12月17日の裁判を傍聴する予定でしたが、前夜から、急に体調が崩れ、傍聴できませんでした。知人から裁判の様子を知らされましたが、原告は口頭で弁ずることもなく、裁判所は次回期日を2025年2月14日午前10時と決めて閉廷したそうです。(2024/12/19)
尹奉吉碑墓地使用許可取り消し訴訟について
目次
【1】はじめに 経過
【2】墓とは何か
【3】「両墓制」についての再確認(1~3省略、4のみ掲載)
(1)間近にある両墓制/(2)能登半島でも/(3)日本軍兵士の墓/(4)尹奉吉の場合
【4】死体遺棄の尻拭い
(1)捕虜の処刑は国際法違反/(2)死体損壊・遺棄罪
【5】「法的根拠」の検討
(1)暗葬碑も殉国碑も、墓碑そのもの/(2)永代使用料は支払い済み/(3)表現の自由/(4)生前の行為の是非/(5)自己欺瞞からの解放/(6)自らを映す鏡としての暗葬之碑/(7)使用目的は墓碑建立
【6】結論
【資料】(1)住民監査請求(結果の通知)/(2)尹奉吉墓地使用許可取り消し訴訟・訴状抜粋/(3)尹奉吉墓地使用許可取り消し訴訟・甲1~13号証(目録)
【1】はじめに 経過
2021年以来、西村齊は金沢市にたいして、尹奉吉碑の撤去を強請してきたが、2024年6月28日、大西弘明を盾にして、住民監査請求をおこない、7月26日に「本件請求は、違法・不当な財務会計上の行為の防止・是正を目的とする住民監査請求の要件を欠く」として、請求を却下された。
この通知を受けて、西村・大西は8月21日付で、金沢市を被告として、「金沢市の野田山墓地に於て、平成4年から法的根拠等々に基づかずに韓国人テロリストである尹奉吉碑の建立許可の継続を行っている事が違法である事を確認する訴訟」(注:「尹奉吉碑墓地使用許可取り消し訴訟」とする)を、金沢地方裁判所に提訴し、8月23日に受け付けた(行政訴訟)。事件番号は<令和6年(行う)第14号>で、裁判官は松浪聖一である。
第1回口頭弁論は12月17日午後1時30分に202号法廷でおこなわれるが、「住民監査請求に係る審査結果」(2024/7/26)が地方自治法第242条第1項の要件を具備しているか否かを問う裁判なので、西村・大西の主張に踏み込まずに、結論が出される可能性がある。
この裁判の如何によっては、尹奉吉の遺骨が残されている暗葬之碑が撤去・更地にされ、人々の歩く通路とされ、ふたたび尹奉吉を日本市民の足下で苦しませることになり、私たち日本市民としては、このような不条理に、手をこまねいて見守っていてはいけないだろう。
住民監査請求 第242条1項
普通地方公共団体の住民は、当該普通地方公共団体の長若しくは委員会若しくは委員又は当該普通地方公共団体の職員について、違法若しくは不当な公金の支出、財産の取得、管理若しくは処分、契約の締結若しくは履行若しくは債務その他の義務の負担がある(当該行為がなされることが相当の確実さをもつて予測される場合を含む。)と認めるとき、又は違法若しくは不当に公金の賦課若しくは徴収若しくは財産の管理を怠る事実(以下「怠る事実」という。)があると認めるときは、これらを証する書面を添え、監査委員に対し、監査を求め、当該行為を防止し、若しくは是正し、若しくは当該怠る事実を改め、又は当該行為若しくは怠る事実によつて当該普通地方公共団体のこうむつた損害を補填するために必要な措置を講ずべきことを請求することができる。
本論に入る前に、尹奉吉による1932年上海爆弾事件について、概略を確認しておこう。1932年といえば、日帝の朝鮮侵略の端緒となった江華島事件(1875年)から57年、朝鮮強制併合(1910年)からすでに20年が経ち、朝鮮人民の怒りが渦巻き、独立運動は朝鮮半島から中国、日本にまで拡大していた。
事件前年の1931年9月18日の満州事変から15年戦争が始まり、翌1932年1月28日には第1次上海事変、3月1日には満州国でっち上げ(中国東北部侵略)へと進み、上海派遣軍が4月29日の天長節(天皇誕生日)に、上海で戦勝祝賀の軍事パレードと式典をおこなった。
