一昨日3月29日の多摩川べり 桜満開♪
3月27日 静岡県・三島神社
東海道だらだら歩き、3月27日三島宿到着。満開の桜のお出迎えでした。
私達の東海道だらだら歩きはこれにて終了。
詳しくは次回に。
最後の旅の前に、書きそびれていた第10回の平塚宿・大磯宿の報告を駆け足で。
2月11日 平塚駅から出発。
今日は私を含めて4人で歩く。
平塚宿
駅前商店街、ここが有名な平塚七夕祭りの会場。
湘南ベルマーレのJ1昇格のお祝い垂れ幕が下がり、ベルマーレの専用車も停車している。
こんな看板もあり賑やかな商店街だ。
マンホールの蓋には海と七夕と、見物に来た人たち。
ところが名所旧跡となると街道沿いには全く無い。
代わりにあるのは和菓子屋さん。2、30mおきに1軒ぐらいある。
古そうな看板に惹かれまずは豆屋さんへ。
歩き出してすぐにお土産を買ってしまった。「青えんどうの塩豆」、美味しくて、家で毎日ポリポリかじっていた。
老舗っぽい店構えではなかったが、「はまぐり最中」の看板に惹かれ店内へ。
あんこも皮も自家製。餡がぎっしり詰まっていて皮もパリパリ。
包装も一つ一つ柔らかな和紙に軽く包んであり、丁寧に作られている感じ。
店内にあるソファーで気さくな店のおばさんとお喋りしながら食べた。
和菓子屋は昔の半分程になり、ずいぶん少なくなってしまったとの話だったが、
道中でこんなに和菓子屋の多い街は初めてだ。
和菓子祭りと言うのもあるらしい。
創業を聞くのを忘れたが、間違いなく地元で愛されている和菓子屋のはず。
ここでもついお土産を買ってしまった。京都から仕入れたという雛あられ。
よそ様に渡すというと、箱に入れ、包装し、細い昔ながらの紙紐をかけてくれた。
一同ビックリ!!だって1000円もしないのです。
いつもと違い、いきなりお菓子とお茶とお土産。
更にダラダラ気分が加速して、寺や神社があっても中に入らず、門前でお辞儀をするだけになってしまった。
平塚宿
江戸方見付跡(江戸方面からの宿場町入り口)の看板があり、
その後は脇本陣、高札場、本陣の碑が建っている。
高札場は今でいう街の情報センター、幕府、宿場のお知らせ等が掲示してあり、馬や荷物等の手配が出来る。
京方見付跡には立派な碑が建っていた。
京都側の見付からは高麗山が見える。
これが高麗山。前に建物があるが、往時もこのように山が見えたのだろう。
この山に天智天皇の頃、高句麗より渡来した人々が住み着いた。
善福寺、曽我十郎の子裕若が、妻虎御前が世の無常を感じて出家し、創建した寺。
しばらく行くと化粧坂。虎御前が使用した井戸がある。
古い店、「車屋の化粧そば」でランチ。天ぷらそばは 丼からはみ出すような大きな海老がのっていた。
大磯宿
国道一号線を外れ、脇道に入ると静かな松林が続く。
ここで恒例記念写真。
タイマーをセットし撮る段になると必ず車が横切り、3回目でやっと成功。
軒先にザボン。盗まれませんように!
地福寺
島崎藤村夫妻の墓がある。意外とシンプルで明るいお墓。
写真に撮り損ねたが、手前にある臥竜梅が、見事な姿。梅には少し早い時期だったが、満開の時は見事だと思う。
明治12年創業、はんぺんが有名な店。 保冷バッグが必要なため、荷物になるし買わなかった。
杵新。 ここも和菓子の老舗。 お腹がいっぱいで、残念ながら何も買わなかった。
大磯の松並木。
大磯に明治時代山形有朋、大隈重信、西園寺公望などがこぞって別荘を建てた。
島崎藤村の旧宅や、鴫立庵(日本3大俳諧道場)元三井財閥の本家の別荘地が公園になっていたりと、
大磯は明治から昭和にかけて文化人、政財界人にとって特別な地となっていた。
旧吉田茂邸が見たくて 十数年前に大磯をめぐるツァーに参加し、じっくりと見学した記憶がある。
その後吉田茂邸は焼失し、今は再建され、見学することが出来る。
今回の東海道巡りでは吉田邸に行けなかったが、また機会を作り行く事にしましょう。
大磯あたりからコンデジ電池切れで、ほとんど写真がありません。
なので説明も省略(笑)
二宮駅から帰宅。
二宮の蓋は椿のみでシンプル、名所がないのかしら?
次回は二宮駅から出発です。