アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

もう一つのゴハチ重連~荷37列車

2018-06-24 22:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

EF58の重連と言えば、前述した汐留-名古屋間を走った荷35列車が有名だが、この列車がダイヤ改正で消滅した後に、もう一つのEF58の重連荷物列車が存在した。広島~山口県下を走る荷37列車だ。この列車は、関東からは遠く、なかなか撮影の機会には恵まれなかったが、それでも何回かシャッターを切ることが出来た。

掲載写真は、新下関を通過する荷37列車。大窓機64号機と15号機との重連。15号機のパンタは一つしか上がっていない。この年は、山口線でC57が運転を開始した年。その試運転や初日の撮影に絡めて山陽本線で撮影した時のものだ。C57復活運転には、沿線はどこもファンでごった返していた記憶があるが、ゴハチ重連の荷37ㇾは、周りから忘れられていたのか、あまり撮影者は見かけなかったように思う。

1979-08-05  荷37ㇾ  EF5864+15   山陽本線:新下関にて


横浜線73系さよなら運転

2018-06-23 22:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

長く鉄道撮影を続けていると、今まで慣れ親しんだ車輛達の引退の場面に数多く遭遇する。時代とともに最新型車輛がデビューしては、それまでの車輛達が移動、または引退。この繰り返しだった。どんな車輛でも、自分の生活に密着していた車輛が消えていく時は、どこか感慨深いもので、普段の当たり前の光景が、そうではなくなることへの喪失感を味わうことになる。

横浜線の73系電車引退の日。どうしようもない悪天候の中、それまでの感謝の想いも込めて線路端に立った。特に地元ではないが、一時倶楽部の同窓と撮影に良く出ていて、なぜか思い出が多い路線だった。小雨降る中、カーブの先からマーク付きの73系が見えた時には感動したが、残念ながら残された写真はぶれている。アントンKの数多い苦い思い出の一端。

1979-09-30   1504ㇾ  Mc73031    横浜線:相原-片倉

こちらは、さよなら運転と同じ編成を別の日に撮影したもの。通常の4連の73系電車の横浜方にクモニ13を連結したスジが当時あった。アントンKは、このスジが好きで良く撮影したもの。17m車であるクモニ13の面構えがお気に入りで、いつもは単行のクモニも、この時ばかりは、どこか誇らしく見えて好きだったのだ。目の前を通過する時の釣りかけ式モーターの音が懐かしく蘇ってくる。

1979-03-06   クモニ13016    横浜線:相原付近


専用機関車を持つレインボー客車

2018-06-22 20:00:00 | 鉄道写真(EL)

田端区に所属しているEF81の中で人気を二分している片割れ、95号機が検査を終え綺麗な姿を見せている。もう片方の81号機も、相変わらず美しい姿を披露しているようで何より。どちらもかつての栄光の証とも言うべき、御召仕様の外観や欧風客車用の専用塗装を維持して、若いファンに絶大なる人気を誇っている。

かつてこの手のジョイフル客車が流行した時代には、その客車に合わせた専用機が用意されていた客車も多かったが、その中でもダントツで派手だったのは、このスーパーエキスプレスレインボー客車用の機関車で間違いないだろう。EF651019号機とEF8195号機の2台があったが、ご存知のように、EF65PFは第二世代の1118号機が存在した。サイドに書かれた機関車形式の威圧さは当時本当に驚嘆したものだ。肝心の客車の方が先に引退していしまい、お役御免と思いきや、しっかり当時の姿をいまだに見せていることは、やはり素直に喜ぶべきなのか。アントンKは、昔からオリジナル派だが、このご時世、過去にとらわれず、現代にマッチしたアイディア溢れる外観で登場させても良かったのでは?,とも思う。旅客会社の機関車には、中々光が当たらない時代だからこそ、限られた時間の中、最後の心意気を我々ファンに見せて欲しい。

この手の列車は、あまり好まなかったアントンK。東海道を下るレインボーを掲載しておく。初代のEF651019号機けん引。

1991-12-16 8103ㇾ  EF651019  SEPレインボー JR東海/東海道本線:由比-興津


魅力的なD型電機~ED62

2018-06-21 19:00:00 | 鉄道写真(EL)

飯田線で最後の活躍をしていたED18・ED19の置き換えのために、ED61を改造して生まれたED62型電気機関車。D型電機の中で唯一御召列車の撮影ができたのがこのED62だった。かといって、アントンKにはそれほど思い入れはなく、ED18やED19を追い出した機関車としてのイメージが強かった。

晩年、飯田線の貨物列車に細々と活躍していたED62に会いに行ったことが数回あった。何しろ飯田線、それも北部は、風光明媚という言葉が相応しく、アルプス連峰に囲まれていて写欲をそそられたものだ。掲載写真は、有名な七久保のカーブを行くED62重連のローカル貨物列車。運用の都合で重連になるだけであり、総括運転でもないから、今一つ迫力はないものの、大きな檜舞台に躍り出たED62は美しくたくましく見えた。清々しい空気の中、のんびりとした時間を過ごし、やがて現れる貨物列車を待つことの贅沢。撮影後、安堵して帰路に就く時に浮かぶお気に入りのメロディ。こんな想いはとんとご無沙汰。少し旅してこようかな・・

1992-02-28   5273ㇾ ED625+6       JR東海:七久保-伊那本郷


ロジェストヴェンスキーの訃報

2018-06-21 10:00:00 | 音楽/芸術

ロシアの代表的な指揮者であるゲンナジー・ロジェストヴェンスキーが今月亡くなった。(87歳)

チェリストの巨匠ロストロポーヴィチ、巨漢エフゲニ・スヴェトラーノフ、そしてゲンナジー・ロジェストヴェンスキーと、アントンKの中でのロシアの指揮者界の三大巨匠が次々と逝ってしまい寂しくなったものだ。この3人、実演ではほんの数回の限られた体験のみであり、そのほとんどが録音での印象となってしまったが、その演奏にはそれぞれに固有の切り立った個性があり、3人とも大好きが指揮者だった。

ロジェストヴェンスキーは、「オーケストラの魔術師」と言われていたが、確かに自国の作品を振った時の、誰も寄せ付けない煌びやかな色彩感は、今思い出しても固有のもので、ファンに魔術師と言わしめた由縁なのだろう。録音では、チャイコフスキーの3つのバレエ音楽がどれも素晴らしいが、やはり「白鳥の湖」が群を抜いている。第三幕の悦に入った解釈はどうだろう。そして第四幕での終曲へと上り詰める感情移入は、この指揮者の真骨頂だ。

読響を振ったブルックナーの第5番も、今となっては良い思い出となった。ちょうど1年前の演奏会。(2017年5月、芸劇)スクロヴァチャフスキの代役で来日し、このブルックナーをシャルク改訂版で演奏したのだ。実演は、この日が最後となってしまったが、終演後の鳴りやまない拍手に、総譜を示して我々におどけて見せたあの表情は、このブル5とともに一生の宝物となった。