尹奉吉も中国に亡命し(1930年~)、数万人の在外独立運動家の一人として、金九とともに上海爆弾事件を実行し、式壇上に居並ぶ軍人をことごとく打倒し、日帝侵略軍隊に大打撃を与え、中国人民から歓呼の声で迎えられた。
その場で逮捕された尹奉吉は、上海~大阪~金沢に送られ、1932年12月19日三小牛山で処刑され、野田山陸軍墓地と市民墓地をつなぐ通路に埋め捨てられたのである(刑法第190条:死体損壊・遺棄)。
それから13年後の1946年3月6日、尹奉吉の遺体は発掘され、本国に帰り、丁寧に安葬された。さらに時を経て、1990年代になり、在日朝鮮(韓国)人と日本人によって、遺骨の残る暗葬地に尹奉吉の遺志が込められた墓碑建設が進み、1992年12月暗葬之碑が設置された(殉国碑は同年4月)。
西村・大西の「尹奉吉碑撤去論」の根幹は、「日本に楯突いた尹奉吉の墓碑を市民墓地に造らせるな」にあり、「遺体・遺骨のない墓は墓ではない」という謬論を立てて、金沢市に墓地使用許可の取り消しを要求している。
以下、訴状中の西村・大西の主張について、検討を加える。
【2】墓とは何か
民俗学者たちは、過去の日本には単墓制と両墓制(埋葬のための空間と祭祀のための空間)が存在したと結論づけている。すなわち、両墓制の意義は、人間は肉体と霊魂によって構成されており、肉体は埋葬地に埋めて、やがては微生物に分解されたり、海に流されたりして、自然に帰るが、霊魂は生活空間に建てられた墓石(モニュメント)に宿り、人々の招きに応えて、人々とともに存在し続けるという。そこには、有形の肉体よりも、無形の霊魂こそが人間の本質(動物との違い)であるとして、対象化・具現化しているのが、墓(モニュメント)である。
「遺骨がなければ墓ではない」と、外面しか見ようとしない、浅薄な思考ではなく、遺骨の存否にかかわらず、墓前で先人を偲び、学ぼうとする、人間の精神的営為(プラス・マイナス両面)の対象こそが、墓なのである。私たちは、人類発生以来の先人から、長い年月を経て受け継いできた精神(知・心)を、次世代に渡すためにこそ、墓(モニュメントや記録)を必要としているのではないか。
【3】「両墓制」についての再確認
西村・大西は【請求の原因 第2-3,6】で、尹奉吉の墓地に「遺体や遺骨が埋葬されてゐない」(注1)から、金沢市墓地条例8条1(墳墓の設置以外の目的に墓地を使用したとき)を適用して、墓地使用許可を取り消せと主張している。野田山墓地にある尹奉吉暗葬之碑(新墓地丙196番)は尹奉吉の遺骨が眠る「埋め墓」であり、殉国碑(新設墓地211番)は遺体・遺骨のない「詣り墓」である。このような葬制を「両墓制(埋め墓、詣り墓)」と言い、日本古来から普通に執り行われてきた(注2)。この一点からして、原告らの論理が破綻している。
(注1)「請求の原因」第2-3に、「遺体や遺骨が埋葬されている墓ではない本件尹奉吉碑」、第2-6に「尹奉吉顕彰碑は遺骨が埋葬されてゐる墳墓ではなかった」「尹奉吉慰霊碑は既に墓ではなかった」との記載がある。2021年12月22日付の金沢市への「要請書」には「尹奉吉顕彰碑は遺骨が埋葬されてゐる墳墓ではないので、金沢市墓地条例第1条(「第8条の1」の誤り)に違反してゐる」と述べている。
(注2)「両墓制集落における祭祀と埋葬の空間論」(川添善行)/「両墓制の時空間的展開」(千葉徳爾)/『両墓制と他界観』(新谷尚紀)/『増補 両墓制の資料』(大間知篤三)
まずは、「尹奉吉墓碑は、墓碑や、否や」について検討することからはじめよう。
間近にある両墓制(略)
(ブログ「アジアと小松」中の「20220708両墓制について」「20220724続両墓制について」「20230708続々両墓制について」を参照)
尹奉吉の場合
