国鉄時代からJRに代わってから、輸送形態が大きく変わってしまった一つに貨物輸送がある。JR貨物として分割してしまったから、時間とともに旧来の日常の光景は自然淘汰されていった。全国にあった操車場も姿を消し、数多く見ることのできた貨物取扱駅も減少してしまった。これには、高速道路網の発達によるトラック輸送の急増など、社会的な要因も多いが、趣味的見地から言えば、御多分に漏れず、随分と画一化され、詰まらなくなったと言わざるを得ない。こんな現状から、自分なりの楽しみを見出すことで、この趣味の継続はあり得ると信じているものの、最近のアントンK、少したるんで来たようで、ここらで自ら戒めていけなければならないか・・・
ネガカラーからスキャンした眠たい画像を掲載。まだ全国的に盲腸線や地方ローカル線にも貨物列車が走っていた時代。これは吾妻線のローカル列車。この時代、終点の羽根尾まで一往復と、途中の小野上までの一往復と1日2往復の設定があったと記憶している。当時、両毛線や吾妻線を走っていたEF12も、トキ4両を従えのんびりと鉄橋を渡って、どこか当時の緩い時間が偲ばれる。
1975-09-27 1194ㇾ EF1215 吾妻線:祖母島-小野上にて