マジョルカピンク

水曜どうでしょう。大泉洋。大谷翔平。大好き

網走へ

2018-09-18 14:24:28 | 日記

先週の金曜日は仕事の後札ドへ。 大地震のあと、ファイターズ初めてのホームゲーム。 最近少しピリっとしない試合が続いていて、優勝の可能性は遠ざかり、3位を維持するのが精いっぱいというところ。 災害があったので奮起を期待したいしたいところでしたが、数試合中止になったり調整も難しいと思うし、こればっかりは仕方ない。勝利して道民みんなに勇気と喜びを与えてほしい、などと思っていましたが、実際に球場に入ると、グラウンドのビジョンも少なめ。グラウンドをぐるっと囲っている通路のビジョンもほぼ全消し。最小限の節電対策です。イニングごとに選手から被災者へのメッセージが流れ、なんとなくいつもと違う厳かな雰囲気の中での試合でした。選手たちも気負いがあるのでしょう、ガチガチで本来のパフォーマンスではないような・・いやいつも通りと言うべきか?(^^;正直苦しい内容でしたがなんとか勝てて良かったです。余震などもあったりで色々と落ち着かない中2万数千人もお客さんが集まった。ここに来ていた人たちはおそらくみんな無事だった人たちで。こうしてまたドームでファイターズ選手たちの野球を見ることが出来て。すごく有難い気持ちになりましたね。プロ野球を観れる幸せ。早く色んな事が元通りになりますように。 明けて週末の3連休は実家に戻っていました。 うちの田舎の方はほとんど揺れを感じなかった地域なのですが、やはり家族や地元の友人たちと会って話すのは停電の時の話。町は酪農王国なので、乳牛には相当影響があったようです。 ニュースでは今回の震災による深刻な経済への影響の話が。 およそ百万人弱の宿泊キャンセルとはエライことですね。確かに近年の北海道への観光客の増加は異常で、札駅辺りにいると本当に外国人観光客だらけ。まあ大地震のあったところに、すぐには行きたくないでしょう。地震時のゴタゴタを見ていても観光客の方々は大変な目に遭われたようなので。 まあ今は仕方ないです。また落ち着いてから、良かったらお越しくださいませ、としか言えません。 観光地が閑古鳥だというので、日曜日は網走に家族でサンゴ草と網走監獄を見に行って参りました。

ちょっと薄曇りのお天気でしたので色もくすんで見えますが、肉眼で見るともっときれい。晴れていればもっと鮮やかに見えたはず。この赤いのは紅葉の一種で、近くで見ると大したことは無いんですが、遠くから眺めるとなかなかの景色なのです。少し時期には早かったようで、もう少し季節が進めばもっともっと当たり一面真っ赤になるはず。

 

で、そのあと美幌峠か網走監獄に行くかで悩みましたが、私は断然網走監獄派。なんといっても今マイブームの「ゴールデンカムイ」の重要な舞台になっているところですし、なんか昔からここを見学するのが大好きで。実は3、4回目ですね。まあ今回は10年ぶりぐらいに訪れたわけですけど、施設はかなり整備増築されており、展示なども以前に比べて一層充実していました。

網走監獄というと北海道史における負の歴史といいますか、明治に入って対ロシアの防衛対策の観点から北海道に急ピッチで国道を張り巡らす工事の人夫に受刑者を使うという、ちょっと今の時代だと人権問題に発展するような政策で、大勢の受刑者を収容するための大きな刑務所が網走に作られたわけです。「網走行き」「網走帰り」とも言われ凶悪犯、政治犯などが多く集められました。極寒の地での厳しい労働は工事中に多くの死者を出しました。人道的に問題があるということで、近年この政策はなくなり、今は普通の刑務所なのですが、負の面があるとはいえ北海道の開拓の歴史とその発展を語るときはずせないものなのです。

かつては「網走番外地」という映画がシリーズで大ヒットし、俳優高倉健を一躍トップスターにしました。古い世代の方には網走=刑務所、というイメージがこの頃から根強く残っていると思います。

しかしこの網走市はそういった負のーメージを観光産業に変えました。古い建物など当時のままに天都山の上に再現し、公園のような博物館に仕上げました。中は再現性が高く、当時の過酷な受刑者たちの暮らしぶりが偲ばれ、見ごたえたっぷりです。


