土木技術者が撮った中南米の「光りと影」の写真 及び 他国風情

 約22年間の中南米赴任中に土木技術者の視点から撮った写真。開通前のパナマ運河に架かる第二アメリカ橋は圧巻 & 他国事情

エトワール凱旋門ーシャンジェリゼーチュイルリー公園ーカルーゼル凱旋門

2011-08-06 13:05:20 | パリ(,France)
 標題は、パリにおける数々の歴史の舞台となった
建造物、記念碑、美術館や公園(以前は宮殿)が存在し、
清楚な佇まいを醸し出しており、歴史を感じさせる
パリならではの場所です。
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 それゆえ「パリの歴史の軸通り」とも呼称されています。
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 ルーブル美術館(以前は宮殿)の中庭「カルーゼル凱旋門」
→チュイルリー公園(以前は宮殿)→コンコルド広場
→シャンゼリゼ大通り→エトワール凱旋門(通常に凱旋門と
言うとここを指します)→大陸軍大通り→セーヌ川を渡り
近代都市ラ・デファンスのグランド・アルシュ(新凱旋門と言っています)
までの一直線で約8kmの区間です。
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 ルーブル宮は「コ」の字型に3つの宮殿からなり、
北側をリシュリュー宮、中央をシュリー宮で南側をドノン宮と呼ぶ。
 上記「歴史の軸」は一直線で、基軸の左右は対称の建築物が
配置されています。が不思議な事に「コ」の字型のルーブル宮は
歪になっています。
 正面から見ると分かりませんが、上空から見ると
中央棟と南棟は約6°20′南西に傾いており
北棟のリシュリューだけが基軸と平行です。
 きっと当時の測量のミスと考えられますが・・・・・・。
 それゆえに西端のラ・デフェンスの新凱旋門を同角度に傾け
恰好を整え「歴史の軸」を帰結させたと考えられています。

 なんと「粋な計らい」なんでしょうか。

 閑話休題、
 シャンゼリゼ大通りは朝9:00から車の大渋滞で、
時代の急速な流れを感じます。 が、
道路の側道部分はマロニエの並木となっており、それを境に
大遊歩道が緩やかの勾配を持った車道の両側にあり、
そこには、カフェテラスや数々の有名な商業店舗が並んでいます。
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 この遊歩道は並木で隔離されているため、独特の優雅な環境を
造りだしており、そこにいるだけで気分が爽やかになるようです。
 それは古い建物のショウウインドウに陳列された洗練された商品や
(商品と言うより展示品のほうが的確な表現かもしれません)
歩道にせり出したカフェテラスで、ゆったりと飲むカフェや
その前を洗練された着こなしで歩く「紳士淑女」を見るにつけ
その優雅な雰囲気は、以前とあまり変わっていないように
感じ取れるからだと思います。また、
 屋根やテラスの色はフランス国旗トリコロールの赤、青と白に
統一されているのも整然差を感じさせます。
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 さて、パリは20区あり、元は王宮だったルーブルを1区とし
北側に2区とそれから時計回りに渦を巻きながら配置されています。
 凱旋門(高さ49.54m)より高いビルを建てるのは「条例で禁止」
されていると聞いております。
 それゆえ地形上丘の上に建てた凱旋門の屋上からは
パリ市街20区をすべて見渡すことができます。
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 なにはともあれ、まず、凱旋門に上り、市街地を360°見渡してみましょう。





 コンコルド広場から望むシャンゼリゼ大通りと
エトワール凱旋門。マロニエの木は「角刈り」されています。
 エトワール凱旋門のアーチの中に新凱旋門が見えます。

 
 エトワール凱旋門(以降「凱旋門」と呼ぶ)。エトワールとは仏語で「星」の意味です。
 現在12本の道路が放射線状に出ていますが、以前は5本の道路でした。
 そこからエトワール広場となずけられました。
 現在はシャルル・ド・ゴール広場と改名されています。


 ナポレオン(ボナパルト)の凱旋を記念し1、806年工事が開始され
 ナポレオン失脚後工事は中断し1,832年から再開し1,836に完成されました。
 ナポレオンは1、821年にイギリス領南大西洋の孤島セントヘレナで死去、
そのために凱旋門の完成は見ることができませんでした。
が、1,840年遺骨となり帰還しこの門をくぐったのです。


