表題、
➀ 先ずは犬吠埼灯台
平均海水面から灯台下の地面までは約20m、そこから灯塔頂部まだが約32mあり
故に海水面から灯台頂部までは約52mあり、光の届く距離は約36km(=19.5海里)
犬吠の由来は義経伝説から来ます。
兄頼朝から追われた義経は愛犬の犬若を連れて伊勢の国から
船で銚子に着き、その後、奥州平泉に向かう際、犬若に平家の亡霊が
取りついているとの進言から、犬若をこの地に残し船出をしました。
船を追って犬若は大きな岩の上で何日も吠え続け、とうとう岩と
化したと言います。その岩を人々は「犬岩」と呼び、その遠吠えが
何日も聞こえたこの地を「犬吠」と呼ぶようになったとのことです。
犬岩
同上
犬吠埼灯台遠景
犬吠埼灯台の入出門
ノスタルジア漂う銚子電鉄
銚子電鉄の終着駅
終着駅周辺に広がるキャベツ畑
船で犬吠埼から奥州へ行くには、鹿島灘経由になり、ここの海岸線は
緩やかな曲線で最初の大きな半島は、いわき市の「塩屋崎」になります。
(copy from Google)
後で分かったのですが、ここは、岬の断崖から一海里半(約2.8km)は
岩礁や暗礁があり航行不能で、義経一行はその手前のいわき港で上陸した
ものと考えます。そうすると奥州の玄関口「勿来の関」を通らなくてすみます。
他方、
歌舞伎での十八番「勧進帳」では安宅関経由で、現在の石川県小松市です。
そうすると京都から琵琶湖経由で北陸回りになります。
その他、義経の逃亡経路は複数ありますが、今でも「謎」で解明されてないそうです。
東京駅からいわき駅まで特急ひたち号で約2時間15分です。
勿来の関に行く場合は勿来駅には特急は停車しませんので
その2つ手前の磯原駅で各停に乗り換え次の大津港駅で下車します。
(勿来駅と大津港駅の中間に勿来の関がある)
ここ大津港駅からTAXIで約5分の所にで五浦海岸があります。
ここは日本文化の近代化に大きく貢献した「岡倉天心」が日本美術院を創設し、次世代の画家たちを育て日本画の近代化を目指した所です。
五浦岬公園からみた五浦海岸
同上
現在は茨城大学五浦美術文化研究所。その長屋門、ここをくぐって天心邸と六角堂に行く。
岡倉天心のプロフィール
天心邸と六角堂
天心の書斎兼憩いの場=六角堂
天心邸
六角堂から見た五浦海岸
同上
同上
勿来の関 跡 騎馬像の武将は奥州平定の立役者源義家(八幡太郎義家)
同上
丘の上にある関所の道。
同上
同上
➁ 昔ー昔、映画の主題歌で、こう言うのがありました。
♪俺ら岬の灯台守は 妻と二人で沖ゆく船の 無事を祈って 灯をかざす灯をかざす
佐田啓二と高峰秀子主演の映画 「喜びも悲しみも幾歳月」の主題歌です。
これをご存知の方は少し?高齢な方だと思います。
ここがその舞台です。灯台はここから190m上った所にあります。
入口にある記念碑(歌碑)
同上
灯台ゲート前からの風景
同上
同上
ゲート前の説明板
平均海水面から地上までは約46m、そこから灯塔頂部までは約27m
ゆえに海水面から約73mあります。光の届く距離は約41km(22海里)
灯台から北側を見る。
海岸線は2011年3月11日の震災により壊され今もなお復旧工事がなされている。
同上
東側を見る
南側を見る
西側を見る
同上
ここはまた、
美空ひばりの歌「みだれ髪」の舞台です。
その歌碑が灯台の上り口で灯台を見上げる場所にあります。
人が近寄ると自動で音楽が流れる仕組みになっています。
♪春は二重に巻いた帯、三重に巻いても余る秋・・・♪ と言う歌碑
もし義経一行が銚子経由だったら、この風光明媚な海岸沿いを通ったと考えます。
不遇な処分を受けた義経一行にはこの風景が一抹の安らぎになったと思っています。
2月2日に相撲協会理事選があり、落選覚悟で立候補した「貴乃花親方」を
世論の2/3が寂しかったと報道していました。負けを承知で出馬した彼に
義経を重ねたのでしょう。いわゆる、「判官贔屓」です。
それにしても相撲協会やそれを取り巻く団体はまるで政治の社会の様ですね。
ー以上ー