ブラックアウト

2018-09-14 17:28:50 | 政治・時事
9/6未明の大地震から1週間以上が過ぎた。
震源地に近かった安平町、厚真町、むかわ町、千歳市、恵庭市、北広島市、そして道路陥没液状化現象に悩まされている東区、清田区の皆さんを思うと非常に申し訳なく思うくらい、ありふれた日常が戻ってきている。
昨日の夜円山で焼きたてのパンが買え、スタバでラテが飲めてあらためてホっとした。いつもの日々です。
ただ常に頭にあること。電力がひっ迫しているので20%の節電をそうでなければ計画停電になるかも、というアナウンス。先日の地震で苫東厚真の発電所が何基もやられてしまったので、このままでは地震前のピーク時をカバーできないという。
やっと明かりが戻ってきたと思ったらこれかよ…やれやれである。

日本人の節電意識は、東日本大震災の前と後で大きく変化したと思う。
福島のあの惨状。今も増え続ける核のゴミ。元々反原発派だった自分でさえ、新たに学ぶことも多かった。
原子力はひとたび事故が起こればその汚染被害はとめどなく、未来永劫管理していかなければならないもの。しかし厄介なのがその汚染は目に見えず、匂いもしない。たとえそれが原因で様々な病気になったとしても、国は責任を取らなくていい仕組みだ。立証できない、で終わる話だから。
あの原発事故さえなければ、東北の復興はもっと早く進んだと思う。風評被害が後を絶たないのも、問題が解決していないからだ。なのに、人間は忘れやすい生き物である。喉元過ぎれば熱さを忘れる。先日の北海道全域に及ぶ大停電とこの計画停電の話で、今こそ泊原子力発電所を再稼働させろと喧しい。なんて短絡的なんだろう。少ない国土を脅かし将来的に見ても莫大なコストがかかる原発を、なぜ人々は軽々しくまた動かそうなんて言うのかな。

札幌に住んでン十年。停電というのに逢ったことが無い。それが今回北海道全域という規模に加え、長時間であったこともあり、このブラックアウトはかなり道民にインパクトを与えた。
なんでも電気を使う世の中だ。ひとたび停電になれば文明の利器は途絶えてしまう。水も出ない、冷暖房器具も動かない、トイレにも行けない、調理も出来ない、冷蔵庫の物は腐る、何より情報が入らない。死活問題なのである。
今の世の中、支払いもスマホでという人も多いだろう。現金を持ち歩かない人が、手持ちのお金もないしATMも動かないから何も買えないとお手上げ状態だった。
揺れが続く中での暗闇も怖かった。地震の夜電気が点いた時は心底ホッとした。テレビやネットの有難さも身に染みた。だから電気のありがたみは当然感じているし、北電の現場の人は復旧作業の為努力してくれたのだろう。そのことについては本当に感謝している。私が言いたいのはこんな脆弱なシステムじゃ何か他の要因でブラックアウトした可能性もあったじゃんと。北電の設計ミス。道の管理の甘さ。国の電気事業におけるインフラ整備をしない無責任さ、である。
もう自分には、原発再稼働をしたいがために、こういう混乱を招いてわざと危機感をあおっているとしか思えないのよ。正直北電さんも政府もあまり信用していない。今回の件について納得いく説明がされてなく、隠していることがあると思う。自分は昨日の夜の道新の記事を面白く読んだ。あーこういう顛末だったのかもね、と腑に落ちた。
20%目標は達成されなかったのに、早々に今日さきほど節電の話は取り下げられた。メドがたったので今後は全体で1割程度の~と言っていたがなんか変だね。今後計画停電は行わない見込みで、冬になっても大丈夫であろうというガバガバの見通しである。あんまりコロっと変わったので、最初から別に足りてなかったんじゃない?と思えてならない。評判が悪かったから下げたような気がする。電力事業はあまりに不透明で利権だらけ。素人にももっとわかるようになればいいんだけどな。国策レベルの話になるから難しいのかね。
ただまあ限られたエネルギーをシェアするという観点から、節電は日ごろから各々気を付ければいい。ただ今後電気離れは北海道では起こると思う。あまりにも電力一辺倒に依存し過ぎだ。安定供給できないなんて言語道断。ますます他のエネルギーへの転換を視野に入れたい。

