分類:観 鹿島町を見て歩こう(88)
久保郷倉跡地 いわき市鹿島町久保字於振 奴行列があったのを示す行列帳などが見つかる いきなり、ゴミ集積場が出てきても意味不明と思われるのを承知の上で、敢えてこの場面から入ります。 実はこの場所には、かつて久保部落共有の物品を保管しておく 「郷倉」 がありました。 《ゴミ集積場の前にあるスペースに郷倉が建っていた。手前の白線がある部分は旧・鹿島街道》 久保地区には、その昔、奴行列が行われていたという証拠の古文書が郷倉から発見されています。 その郷倉は、久保字於振にある 「さくらんぼ幼稚園」 前付近のゴミ集積場そばでした=写真下。 昭和54年6月に取り壊されてしまいましたが、長持ちの中に保管されていた中型ダンボール4個分の中から見つかったものです。郷倉解体の時に、長持も大型で、置き場所がないとの理由で焼却されてしまったというのは残念でなりません。
「明治12年、久保村 行列帳 目録記入 消防組」と表紙書きされた1冊で、内容は奴行列に関わる役名と氏名、人数が列記されており、行列帳と日付が同じ「諸入用調帳」によると、他村からのご祝儀も受けています。 上荒川村(平)や、上神白村(小名浜)部落の人たちの名もあるので、当時の久保村の奴行列は近郷近在では名が通っていたものと充分に推察できます。 《久保部落の入口あった郷倉》
長持に被せてあったものには5つの「下がり藤」の紋所が付いていました。これは湯長谷藩主内藤家を表しているものです。 註釈:同じ内藤家でも平藩主は「上がり藤」 久保に長持や被いなどが、どのような事情で拝領したのかは記録はありませんが明治維新後、湯長谷藩では藩の所有物を領内の村へ下付したものと考えられます。