マジョルカピンク

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大震災から2年

2013-03-11 23:39:33 | 政治・時事
東日本大震災から今日で2年がたちました。
会社の人たちと地震発生の14:46に1分間の黙祷を捧げる。
おのずと2年前のあの日が思い出されます。

金曜日のその日、勤務中妙に長く奇妙な揺れを感じ、すぐネットを見て震度の大きさに愕然。北海道でこの揺れなのだから震源地に近い東北はどんなにか揺れただろうと思うまもなくその後大津波警報が東日本の海岸全域に出され、ワンセグでNHKの生中継を見て目が釘付けに。住宅街や田畑を火災をも巻き込んだ真っ黒い津波が次々に埋め尽くしていく異様な映像に、信じられないことが起きていると戦慄しました。日本はこれからどうなってしまう?と目の前が真っ暗になったような気持ち。
なのにあの日は会社の後輩2名の送別会があり、夜は居酒屋にいたんですよね・・。飲みながら、こんなことしていていいのかな、今頃被災地はどうなっているのかななどと後ろめたい気持ちもあり気が気じゃなかったのを覚えています。
あの年雪はすでにかなり溶けてきていて、今年とは全然風景が違った気がする。

2年は長いような短いような。
政権が変わり、2年の間にはいろいろなことがありました。私自身を取り巻く状況も少しの変化があったり。
でも相変わらず被災地を取り巻く状況は厳しく、復興も遅々として進みません・・。これが非常に意外なことで、日本人は逆境に遭ってもまた立ち上がり、再生に向かって一丸となっていくものと思っていました。
ところが今回の震災はやはり未曾有の大災害であり、またいつ大津波が襲ってくるか予測もできない状況で、元の土地でやり直すのか、新天地で再出発するのか、沿岸部はどうするのか、漁業はどうするのか、原発は、瓦礫は、と課題が山積みです。
昨年は復興の名を語り全く関係の無さそうな事業に予算があてがわれるなど、耳を疑うような行政の手口にがっくりきたり、「絆」はどこへいったのかなと思わせるようなこともしばしば目に付きました。報道ステーションで防潮堤建設のニュースを見て、果たしてそういう方向性でいいのかな?と考えさせられたり。
でも2年前のあの日から私たちは人と人の絆やつながりなどを再認識させられ、再生に向かって一つになって頑張ろうと誓ってきたはずです。2年たち今や日ごろから震災のことばかり考えているわけではないけれど、でも日本人の心にあの日の無念さやくやしさ、深い悲しみというものは共通認識として刻まれているはずです。
東北が復興し被災者の方々の苦しみが癒える日まで、私も及ばずながら心の中で一人の日本人として経済を回し粛々と励むしかありません。私は被災地にボランティアに行ったわけでもないし実質何もしていないのも同然なのですが、いつか必ず被災地を自分の足で歩いて回りたいと思っています。その時はまた生き生きとした観光地として蘇っていますように。東北にたくさんお金を落としてきたいと思います。


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