分類:観 鹿島町を見て歩こう ⑪ 《御代地区》 光西寺:いわき市鹿島町御代字寺ノ入44
銅像阿弥陀如来坐像 通称、御代(みよ)の大仏とか、雨ざらしのことからぬれ仏さまとも呼ばれて、地元の人たちに古くから親しまれているいる大仏さまですが、正式には銅像阿弥陀如来坐像といいます。
《像の高さ3,45m、仏身2,86m、蓮華座の直径2,93m》
市指定有形文化財(昭和43年12月27日) 当寺の和尚だった禅法は、宝暦2年(西暦1752)に江戸へ出て人々から浄財を集め、13年後の明和2年(西暦1765)に江戸神田の鋳物師、木村将監立ちによって制作がはじめられ、2年後の明和4年(西暦1767)に完成しました。 寄進者は僧や庶民2,371人にものぼり、地元は勿論、信州・越中など幅広い地域に至っています。
しかし、禅法和尚は完成前に上州高崎で暗殺されたという説があるから、そうなると実際には着手から完成までの工程を見てはいなかったことになります。 また、完成後も像の運搬に相当苦労したようで、江戸から小名浜までは海路で運ばれましたが船は小名浜沖で難破し、浜へ打ち上げられた大仏を御代まで運ばれました。 安置されたその年が、安永5年(西暦1776)と伝わっています。
《崩壊が危ぶまれている正門》 《東日本大震災時の惨状》
光西寺側から見た門の光景ですが、よく見るとお分かりのように左側に傾いてきています。このため支柱で補強されてはいるものの倒壊の危機に晒されています=写真左。
平成23年(2011)3月11日に発生した東日本大震災では、大仏さんの頭が落ちてしまいました=写真右。 しかし、これによって中から大仏と同型の小さな胎内仏が発見されました。 ※現在は、大仏さまは修復工事が行われて原形に戻っています。 鎌倉の長谷寺の大仏を髣髴とさせる御代の大仏は、幾多の苦難を乗り越えて静寂な光西寺の境内に、石積みの基壇の上で優しく見守ってくれています。