分類:観 鹿島町を見て歩こう(99) いわき市鹿島町走熊字七本松 平・小名浜・江名港を結ぶ要所だったところ この辺りの地名を七本松と呼ぶ謂(いわ)れは、その名の通り、延暦年間(782年~805年)に、坂上田村麻呂将軍が東夷征途の折、江名へも行ける三叉路(現在は十字路)の走熊の地点で戦勝を祈念して七本の松を植栽していったことにあります。
慶応4年(1868)1月、鳥羽・伏見の戦いで始まった戊辰戦争では、ここ七本松においても7月10日に薩摩藩(西軍)と平藩・仙台藩の攻防戦があったという鹿島の歴史上に名が残る場所となっています。 《坂上田村麻呂将軍が東夷征途の際に七本の松を植栽していった=写真は二代目の松》
最初の松は、昭和10年までに5本が強風で倒れ、同12年には全滅してしまったので二代目となる松が植えられました。その後は昭和50年に道路拡張工事のために伐採されてしまい、今は三代目として鹿島公民館の敷地内に若松を移植されました。 《昔の写真と、同じ位置から撮った七本松の場所。コンビニの後ろは、かしま病院》
コンビニの前を横切っている道路が江名港⇔湯本線(県道48号で、撮影場所から前に伸びているのが旧・鹿島街道になります。右角が №85 で紹介した、おくにさんの店「波立商店」があった場所になります。
慶応4年(1868)1月、鳥羽・伏見の戦いで始まった戊辰戦争では、ここ七本松においても7月10日に薩摩藩(西軍)と平藩・仙台藩の攻防戦があったという鹿島の歴史上に名が残る場所となっています。 《坂上田村麻呂将軍が東夷征途の際に七本の松を植栽していった=写真は二代目の松》
最初の松は、昭和10年までに5本が強風で倒れ、同12年には全滅してしまったので二代目となる松が植えられました。その後は昭和50年に道路拡張工事のために伐採されてしまい、今は三代目として鹿島公民館の敷地内に若松を移植されました。 《昔の写真と、同じ位置から撮った七本松の場所。コンビニの後ろは、かしま病院》
コンビニの前を横切っている道路が江名港⇔湯本線(県道48号で、撮影場所から前に伸びているのが旧・鹿島街道になります。右角が №85 で紹介した、おくにさんの店「波立商店」があった場所になります。