マジョルカピンク

水曜どうでしょう。大泉洋。大谷翔平。大好き

北の桜守

2019-02-08 18:18:46 | 映画

先日DVDで「北の桜守」を見ました。

ぶっちゃけチョイスに失敗しました(^^;

週末何か映画でも見たいと思ったのですが、なんかダルくて遠出する気にならず。

ミステリーとか問題作よりも感動して癒される作品が見たいと思ったし、北の3部作で「北のカナリアたち」が結構良かったので。

いやーしかしこの作品は完走が苦痛なほど?な作品でした。

 

戦時中樺太で暮らしていた家族が、旦那が出征しロシアの侵攻で本土に渡ることを余儀なくされ旦那の網走で落ち合おうという言葉を頼りに北海道に行くわけですが、旦那は戦死し長男も失い、次男の二人だけの苦しい生活の中で母は懸命に息子を育てる。家を離れ事業主として次男は札幌で成功するが網走に一人残されていた母は認知症になっていて…という悲しいお話。

吉永小百合版女の一生って感じですね。

 

色々とこの作品言いたいことあるんですが…

前2作に比べ予算がないのか「北の零年」「北のカナリアたち」のようなスケールの大きさも大作としてのゴージャス感も全然ないんだよね。

主人公が亡くなった夫にひたすら操を尽くし再婚もせず、長男を亡くしてしまったことを深く後悔し、次男には迷惑をかけまいとひたすら我慢我慢。古い時代の理想の母親像というか、自分の人生のすべてを家族に捧げた女性の話。でもそんな女性像って正直女の側から見るのは辛い。まるで戦前の価値観の押し付けのように感じてしまった。

このようにヒロイン像に魅力が無いので吉永小百合の無駄使いになっている。そして阿部寛や佐藤浩市が相手というのはさすがにキツいし。今作では持ち前の可憐さ美貌も衰えが見え始めてそれも悲しかった。

時々状況を説明するシーンで何故か舞台劇風な演出があり、意味不明でした。脚本も破綻していてポイントが「桜」なのか「おにぎり」なのか「カメラ」なのか…。テーマも家族愛なのか夫婦愛なのか介護なのか、ボヤける。そもそも北海道が舞台である必然性が全然ないんだよなあ。

稚内~網走~札幌~旭川と行ったり来たりしてるけど、今ほど特急だらけじゃなかった70年代にそんなアクセス良くないよ。お礼参りとか言って崖みたいなところをおばあちゃんが山登りして参拝していたけどあれは瀬棚の太田山神社?なんで道南の神社(^^;とりあえず名所旧跡をちりばめましたという感じなのかな?親子が暮らしていた網走も周りに何にもないところで食堂経営してたり…「はあ?」という。正直北海道で桜っていうのもあまりピンとこないのね…咲くの5月頃だし山桜が多くて本州に比べるとそんなに綺麗でもないし。なんなのかな。日本の母親イコール桜の花っていうシンボリックなものを意図しているのでしょうか。これで滝田洋二郎監督那須真知子脚本だもんね。大御所なのにどうして。

まあ北海道でたくさんロケをしていただければ道民としてはありがたいし、高倉健さん、吉永小百合さんなどが北海道を舞台にたくさん映画を撮ってくださることは本当に光栄なことですが。

想像するに、大女優吉永さんに演じてもらう役が前提としてあり、それに合わせてお話しを作りキャストを集め、ってなるから色々チグハグになったんじゃないかなと思います。日本に限らずおばさんやおばあさんを主演に面白いドラマなり映画なりを作るって難しいですよ。年取った女性には仕事が無いし、社会の中では妻か母でしかないことが多いから。桐野夏生の「OUT」はそこに風穴を開けた凄い作品だったんですが…。まあとにかく吉永小百合作品となると超えるべきハードルや制約が多くて大変なのだろうと思います。本人がいつまでも清純なイメージの方なので汚れ役とかもできないしね。難しいですね。