不当な植民地支配に直面した尹奉吉は、意を決して亡命し、大韓民国亡命政府の韓人愛国団に参加し、日本帝国主義に植民地解放戦争を挑んだのである。1932年4月29日上海虹口公園での戦いで捕虜となった。12月19日尹奉吉は捕虜でありながら、「陸戦の法規慣例に関する条約」(注3)を無視して、金沢・三小牛山で処刑され、野田山陸軍墓地と市民墓地をつなぐ通路に暗葬された。
1946年3月に遺体は発掘され、大部分は韓国に移されたが、回収できなかった一部の遺骨はそのまま埋め戻されていた。1992年に、多くの日朝(韓)市民の努力で、暗葬之碑(埋め墓)と殉国碑(詣り墓)が建てられ、毎年多くの人が墓参に訪れている。暗葬之碑は「埋め墓」であり、殉国碑は「詣り墓」であることは歴然としている。
(注3)「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」 第二章 俘虜/第4条:俘虜は敵の政府の権内に属し、これを捕らえた個人、部隊に属するものではない。俘虜は人道をもって取り扱うこと。/第7条:政府はその権内にある俘虜を給養すべき義務を有する。/第20条:平和克復の後はなるべく速やかに、俘虜をその本国に帰還させなければならない。
【4】死体遺棄の尻拭い
西村・大西は、【請求の原因 第2-5】のなかで、金沢市財務規則第201条にある「行政財産は、次の各号のいずれかに該当する場合に限りその用途又は目的外に使用を許可することができる。(5)市長が特に必要やむを得ないと認めるとき」という条項を根拠にして、尹奉吉墓碑建立許可は「必要やむを得ない」に該当せず、墓地使用許可を撤回すべきだと主張している。
すでに前項で、暗葬碑も殉国碑も墓碑であることを確認した通り、金沢市財務規則第201条に依らなくても、墓地用地の使用許可を出すことになんら誤りがない。しかし、西村・大西は、尹奉吉の墓地の使用許可は「必要やむを得ない」(金沢市財務規則第201条-5)にあたらないと主張しているが、第九師団によって、不法に処刑(注4-1)され、野田山墓地通路に不法に埋葬(注4-2)された尹奉吉の埋葬地(遺骨をふくむ)に墓碑を建てなければ、埋葬地は人々の踏むに任されることになり、この事態を回避するために、「必要やむを得ない」対処(尹奉吉墓碑建立に許可を与えること)だとすれば、金沢市の対応には道理がある。おそらく、西村・大西は人(尹奉吉)の遺体・遺骨を踏みにじっても、恬として恥じない人格をもっているのだろう。
その論拠を以下に述べよう。
(注4-1)捕虜の処刑は国際法違反
白川軍司令官は上海爆弾事件後の5月26日に死亡したが、6月の陸軍省人事局恩給課から外務省宛の公文書「戦傷死ト判定スル理由」のなかで、軍は「支那軍ノ便衣隊ト同一視スヘキモノト思惟ス。故ニ本件ハ満州事変発生以来満州方面ニ於テ支那便衣隊ノ狙撃に依リ殺害セラレタル」「本事件ハ其ノ下手人ノ所属国ノ何タルカヲ問ワス我カ軍ニ対スル敵対行為ニヨッテ行ハレタルモノト謂フヘク単ナル暗殺行為ノ結果トシテ取扱フヲ許サス。…軍司令官ノ死ハ単ナル公務死亡ニ非スシテ戦傷死トシテ其ノ事実ヲ判定」(「白川大将の扶助料請求書を添附せし書類に関する附●● 陸軍省人事局恩給課 村山大● 印」)し、白川軍司令官の死を戦死として扱った。
すなわち、尹奉吉は「敵軍の兵」であり、「敵軍」による日本軍にたいする戦争行為の結果、白川軍司令官が戦死したと判定した。尹奉吉のたたかいは「単なる暗殺行為」ではなく、「戦争行為」だったと判定したのである。
尹奉吉は交戦当事者であり、敵(日本軍)に捕らえられた場合、本来、「敵軍(第九師団)の捕虜」として扱われる権利を持っていた(「ハーグ陸戦条約」1911年11月6日批准)。条約第4条には、「捕虜は敵の政府(日本政府)の権内に属し、これを捕らえた個人、部隊に属するものではない。捕虜は人道をもって扱うべし」と規定されている。すなわち、捕虜・尹奉吉は上海派遣軍(第九師団)に属さず、従って軍法会議で尹奉吉を「犯罪人」として被告席に座らせることはできないのである。
