分類:歴
鹿島町を見て歩こう ③ 《三沢地区》 阿部貞任・宗任の悲話
安倍貞任(さだとう)・宗任(むねとう)兄妹の伝説は諸説紛々で、物語は歌舞伎にも登場しながらその生没は不詳ともいわれています。 兄弟は陸奥の豪族、阿部頼時の子で、平安中期の武将として知られたが朝廷に叛(そむ)き、前九年の役で源頼義・義家と戦った際に兄の貞任は厨川柵(盛岡市)で戦死し、弟の宗任は京都に連行された後、更に大宰府に移されて出家する……などと、物語は長くなるのですが、ナント、この鹿島にも安倍兄弟の伝説が残っています。 《人知れず、三沢地区の山中にひっそりと立っている貞任・宗任の供養塔》
(伝説1) 安倍貞任がこの地にきて病気に掛かってしまい小屋を建てて住んでいた。貞任の母も看護のために一緒に住んでいた。村の者たちはそこを「小屋の山」と呼ぶようになった。(※現在は薬師堂が祀られている) また、母子出立のの際に鍋を埋めて行った場所を 「鍋塚」 と呼んでいる。 (伝説2) 前九年の役で、宗任らが坂下地内の山中に籠って追い討ちに出向いてきた源義家の軍を迎えたが、義家も作戦を練るため四方を見渡せる館山の頂上に陣を据え、そこで指揮を執りながら遂に叛く兄妹を征伐した。 その為、坂下地内の山腹に高乾院安倍貞任・宗任の霊を慰めるため五輪の塔を2基造立した=写真。
●源義家の陣所となった館山頂上には八幡宮が祀られ、代々山伏の祈祷によって祭りを行ってきまし た。八幡宮には文化2年の棟札や、弘化2年の棟札もあり、地元の人の日守りによって大切に保存されています。