こんな夜更けにバナナかよ

2019-01-11 18:48:48 | 映画

今更ですが明けましておめでとうございます(^^;

 

すっかり更新も滞り、たまにしか利用しないこのブログですが、今年もボチボチ気が向いた時のみやっていきますね。

さて大泉洋ちゃん大好きな私。お正月映画に主演していることもあり、有難いことに年末年始のテレビの特番などに大泉さんが宣伝を兼ねてたくさん出演してくれて私としては嬉しい限り。特にTBSさんは、日テレ資本の映画なのにもかかわらず正月のゴールデンタイムを2日間も大泉さんで占領するとか夢のよう。これはいずれ紅白の司会も近いぜ!!

 

その楽しみにしていた映画「こんな夜更けにバナナかよ」見てまいりました。

とても良かったです。

何というかな…私は自分を善良な人間だと思ってはいるんですが、一方で偽善的であるとも思っており…。その理由のひとつに、こういう福祉的なことに全然興味が無いんですよね。子どもなら親戚の子も他人の子も大好きで子どもの面倒ならみたいけど、高齢の方、障碍を持った方の面倒ってみれるかな?自分なら出来ないんじゃないかなと思う。実家に帰省している間も病気がちな母を助けたいとあれこれ頑張ったんだけど、何度も喧嘩してしまいました。まあ仲が良いので結局は簡単に仲直りしちゃうんだけど。本当に腹が立った時はだーれがこんな母親の面倒なんか看るかよ!プンプン!ってなっちゃう。その根底にあるのは、「こっちは色んなこと犠牲にして面倒見てあげているのに、なにさその態度」って感じちゃうってとこなのよ。

障碍を持っている方、病気の方、本当に本当に大変だと思う。私なんてちょっと体調不良になっただけでたちまちネガティブになってしまうヘタレです。とても重い病・重い障碍とか耐えられない。好きでそうなる人はいないし。だからその大変さ、想像もつかないしそういう状況の方、そういう重いものを抱えている方、尊敬します。

でもどこか自分は他人事というか、自分の問題としてあまり考えてこなかった。

自分は幸運なことに健康に恵まれた。そうでない人は行政の、福祉の手を借りてどうか頑張って、ってな感じ。ボランティアもほとんどしたことないです。

自分の中には、何か労働が発生したらそれは対価を支払うべきであり、人の厚意に甘えるのはちょっと違うのではないかという気持ちがあるんですよね。

ちょっと問題は違うけどブラック企業とか、日本型のサービス残業みたいなのも嫌いで、立場の弱い人の厚意に社会が甘えんじゃないよ、と思ってしまう。だからもし他人の手を借りないと生きられない方がいるとして、それは普通に雇用して仕事として賃金を支払えばいいのであって、家族や周囲の人に負担を強いるのも違うよなと思ったりして。

でもこの映画はそういう自分の価値観みたいなものをかなり揺るがせるような作品だった。

この話に出て来る鹿野さんは筋ジスに侵され、命に限りのある方。それこそ他人の力を全面的に借りないと生きられないが、入院暮らしは嫌だと病院を飛び出し自力でボランティアを集め、暮らしている。そんなこと可能なの?と訝ってしまうけど、鹿野さんのなんというかポジティブな人間力に、人が集まってきちゃうんだね。

障碍者をテーマにした作品だとこれまでだとどうしてもお涙頂戴というか、悲劇的で湿っぽくなってしまうけどこの映画は違う。鹿野さんは弁が立つし自分勝手でわがままで自由奔放だ。作品の冒頭ではなんでこの人こんなに傍若無人なの?と思ってしまう。そこに見る人の固定観念とかいろんなものが炙り出されると思うのね。他人の厚意、介助を受ける側ならもう少ししおらしくしなさいよ、というね。