尹奉吉は戦争捕虜として、人道的に処遇され、戦争が終わった時に解放されてしかるべきであったにもかかわらず、上海派遣軍はハーグ陸戦条約に違反して、軍法会議で尹奉吉に死刑判決を出し、三小牛山で処刑したのである。
(注4-2)死体損壊・遺棄罪
尹奉吉を刑法犯として軍法会議にかけ、死刑を執行したが、死刑執行自体に誤りがあった。死刑囚の処刑は①「刑事施設内の刑場」でおこない、②親族から遺体の引き取りを要請されたら、渡さねばならない。③引き取りの要請が無ければ、「陸軍埋葬地ノ一隅ニ土葬」「刑事施設ノ墓地ニ仮葬」し、④石の墓標を立てること。⑤死亡確認後24時間は埋火葬しない。⑥処刑後すみやかに「監獄所在地ノ市町村長ニ死亡ノ報告」をすべきと規定されている。(「2・26事件 在天の男たちへ」澤地久枝、1988/4『別冊文藝春秋』)
しかし、尹奉吉の場合、処刑は三小牛山の西北谷間でおこない(①違反)、第九師団は尹奉吉の親族には処刑の月日、場所を知らせず、後日処刑を知った親族が遺体の引き取りを要請したが、拒否された(②違反)。土葬の場所は「刑事施設の墓地」ではなく、墓地敷地内の通路で(③違反)、「石の墓標」は立てられなかった(④違反)。第九師団は午前7時40分に死亡確認したあと、3時間後の11時の記者会見までには埋葬(隠滅)を終えた(⑤違反)、処刑後に金沢市に報告したという記録は残されていない(⑥違反)。
まさに、第九師団による尹奉吉の遺体処理は、金沢市民墓地の通路に、無断で穴を掘り、尹奉吉を埋めて、墓標も立てず、踏み固めて隠しており、死体損壊・遺棄罪(刑法第190条)が適用される事件である。
刑法第190条:死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、3年以下の拘禁刑に処する。
【5】「法的根拠」の検討
原告らが「違法許可」の法的根拠として、次の9点を挙げている。
①金沢市墓地条例第1条、第8条、第5条、②民法第121条2第1項(原状回復義務)、③憲法第12条(自由・権利の保持の責任とその濫用の禁止)、④憲法第21条(集会、結社、表現の自由、通信の秘密)、⑤民法第90条(公序良俗違反)、⑥民法第710条(非財産的損害の賠償)、⑦地方自治法第238条4第7項(行政財産の管理及び処分)、⑧金沢市財務規則第193条(公有財産の注意義務)、⑨金沢市財務規則第201条(行政財産の用途又は目的外使用)
(1)暗葬碑も殉国碑も、墓碑そのもの
原告らは、【請求の原因 第2-3,6】のなかで、尹奉吉の墓地に「遺体や遺骨が埋葬されてゐない」から、金沢市墓地条例8条(1墳墓の設置以外の目的に墓地を使用したとき)を適用して、使用許可を取り消せと主張している。すでに、両墓制について説明したとおり、「埋め墓」も「詣り墓」も墓碑そのものであり、原告らの主張は通らない。
原告らは「第5条には、公益に関連して特に墓地使用の必要を生じたと認められるものにつき、市長は…」と書いているが、条文を検証すると、「市長は、特に必要があると認めるときは、使用料を減免することができる」と書かれているだけであり、「公益に関連して特に墓地使用の必要を生じたと認められるものにつき」の文言は存在しない。
原告らは「公益性がない」「道理がない」「公序良俗や公共の福祉にも反している」と主張しているが、第5条には「公益」に関する記述がなく、使用許可を取り消す法的根拠とはなり得ない。
金沢市墓地条例(甲2号証)/第1条 本市は、墳墓を設けるための墓地を設置する。/第5条 市長は、特に必要があると認めるときは、使用料を減免することができる。/第8条 市長は、使用者が次の各号のいずれかに該当するときは、墓地の使用の許可を取り消すことができる。(1)墳墓の設置以外の目的に墓地を使用したとき。/(2)墓地の使用権を譲渡し、又は墓地を転貸したとき。/(3)墓地の使用の許可を受けた日から3年以内に墳墓を設けないとき。/(4)この条例又はこの条例に基づく規則の規定に違反したとき。
