いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

13万円で鹿島村が買えた

2018-06-29 07:01:13 | Weblog
                   《下蔵持地区から商業地域方面を望む》 
                  
                                           分類・地歴                      
    天災・戦争で村民は苦しんでいた時代  
 いわき市鹿島町(※明治21年4月に町村制が発布され、明治22年~昭和28年までは、近郷12村が合併して石城郡鹿島村として村政が布かれていた)は、かつての村々の経済を見ると米作をもって生計を立て、僅かに養蚕、炭焼き、コンニャク、葉たばこ等を副業とする家々がありました。                                                      
        《現在の鹿島小学校界隈の風景で、中央に見える道路は旧・鹿島街道》


 しかし、明治35年以来、冷害や水害による米作の不作が数年続き、更に追い討ちを掛けるようにして明治37、8年の戦争の影響もあって村内の疲弊は高まるばかりでした。
 暮らし向きが落ち込むばかりで、村民の中には止むに止まれず父祖伝来の田畑を手離して生計を維持していかなければならない家が出てきました。
 このような事情から大正15年には、村全体に於ける247町7反歩の水田の内、12町歩ほどは、他町村居住者の手に渡ってしまったのです。
 村民が苦しむ状況の中で売り地を買い求めていたのが、平では諸橋家(釜屋)であり、下川では江尻家でした。
 
 大正15年の記録によると、当時の鹿島村全体の土地(田・畑・宅地・山林・原野・池沼)は総計1,612町3段3畝19歩で地価に換算すると、13万1,784円14銭ということになっています。
 勿論、これは当時の金銭的価値から弾き出された金額ですから、現在の価値感覚で比較するのはナンセンスです。                                
 当時1円稼ぐのには大変な労力を要した時代で、因みに鹿島村の年間予算が14,437円でした。
コメント
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