でも映画が進むうちに実に色んなことを考えてしまう。作品中の鹿野さんの言葉にハッとさせられたり。「僕と君たちは対等なんだ」「人に迷惑をかけて生きてもいいんだ」これらはかなりのパワーワードだと思った。何故なら日本人は他人に迷惑をかけないようにと躾けられ生きてきたし、最近のネット事件などみても、世間を騒がせ迷惑をかけたから謝罪しろ、というのがトレンドだもん。でも迷惑かけて生きたっていいじゃないお互い様なんだから、と言われると「うん…」と思っちゃうし、なんか胸のつかえが取れたような気もする。そっか一生懸命生きていれば人に迷惑かけることだってあるよな、大丈夫なんだなとスーっと心がラクになる。なんなら「迷惑」ってそもそもなんだろう、とまで考えてしまう。

 

鹿野さんの生き方をみんなが真似しろとは言わないけど、弱者が切り捨てられようとしている自己責任国家になり下がった最近の日本に一石を投じる作品ではないか。

お互い様なんだからみんなサポートし合って頑張って生きようよ!という熱いメッセージをもらったような気がする。障碍者を聖人扱いせず、デリケートな性の問題なんかもサラリと入れ、リアリティとユーモアを両立させてみせたこの作品、今年度公開された実写邦画の中ではかなり良いほうじゃないかな。大泉さんの熱演も光りました。新たな代表作かなと思う。

 

 


オーシャンズ8

2018-08-31 10:34:00 | 映画
昨日のレディースデーに「オーシャンズ8」を見てきました。
いやーまさにハリウッド映画という感じでしたね。ゴージャスで面白くてカッコイイ。
こういう女性が大活躍する作品大好きです。
サンドラ・ブロック、アン・ハサウェイ、ケイト・ウィンスレット、ヘレナ・ボナム・カーター、リアーナなどなど主演級の女優が大集合。それぞれの分野のエキスパートが集まり総力を挙げて大犯罪をやってのけちゃう、というのは王道のエンタメですが、全員女っていうのが痛快です。計画は完璧で、その手口はお見事というしかない。まあ映画なんで(^^;確実性の低い段取りもありましたが、全然OK。盗んだものが世界的ブランドのアンティークジュエリーというのがまたあんまり罪悪感を感じなくていいわ。メットガラの裏側やメトロポリタン美術館などNYのセレブレティなカルチャーが出てくるのもポイント高い。
ずっと7人グループでやってきて、8人目は誰よと思わせておいての(ハッカーの妹か?とか)タネ明かしも楽しかった。頭が良いって大正義だね。全員が自分の役割を果たして活躍するとか、ある種のお仕事ムービーでもありました。
とにかく女性が見て楽しく、スカっとする映画。一つだけ思ったのが、8人の中には色んな人種がメンバーにいるんだけど、こういうハリウッドの東洋人枠に日本人女優も入るようになってほしいなあって。

聲の形

2018-08-27 18:21:26 | 映画
土曜の夜、見たい番組が無かったのでちょっと気が進まなかったけど「聲の形」を見た。地上波初登場だと思う。この作品については「君の名は。」と同じような時期に公開され大ヒットし話題になっていたので、大まかなことは知っている。内容については当時賛否があり、自分はあらすじを見ただけで「ダメだわ~」と思ってしまった。なのになんとなく引き込まれて見てしまった。
繊細な映画だな、と思った。絵も、脚本も、声優さんの演技も。丹念に作り込まれた力作だと思う。障碍者といじめという難しい題材に挑戦していて意欲的だと感じた。若い人を中心にヒットしある程度評判も良かったので、作品としては成功したのだろうと思う。でも自分的には見る前の予想を超えない、ああやっぱりこういう映画か、と思ってしまった。良い作品だと思うけど、自分は好きじゃないという感想です。