(2)永代使用料は支払い済み
訴状の【請求の原因 第3 金沢市の損害について】のなかで、原告らは「墓地使用料未収という損害を金沢市に与えている」と主張しているが、「応接業務処理カード」(1991/12/6)、「納入通知書兼領収書」(1991/12/26)、「決裁伺書」(2008/12/19)を見れば、金沢市は1991年12月26日に、殉国碑(+暗葬之碑)の墓地用地の永代使用料として216万円、2008年12月には暗葬碑の墓地用地の永代使用料として518,400円を徴集しており、尹奉吉墓地(暗葬地+殉国碑墓地)の永代使用契約が成立していることは歴然としている。
また、原告らは、山野の「216万円の支払い」というブログ記事によって「無償提供」論が否定されても、民法第90条(甲8号証)の公序良俗に反した無効な契約だから、民法第121条の2に基づいて、永代使用料の216万円を返還して、契約を解除すべきと主張しているが、永代使用料の返還を云々するのは、「無効な契約」であることを立証し、確定してからのことではないか。
民法第121条の2-1 無効な行為に基づく債務の履行として給付を受けた者は、相手方を原状に復させる義務を負う。
(3)表現の自由
原告らは【請求の原因 第2-7】のなかで、「テロリストの碑の建立許可を継続する不作為は表現の自由では保護されず、憲法21条の表現の自由の濫用となる」と主張している。墓地の管理者(金沢市)は、墓地使用許可条件を満たしていれば、墓地使用許可を拒んではならず、墓地使用許可条件を満たしているにもかかわらず、被葬者尹奉吉の行為(日本軍による侵略戦争・植民地支配と戦ったこと)を理由に、使用許可を出さなければ、憲法21条の「表現の自由」を犯し、「検閲の禁止」に抵触することは理の当然である。
原告らは「尹奉吉の墓碑を見て社会の利益になったり、碑を見た人が豊かな心や幸福な気持ちになる事は社会通念上、あり得ない」と主張し、日本軍による侵略戦争・植民地支配と戦った尹奉吉を追悼することを、「社会通念に反する」としているが、それは原告らの個人的主観に過ぎず、そのような謬見を普遍的な「公共の福祉」にすり替えて、言いがかりをつけているに過ぎない。
憲法第12条(甲10号証)この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
憲法第21条(甲9号証)集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
(4)生前の行為の是非
原告らは、訴状のなかで、「殺人犯尹奉吉」「テロリスト尹奉吉」という言葉を繰り返し使っている。尹奉吉の墓碑を公有墓地に建てさせてはならないという印象操作以外の何ものでもない。
野田山墓地の一角には、犯罪に手を染め、刑務所で亡くなった人々を弔う「刑務所墓地」があり、市民墓地のなかには、戦争で手柄(敵兵や市民を殺した)をたてた兵士たちのひときわ大きい墓が目立っている。また、野田山市民墓地に隣接する石川県戦没者墓苑(旧陸軍墓地)には、侵略戦争で戦果を挙げた将兵が祀られている。このように、墓地使用許可は被葬者の生前の行為の是非を問わない。
原告らは、「殺人犯」「テロリスト」の尹奉吉墓碑が民法第90条の「公序良俗」に違反していると述べているが、尹奉吉は日本による植民地支配と戦うために上海に向かい、大韓民国臨時政府(韓人愛国団)に参加し、日本軍と交戦中の一戦士として、白川大将らを打倒した。この行為のどこが、人倫に反し、正義に反するというのか。人倫に反し、正義に反しているのは朝鮮を植民地支配していた日本(軍)である。
また、戦争捕虜が裁判にかけられるのは、無辜の民間人にたいして「人道に反する罪」を犯したときに成立するのであり、尹奉吉が日本の将兵を打倒したことを、「公序良俗に反する」として、裁判にかけるのは間違いである。