 高さは49.54m、横幅は44.82mあります。


 左右の柱には彫刻が施されています。それぞれに意味があります。
 1,810年の勝利で、勝利の女神から桂冠を授かるナポレオンです。


 これは「義勇軍の出陣」を描いており1,792年祖国の危機を救うため
 マルセイユからやってきた兵士たちです。
 兵士たちは「ラ・マルセイユ」を歌いながら行進してきたのです。
 この勇ましい歌「ラ・マルセイユ」がフランスの国歌となっています。 


 1,890年アブキールの戦いでトルコ軍に勝利したもの。


 「マルソー将軍の葬儀」ナポレオンがイタリア遠征時の将軍。1,896年戦死した。


 最上段に並ぶ丸型の模様の盾は、ナポレオンが勝利した戦いの名前が刻印されている。


 さあー、屋上に上りましょう。この螺旋階段は上まで284段あります。
 朝10:00から開門でもう100人前後の観光客が並んでいました。
 天空都市で鍛えた成果で休んでいる人を追い越し、
息せくことなく一気に上りました。


 凱旋門に向かって立つ建物は同じデザインの建築物にて統一されています。
 それゆえ一見するとどこの通りか迷ってしまいます。
 これは東側方向、シャンゼリゼ大通りです。
 遊歩道が広くカフェテラスがセリ出ており、
 遠くにコンコルド広場のオベリスクがみえます。
 シャンゼリゼ大通りは約2kmの長さです。
 朝の10:00ちょっとすぎですか車道は渋滞です。  


 オベリスクとルーブル宮を撮りました。


 右下のドーム状のガラスの屋根は1,990年のパリ万博のメイン会場として建てられた
グラン・パレ国立ギャラリーです。左がルーブル宮で右奥はノートルダム大寺院です。


 カメラアングルを右側(南東側)に振りました。
 左側の黒いビルは駅周辺再開発にて建てられたモンパルナス・タワービル。
 右側は(南側)はご存じのエッフェルタワーです。(後日詳しく掲載します。)


 同上


 モンパルナスタワーの大写し。59階建てです。
 金色に輝くドームはアンヴァリッドと言い、ルイ14世が負傷兵の
収容設備として建てたものです。ナポレオンの墓所としても有名です。


 エッフェル塔です。

 晴れた日に撮ったエッフェル塔。


 右に振りました。街路樹はマロニエとプラタナスで時々菩提樹も見受けられます。


 さらに右へ。フランスが生んだ大作家ヴィクトル・ユーゴ通りです。


 さらに右へ。フォシュ大通りです。突き当りが広大なブローニュの森です。


 凱旋門のシャンゼリゼ大通りとは反対側の大陸軍大通りです。
 遠くに見えるのが近代都市ラ・デファンス地区です。
 中央に見える大きな門がグランド・アルシュです。
 これは、新凱旋門と言っていますが、正確には
凱旋門ではありません。パリには他、4つの凱旋門があります。


 上記大写し。基軸に対して傾いています。


 凱旋門の下方から大陸軍大通りを見ています。この先にラ・デファンス地区が見えます。


 凱旋門を大陸軍大通りから撮っています。
 凱旋門に行く道はこの地下道と、反対側の地下道だけです。
 シャルル・ド・ゴール広場は車の往来が激しく横断は至難の業です。

 
 右に振りました。


 同上 

 
 遠くの小高い丘の上に何か見えます。


 モンマルトル丘にあるサクレ・クール寺院です。


 これで一回りです。


 凱旋門前の中央分離帯からコンコルド広場を望む。
 シャンゼリゼ大通りは渋滞です。


 同上、奥にはルーブル宮が見えます。


 同上


 同上。逆向きに撮っています。


 シャンゼリゼの大遊歩道。


 同上


 同上

 
 同上

 
 同上

 
 同上

 
 同上

 
 同上


 同上


 同上逆向き


 マロニエ並木


 マロニエ大写し。5月は白やピンクの花が咲きます。


 もうすぐコンコルド広場です。


 コンコルド広場のオベリスクが見えてきました。
 凱旋門から約2km地点です。


 上記の場所から斜向かいのグラン・パレ国立ギャラリーを見ています。


 同上シャンゼリゼ大通りを見ています。


 コンコルド広場からシャンゼリゼを見ています。


 コンコルド広場の中央にはエジプトから贈られた神聖文字が浮かび上がる
オベリスクがあります。先回掲載したようにフランス革命時は
ルイ16世やマリアントワネットへの斬首が行われた刑場でもあります。
 1,795年コンコルド広場と名づけられました。