自分がいじめられっ子のマインドがあるからかな。公開時、いじめをしたことのある人たちは何か赦しを得たような気分になって、感動するんじゃないかと言っていたレビューがありましたが正に正鵠を衝いていると思います。おそらくこの近年日本の学校に通っていて、少なからず人を虐めたり、または虐められたり、もしくはそれを目撃したり、という人はとても多いと思う。
その人たちの記憶の底にあるムズムズした感じ。あの時あんなことをしなければよかった、またはすればよかった、という後悔は澱のように溜まっていくもので、悔やんでも悔やみきれないよね。そして殆どの人はその澱を抱えたまま生きていくと思うし、それが人生だよなとも思う。
ところがこの作品ではこの心に重荷を抱えた主人公に贖罪の機会が与えられ、あろうことか虐めた相手から何年も経ってからあらためて好意を寄せられるのだ。
これは誰かを虐めた経験がある人にはカタルシスが得られる話だろう。
絶賛する人はこれはいじめや障碍がテーマの話ではない、コミュニケーションの話なのだという。まあそう言うのもわからなくはないけど、それなら虐めや障碍は扱わなければいいのになと思ってしまう。

ちょっと古い上にクドい話になりますが、李香蘭が大戦中に日本の映画に出演し長谷川和夫に顔を打たれ、その男のことを好きになる中国娘を演じました。当時日本ではこの映画は好意的に受け取られたそうですが、中国の人たちは大変怒り悲しんだとのことです。李香蘭は満州国で活躍した中国人を装った日本人の女優です。でも当時ファンの人たちはみんな李香蘭は中国人だと思っていました。占領下で日本人の男に頬を打たれ、相手を好きになってしまう中国人女性を大スター李香蘭が演じたことを、中国の人たちは物語に関係なく国辱に感じ、嘆いたのです。
ちょっと大げさかもしれませんが、今回の作品に似たようなものを感じてしまいました。
恋愛や友情を盛り上げる道具に、主人公の成長を描くために、安易にいじめや障碍を利用してませんか?ということ。この作品実際にいじめを受けたことがある人や障碍を持っている人、または身近にそのような人がいる方には評判が良くなかったはずです。
まあ最近の若い人向けの作品にはそういう、いわゆる感動ポルノ的な?安易に難病や不治の病なんかを扱った作品も多いのでこの作品だけをどうこういうのはフェアではないかもしれません。でもいい作品だけにもったいないと思ってしまったのです。

短い上映時間の中で登場人物の人物像を深く掘り下げることは難しいと思うし、アニメなのでそこまでのリアリティは必要ないのかなとも思いますが、登場人物もステレオタイプというか浅いです。小学生の時とはいえこんな虐めをした主人公が、このようなセンシティブな高校生になるでしょうか?またヒロインですが、すみません典型的なアニメのヒロインですね。可愛いくて天使のような心の持ち主です。ヒロインが可愛くなかったら物語にすらなりません。人間所詮顔かよ、となりますわな。障碍ある人を聖なるもの、のような存在で描くのもうやめません?とてもキツい言い方ですがヒロインに人間味が無いのがとても残念なんです。
障碍があるヒロインを杉野?という人がボコボコにするシーンも見ていられませんでした。警察に通報しないさいよ((´∀`))は置いといて、暴力でしか人とコミュニケーションをとれないなら、その人の方がよほど難があるぞ。

あ、ここまで書いてきてわかった。この作品、虐めだけでも大変な社会問題なのに、そこに障碍まで持ってくるという欲張りセットを、みんな辛いんだからわかり合って仲良く、などとご都合主義で片付けようとしているから胸糞なんだ。
個人的に、小学生にもなって障碍ある人を虐めるような人間が改心できるとはあまり思えない。
生まれ育った環境の中でそれが学べなかったのならかなり欠陥のある人だとマジで思う。
それにクラスメートイコール友達じゃない。
同じ世代の同じような地域に住んでいるというだけ。たまたま同じ教室に詰め込まれただけだ。
だから価値観が違ったり色んな人がいて当たり前。なので無理に仲良くする必要もないのである。感性が合わないの。むしろコミュニケーションをとらず、離れて暮らしなよ。違う政界の住人なんだよ。虐めた人はゆめゆめ赦されたい、などと思わないでほしいんだよなあ。いじめられた側にもずっと許さず恨み続ける自由ぐらい与えてあげてほしい。人を虐めていい理由なんてこの世には無く、虐められた人は事故に遭遇したようなもの。その被害に対する補償もなく、今度は自分が良心の呵責に耐えられないから赦せという。加害者はどんだけ被害者に甘えているのかな。この作品の中で硝子という人は菩薩のように慈愛に満ちているけど、人間として描かれていなくて可哀想だと思う。