民法第90条(甲8号証)公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為は、無効とする。【過去の判例の傾向によると、人倫に反する行為(例:既婚者との婚約)、正義の観念に反する行為(例:賭博行為)、個人の自由を極度に制限する行為(例:芸娼妓契約)、暴利行為(例:過度の違約金)】
(5)自己欺瞞からの解放
原告らは【請求の原因 第2-8】のなかで、「金沢市は、本件テロリスト碑の建立許可継続によって、良識ある金沢市民や日本国民に対して精神的苦痛等々による無形損害という損害を与える悪行を継続している」と主張し、民法710条に依拠して、撤去(墓地使用許可の取り消し)の根拠としている。
しかし、暗葬之碑(殉国碑)は、私たち日本人に、かつての植民地支配と侵略戦争を直視し、反省する機会を与えてくれるかけがえのないモニュメントであり、過去の罪科を直視することから逃れたいという自己欺瞞からの解放のツールである。暗葬之碑(殉国碑)によって「精神的苦痛」を受けるのは、植民地支配と侵略戦争を肯定・称揚し、多大の犠牲者を思いやる心のない人たちであり、憲法前文や9条に背反し、普遍性はない。
民法第710条 他人の身体、自由若しくは名誉を侵害した場合又は他人の財産権を侵害した場合のいずれであるかを問わず、前条の規定により損害賠償の責任を負う者は、財産以外の損害に対しても、その賠償をしなければならない。
(6)自らを映す鏡として
【請求の原因 第2-5】のなかで、金沢市は、野田山墓地に暗葬之碑(殉国碑)を建立するために、「行政財産の目的外使用(地方自治法第238条4第7項)を許可した」と言い訳しているそうだが、原告らは「(尹奉吉慰霊碑建立の)目的に道理がない」「行政財産を使用するには不当」と反論している。
墓地用地(行政財産)の用途は墓碑建立であり、その目的は被葬者の追悼であり、暗葬之碑(殉国碑)用地使用許可には、何等の瑕疵もない。朝鮮植民地支配に反対し、中国侵略阻止に身を捧げた尹奉吉を追悼・慰霊し、遺志を継承することは、日・中・韓(朝)人民共通の課題であり、責務である。とりわけ日本(人)にとっては、尹奉吉暗葬之碑(殉国碑)はかつての自姿を映す鏡であり、墓前で不戦を誓うことは「墓碑建立の目的」としての道理にかなっている。
むしろ、尹奉吉を「殺人犯」「テロリスト」などとレッテルを貼って否定することは、天皇政府によって強行された朝鮮植民地支配、中国侵略戦争を是認することであり、これこそ道理に悖る主張である。
地方自治法第238条4第7項 行政財産は、その用途又は目的を妨げない限度においてその使用を許可することができる。
(7)使用目的は墓碑建立
原告らは【請求の原因 第2-5】のなかで、「金沢市財務規則第193条に当てはめると、金沢市の公有財産に殺人犯の慰霊碑を建立する事は明らかに使用目的としては公序良俗や公共の福祉に反し、適さない事は明白である」と主張しているが、金沢市財務規則193条の「(1)公有財産の使用目的の適否」を検討すると、墓地用地に墓碑を造り、墓前で尹奉吉を慰霊することは、墓地の使用目的に100%適っている。尹奉吉の墓前で再び侵略戦争の愚を繰り返さないことを誓うことは、「公序良俗」「公共の福祉」の具現化であり、日本人にとってこそ意義を持っている。
加えて、第193条のどこを見ても、被葬者の条件として、殺人犯であるか、否かを問うてはいない。
金沢市財務規則第193条(甲5号証)課長は、その所管する公有財産について常にその現状を把握し、特に次に掲げる事項に注意しなければならない。(1)公有財産の使用目的の適否/(2)公有財産の維持保存/(3)電気、ガス、給排水等の設備の良否/(4)土地の境界/(5)台帳及び附属図面と所管する公有財産との照合。
【6】結論
