《鹿島神社の入口》
分類:歴 鹿島町を見て歩こう(97) いわき市鹿島町〈全域〉 氏神として崇められていた寺社から命名
明治22年4月1日付で町村制が実施される以前までは上矢田村、下矢田村、松久須根村、三沢村、米田村、走熊村、飯田村、上蔵持村、下蔵持村、久保村、船戸村、御代村の12ケ村が、平藩と湯長谷藩、そして小名浜代官所の支配下に別れていました。
それまでの戸長制を廃止して町村制が実施されることになり、12ケ村の合併の際に問題になったのが、新しい村名をどのようにして付けようかということでした。 《延喜式内社で磐城七座の一つである鹿島神社》
そこで、上矢田に祀ってある延喜式内社の鹿島神社が、古くより各村民の氏神として崇められていたところから、その社号が採り入れられることで決まったのです。
明治維新後、22年後にして隣り合う12の村落が一団して 「鹿島村」 を誕生させました。
以来、小名浜町(一部、湯本町)との合併をはじめ、磐城市(一部、常磐市)、いわき市という市名の変遷はあったものの、鹿島という地名だけは現在でも住所表示の中に残すようになり地域住民の人たちは、かつての12町村を総称して 「鹿島」 と呼んでいます。
分類:歴 鹿島町を見て歩こう(97) いわき市鹿島町〈全域〉 氏神として崇められていた寺社から命名
明治22年4月1日付で町村制が実施される以前までは上矢田村、下矢田村、松久須根村、三沢村、米田村、走熊村、飯田村、上蔵持村、下蔵持村、久保村、船戸村、御代村の12ケ村が、平藩と湯長谷藩、そして小名浜代官所の支配下に別れていました。
それまでの戸長制を廃止して町村制が実施されることになり、12ケ村の合併の際に問題になったのが、新しい村名をどのようにして付けようかということでした。 《延喜式内社で磐城七座の一つである鹿島神社》
そこで、上矢田に祀ってある延喜式内社の鹿島神社が、古くより各村民の氏神として崇められていたところから、その社号が採り入れられることで決まったのです。
明治維新後、22年後にして隣り合う12の村落が一団して 「鹿島村」 を誕生させました。
以来、小名浜町(一部、湯本町)との合併をはじめ、磐城市(一部、常磐市)、いわき市という市名の変遷はあったものの、鹿島という地名だけは現在でも住所表示の中に残すようになり地域住民の人たちは、かつての12町村を総称して 「鹿島」 と呼んでいます。