 広場はオベリスクを中心に左右に噴水が設けられている。


 オベリスクからシャンゼリゼ大通りを望む。


 同上


 同上


 オベリスクから東側ルーブル宮を望む。
 池がある場所はチュイルリー公園。歴史の基軸を挟み
すべてが左右対称に造られています。


 チュイルリー公園。木も左右対称に植えられています。


 チュイルリー公園からオベリスクと凱旋門を望む。


 同上、ルーブル宮を望む。


 カルーゼル凱旋門からチュイルリー公園を望む。
 左右対称に配置されています。


 先回掲載したカルーゼル凱旋門の後ろ側。


 同上


 ルーブル美術館。左右対称に見える。ピラミッドが基軸上です。
 これも基軸からは同角度傾いています。


 北側リシュリュー宮です。


 南側のドノン宮です。左右対称に造られています。


 さて、コンコルド広場に戻ってきました。
 基軸に対して直交する道路があります。
 中央にはギリシャの神殿を思わせる建物があります。
 1,842年建造のマドレーヌ寺院です。


 同上


 2枚上の写真の左側の建物は改装中です。
 竣工図(絵)が描かれていました。


 マドレーヌ寺院とコンコルド広場を通して反対側=南側には
マドレーヌ寺院にそっくりなブルボン宮(国会議事堂)があります。


 同上。


 ブルボン宮の東側にはオルセー美術館があり
ミレーの「晩鐘」、クールベの「画家のアトリエ」マネ、
ルノワール、ゴッホやゴーギャン等の傑作が展示されています。


 コンコルド広場とマドレーヌ寺院の間に先回掲載したリヴォリ通りがあり
そこをルーブル美術館の北側棟リシュリュー宮=チュイルリー公園の北側へ歩いていくと
左側にブロンズ色の円柱の記念碑が見られる。


 同上。ここがパリでも特に美しい広場、ヴァンドームである。
 中央の記念碑はナポレオンがオステルリッツにおける三帝会戦の勝利を記念し
ロシア軍から奪った大砲133砲をつぶし造られたと伝えられている。
 頂上にはローマの方向を向いたナポレオン像がある。


 同上。ナポレオン像


 同上。台座


 同上。円柱


 広場の周囲は世界でも著名な高級ホテルや高級店舗で囲まれています。


 その高級店舗の壁にショパンが住んだ家があり
その壁に フレデリック・フランソワ・ショパン
1,810年2月22日 ポーランド・ジェラゾヴァ・ヴォラに生まれ
1,849年10月17日 ここの住居にて死す。(多分そう書いてあると思います)


 ヴァンドーム広場をさらに北に行く通り(平和通り)から
ヴァンドーム広場とチュイルリー公園を望む。


 上記をさらに北に行くとパレ・ガルニエ=音楽、舞踏の殿堂「オペラ座」に当たる。


 同上。


 同上。


 オペラ座の前のオペラ通りからルーブルのリシュリュー棟を望む。


 オペラ通りからリシュリュー棟への途中に奥行きの長い教会が
目についた。サン・ロック教会でなんと1,653年に工事が開始され
途中資金がショートし中断し1,719年に完工した。


 バロック様式の丸天井。


 天井の絵画が見事でした。


 リヴォリ通りのリシュリュー棟に出ました。


 リシュリュー棟の角はチュイルリー公園を横切りセーヌ川に続いており
そのコーナーに金色に光る騎馬像があります。


 何か女性のような容姿です。誰でしょうか?


 オルレアンの乙女=ジャンヌダルク です。


 
 
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