盗作と言わないで

2018-08-24 17:19:31 | 映画
異例のヒットとなっている話題の映画「カメラを止めるな!」
自分は3回見てきました。1回目は前半のいかにも低予算のノンカットゾンビムービーにゲンナリ、途中「?」となり後半は爆笑と驚きと感動。これをネタが全てわかった状態で最初から見たくて2回目鑑賞。その気持ち良さを再度味わいたくて3度目、とすっかり制作側の術中にハマってしまった。全く知らなかった役者さんたちに愛着が湧き、近頃ゲリラ的に上映後出演者が舞台あいさつに登場したりしているという東京をあらためて羨ましく思ってしまったり。
何度見てもその魅力が色あせない傑作だとつくづく思いました。
やはり1度目は噂が先行しているけどどんな映画なの?と疑心暗鬼になって見ているので、色々見落としていることも多いと、後になって気付く。2回3回と見て、ああなるほど!とかそういうことだったのかとか、あらためて緻密に作られた脚本と演出に敬意を表したい。世界的にも通用すると思うし。ただ報道ステーションで親子でとか小さい子供でも楽しめるとか強調していましたけど、さすがにそれは無理が(^^;冒頭37分のゾンビ映画が妙に怖くてグロいので小学生以下にはお勧めしたくないわ。トラウマになるよ。

さて。この間メディアはこの作品の原案とされている演出家の和田氏から盗作と指摘されているなどのイヤなニュースで沸いた。
この作品を見ると、そのアイデアの奇抜さと秀逸さゆえ、監督のインタビューなどを見たくなるし、どこから発想を得たのかと知りたくなる。自分もそうでした。で、インタビューを読んだり見たりしていて、以前に見た舞台からヒントを得たとあって、その時にまるっきりオリジナルというわけではないんだなと自分は理解していました。で、その発想の元になった舞台も見て見たいとも思ったし。舞台関係者も絶賛したとあったので、なんとなくいろんなことが上手く運んで良かったねーぐらいにしか思わず。まさか後々この件で問題になるとはねー。
このニュースを知った時本当に出る杭は打たれる文化だよな日本は、と憤りを覚えました。安易にパクりとか盗作とか、刺激的な言葉を使わないでほしいものだと思う。
この問題はレアケースであると同時に、創作する上で痛し痒しのなかなか難しい部分があると思うのだ。そんな単純な話ではない。

この作品は○○製作委員会などの大手資本で作られたメジャーな作品とは違う。ENBUゼミナールのワークショップの一環で作られたもの。試写で評判がよく、都内2館の上映へ。各映画祭への出品、好評を得て受賞。口コミでじわじわ広がり、全国でのべ200館を超え拡大。なんと興行収入ランキングにまで姿を現した。自主映画作品で、こんな経緯をたどってヒットした作品てかつてないと思う。急な成功ゆえ監督も制作会社も喜びながらもかなり困惑しているように思う。そもそも興行で収入を得ようと想定されてないのだから、権利関係などの面が曖昧だったのも仕方ないと思う。インディーズの危うさであります。