はじめての大地震2

2018-09-11 19:32:10 | 政治・時事
地震の話の第二弾です。
我が家の電気が復旧したのが6日の17時45分頃。危険回避のためブレイカーを下げていましたが、隣のアパートからなんか色んな音が聞こえてきたのでもしやと思ったら復旧していた。
停電になってから約9時間ぐらい?いやーその時間の長くて不安なこと。未明に停電になったので、実際に私が闇の中で過ごしたのは夜が明けるまでの2時間弱ぐらいなんだけど、明かりが点いた時はホッとしたし、かなり救われた気持ちになりましたね。電気が消え真っ暗になった時、役に立ったのが私の場合はアロマキャンドル。
まーこの今回の北海道大停電については近いうちにそのことだけについて書くとする。正直地震が引き金とはいえ、この停電については本当に酷いと思う。人災もいいところ。はっきり言ってかなりはらわたが煮えくり返っています。まあこの話は後日たっぷり。
とにかく電気が来てない時っていうのは、なんとも静かだし変な感じだった。サイレンやヘリコプターの音ばかり聞こえる。情報が入らないし、落ち着かない。この状態がいつまで続くのかもわからない。6日朝連絡網で会社から通達があり、安全が確認されるまで社員は自宅待機とのこと。もとより会社も停電では何もできませんわ。思わぬ休暇になってしまった。
友人と家でただただ不安だねー。これからどーなるのかなーみたいな話を延々と。
ネットを見ると厚真町、むかわ町、安平町あたりの被害状況が酷い。土砂崩れ、家屋倒壊、行方不明の映像はここ数年もう何度も見ましたよね・・。辛いですね。札幌市内は公共交通機関は全部止まってる。道路も信号が点いてないないので車はそれぞれ譲り合いながら。千歳、北広島の辺りも場所によっては酷い。札幌市内で一番酷いのは清田区、その次が東区?道路が陥没したり液状化している。その状態は刻一刻と変化し、住宅も傾きだした。とにかく6日の日は家にあるものを食べて、なんとかやり過ごす。店がほとんど空いてないので、食料が心配。メールやLINE等で友人たちから色んな情報が入ってくるんだけど、有益なものもデマもあり。ただ、こういう状況、自分だけではないんだなという繋がりは感じましたね。

7日になって朝からご飯を炊いてレトルトカレーとスープを友人と食べる。軽く地震でショックを受けている友人は食欲が無いと言っていたけど、温かい食べ物で少しだけ元気になった。ネットももちろん役立つけど、テレビの有難さ。やっぱり情報的にも信用できるし、不安・寂しさが紛れるわ。見れなった日の昼間も、こうして地震の特番をやっていたんだろうね。7日になっても札幌市内でも電気が点いたとこ、点かないとこがあって、それはもう雲泥の差。
同じ地区なのに一つ通りを隔てたところで電気がきてる、きてないと分かれていたりして、どういう分かれ方なのか、かなり議論を呼びました。どうも、大きな病院・役所・小学校など避難所指定されているところを優先しているらしいとの噂。大きな商業施設、タワーマンションなどは電力を大量消費するので様子を見ながら復旧させていったようだと。でもその条件に当てはまらない地区もあったし、結局基準はよくわからない。早い所は6日の午後すぐ。遅い所は7日の深夜とかなり差があって、遅かった地域の人たちはみんな困っていたし憤慨していました。

テレビの情報などを見て、近くの開いていると噂のあったスーパーへ。電気は消えていて、限定的な場所で限定的な販売だったけれどここで当座の食糧や日用品が買えた。あんまり並ばずに済んだし、お店もよく頑張ってくれた。レジが使えないので連携して、多分つけ直したであろう値段を読み上げる人と電卓叩く人、袋につめる人、非常時なので昔みたいな体制で販売してくれました。ありがとう。店先に並んでいるときは、なんか自分がこんな立場になるなんて不思議~と呑気に考えていました。多分、家が倒壊したとか物が壊れたとか家族と連絡がつかないとか、そういう事態じゃないからなんだよね。被災者っぽいけど、怖い思いはしたけど多分全然。東日本や熊本の足元にも及ばないと思いますよ。所詮不便なだけですもん。

