出掛けてみることにするか。
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