舞台と映画両方を知るネット上の一般の方々(とお見受けする)の話を総合すると、原作だと主張するほどの類似点はなく原案どまりであろうということ。原作にしろと主張している方の劇団はすでに無く、解散した際に舞台のDVDを事前に予約販売しておいてそのお金を持ち逃げしたとの話もある。実際氏はテレビなどに出てはいるが顔を隠している。
真偽のほどは当事者にしかわからない。降ってわいたようなこの作品のバブルにあやかりたい、つまりお金なのかなあと自分は感じる。ただまあ、私も札幌で数々の舞台作品を見ているけど、こういったことは氷山の一角。小劇団あるあるではないかと思う。事実私も札幌の小さな劇団の舞台の話に「そっくりじゃん」と思った映画、ドラマを見たことがある。劇団のほうが先、映像は後。でも映像作品の方はメジャーだ。でも特に話題になったことはない。舞台は見た人の分母があまりに小さい。パクりではないかもしれないし、たまたまなのかもしれない。真相は闇の中だ。今回の騒動もそうだけど、舞台というのはナマモノであり、しっかり映像化してでもいない限り検証が難しいと思う。脚本を読んだとしても作品のビジュアルなことはわからないだろうし演者によって物語のニュアンスまでも変わってくると思う。ここが映像や書籍などと違う難しい所。

せっかくこの作品が盛り上がっているさ中水を差されたようで非常に残念だと思う。
(以下作品ネタバレ多し)
疑惑をかけられ見に行くのを辞めた人も多いのではないかと思う。でもそれはとてももったいない。キャッチコピーにあるように、この映画は二度始まる。そのアイデアを盗まれたと原作を主張する人は言う。でも自分が心を動かされたところはそこじゃない。
映画による映画へのアンチテーゼであるとともに、映画への熱いラブコールであるところが素晴らしいのである。当事者には痛快かつ耳が痛いであろう業界あるあるが面白い。いいかげんなプロデューサー、業界ずれした薄っぺらいアイドル女優、いっぱしの演技派気取りの俳優、脚本に難癖をつけ、これはできない、やりたくないなど文句ばかり。監督は予算も時間もない中そこそこのクオリティの作品を撮ることを求められる。各所に頭を下げ板挟みにあい、頑張って品質の低い仕事に取り組まなければいけないという辛さ。クリエイティブな世界のはずなのにクリエイターの矜持はどこへやら。どこか日本のサラリーマンの理不尽な悲哀を思わせる。
生中継中数々のアクシデントに見舞われながらも番組を成立させるべく、バラバラだった曲者たちがプロ意識でなんとかこの作品を完成させようとするさまは、非常にベタなカタルシスがあり泣けました。このなんだかわかんないけど一致団結してやり遂げよう!というマインド、とても日本人的かもしれません。このお仕事ドラマかつ業界あるあるに親子の絆まで織り交ぜたりして、本当にこの脚本はよくできている。普通ならとっ散らかって収集付かないだろう。
自分はこの辺がこの作品のキモだと思うし、この部分が監督のオリジナルだから原案で十分という話に一票。そんなことを言いだしたらあらゆるケースに適用される。「ナースのお仕事」は佐々木倫子の「おたんこナース」に似てるし、「ライオンキング」は手塚治虫「ジャングル大帝」に似ている。「スターウォーズ」だって元をただせば黒澤明「隠し砦の三悪人」だ。「ゲド戦記」なんかは原作とした作品とジブリアニメは全然別物で原作者は怒っていたというような話も聞いたことがある。今の世の中完全なオリジナルストーリーなんてほとんどないのではないかと思う。
またワンカットの長回し、ゾンビへの偏愛など映画狂の心をくすぐる魅力にあふれ、無名なキャストたちも輝いている。集められた役者さんたちはドキュメンタリー風な演技をしているわけでかなり上手いと感じました。

とにかく監督が言うように、円満な解決になるといいと思う。騒動のおかげで観客が増えている部分もあるかもしれないけど、本意ではないと思うし。作品に傷がつき、監督もちょっとショックだおうと思うなあ。
なんでもそうだけどお金というのは人を変えるし揉め事の元にもなるしつくづく怖い。監督は今回の短期間でアゲてサゲられた顛末を次回作のアイデアにして、1本撮ると面白いかもね。