明けて8日ぐらいから日常が戻ってきた感じ。ぼちぼち営業するお店なども増えてきた。
乾電池や懐中電灯や、モバイルバッテリーやら、パン、お弁当、玉子、乳製品、納豆豆腐などの大豆食品などすぐ食べられるものもしくは生鮮食料品は全然無いんだけど、他のものは手に入る。8日はランチをやっているお店もあってお客さん同士で地震の話で盛り上がったり、午後からは妹の家に行ってとにかくマシンガントーク。このはじめての大地震の話はしばらく尽きそうにない。
月曜日からは会社も平常営業。勤務先は土木設計の会社なので、すでに災害対応で忙しい。またいつもの日々が始まりました。

はじめての大地震1

2018-09-09 11:38:37 | 政治・時事
9月5日の日にピラティス教室にて、その前日台風による強風で一晩寝られなかったとか怖かったとかいう話から防災の話題になり、今度災害が起こったら避難所とか行く?という話になった。我が家の避難先は一応近隣の小学校が指定なのだけど、正直言って家が壊れて住めないとか余程の事が無い限り行かないと思うとその時答えた。
その未明、3時過ぎくらいに何故か目が覚め、手元のスマホを見ながらベッドの上でうとうとしていた。当然起きるには早すぎる。二度寝するつもりだったその矢先。カタカタと部屋全体が揺れている。あー地震だわと思う。2かな3ぐらいかなと思いながらじっとしていると横揺れが酷くなり凄まじい衝撃がアパート全体を襲った。バリバリバリドカーンって感じ。このアパートもうダメだ。あー死ぬのか・・と思った。
そうこうしているうちに揺れが収まったので、助かった、と。同時に札幌でこの衝撃ということは他はどうなの?震源地は?と気になる。スマホ見る。まだ初期の情報だ。起き上がって外を見る。何事もなかったかのように静かだ。テレビ点ける。NHKで緊急の特番が始まった。宿直のアナが一応スーツ姿にヘルメットで伝える。震源地は安平町?地震が広範囲すぎて情報を目で追うのが精一杯。震度が札幌でも5だの6だの。個人的にこんなデカい地震は経験したことない。やーこれは大変なことだわ。妹から「無事?」とLINEが届く。と思っているうちにテレビも電気も消え真っ暗になった。停電。あーこれはマズイことになった、と事態の深刻さを憂う。

防災ラジオとかもないので、スマホの情報が頼みの綱。しかーしスマホはバッテリーがもたない・・。充電式のモバイルバッテリーが無く、乾電池を入れるタイプのものでやり過ごすしかない。しかし乾電池の在庫もちょっとだけ。省電力モードでネットを見る。そのうちこの停電どうやら北海道全域らしいとわかる。とりあえずうちは水とガスが使えたので、ちょっと落ち着いた。近所に住んでいる友人からLINEが。高層マンションなので停電になると水が出ないそう。すごく怯えていたので、明るくなってからうちに来るように言って、その後この友人と金曜の夜まで我が家でしばらく一緒に過ごしました。

オホーツク沿岸の実家に電話したのですが、あちらの方は全然揺れなくて、全く状況を把握してませんでした。
朝起きて、電気つかない、テレビも入らないなんやねんと。大きな地震があったんだよ!と伝えたものの携帯も聞こえ難くて。結局うちの実家が電気復旧したのは金曜の深夜でした。

あれほどの揺れだったのに、部屋の中は戸棚の物や並べていた小物が少し落ちた程度。全く被害とかはない。すぐに乾電池や食料の確保、と思ったけれども朝の6時ぐらいの時点で、すでに今から並んでも無理だろうと悟る。どこも基本営業してないし、わずかにやっていたのがセイコーマート。地元の味方だね。でもそこも限られたものしかないので。
私と友人は近くの商店街の小さな市場に行き、かろうじて売っていた少しばかりの野菜とかゼリーとかお菓子とかを買い求めました。
今回痛感したのが普段からの備蓄ね。都会こそ脆弱だと思ったわ。いつでも手に入るからそんなにたくさん食料だの日用品だの備えてないほうが普通ですよね。うちなんかお米も少なくなってて味噌も切らしてて。全然だめだなと。レトルトだのプロテインバーだの保存がきくものや防災グッズは、普段からちゃんと持ってないとダメよね。