以上の通り、尹奉吉の暗葬碑は埋め墓であり、殉国碑は詣り墓であり(両墓制論)、金沢市民墓地に墓碑を建てること(金沢市が許可すること)には何の瑕疵もない。
加えて、尹奉吉の遺体を隠滅するために、第九師団の管理区域外の市民墓地の通路に暗葬し(死体遺棄)、その結果金沢市が尻拭いを強いられての墓地使用許可であり、その責任は第九師団にこそあることを、原告らは見ようとはしない。
原告ら(西村・大西)は尹奉吉を「殺人者」「テロリスト」などと、「犯罪者」のレッテルを貼り、公営墓地である野田山市民墓地の使用許可は誤りだと主張しているが、野田山の刑務所墓地(注:ブログ「アジアと小松」中の「20201203尹奉吉暗葬地と刑務所墓地」参照)には、いわゆる「罪」を犯し、亡くなった人の墓があり、市民墓地には、戦地に動員され、殺し・殺されるという環境に投げ出され、ついに不本意な死を強いられた将兵たちの墓も多数存在している。さらに言えば、1582年3月、300人の鳥越城の一向宗徒を磔にした佐久間盛政の後を継いで金沢城に入城(1583年)した前田利家の墓がある。尹奉吉だけを排除せよという主張は筋が通らない。
市民墓地は、生前を問わず、死者を選別せずに葬る場所であり、問われているのは、残された人が、亡き人に向き合って、何を思考するのかであろう。
【資料】
(1)2024年7月26日 住民監査請求に係る審査結果について(通知)
令和6年6月28日に提出のあった金沢市職員措置請求書(以下「本件請求」という)については、慎重に審議した結果、次の理由により地方自治法(昭和22年法律第67号)第242条第1項の要件を具備していないと認められ、これを却下することが相当であると決定したので通知します。
理由
地方自治法(昭和22年法律第67号)第242条第1項において住民監査請求の対象となる財産管理行為とは、財産的価値に着目し、その価値の維持、保全を図る財務的処理を直接の目的とする財務会計上の行為とされている。
本件請求は野田山墓地に設置されている慰霊碑の撤去を求めるものであるが、本慰霊碑の設置については、請求人が主張するいずれの根拠に照らしても、その許可処分は金沢市が墳墓を設けるために設置している野田山墓地の財産的価値の維持・保全を図る財務的処理を直接の目的にするものではないことから、土地の使用という財産管理の一面を有していても、行政管理上の問題であって、住民監査請求が対象とする財務会計上の行為とはいえないものである。
したがって、本件請求は、違法・不当な財務会計上の行為の防止・是正を目的とする住民監査請求の要件を欠く監査請求であると判断した。
(注:中川可能作らによる住民監査請求にたいする「結果(通知)」(2006/5/25)と同文である)
(2)尹奉吉墓地使用許可取り消し訴訟・訴状抜粋
令和6年8月21日 金沢地方裁判所御中 原告 大西弘明(印)
当事者の表示(略)
被告 金沢市 代表者兼裁決行政庁 村山卓金沢市長
怠る事実の違法確認請求事件
訴額 160万円 貼用印紙 13000円
請求の主旨
1 被告が、金沢市の野田山墓地に於て、平成4年から法的根拠等々に基づかずに韓国人テロリストである尹奉吉碑の建立許可の継続を行っている事が違法である事を確認する。/ 2 訴訟費用は被告の負担とする。/との判決を求める。
請求の原因
第1 原告の住民監査請求とその結果(略)
第2 金沢市の野田山墓地に於て、被告が平成4年から韓国人テロリストである尹奉吉碑の建立許可の継続を行っている事の違法性及び、本訴訟に至るまでの金沢市とのやり取り。(略)
第3 金沢市の損害について
そもそも本来は前記第2【金沢市の野田山墓地に於て、被告が平成4年から韓国人テロリストである尹奉吉碑の建立許可の継続を行っている事の違法性及び、本訴訟に至るまでの金沢市とのやり取り】の9、10で述べた通り、被告が法的根拠なく締結した本件尹奉吉碑建立許可の契約等は、本来は民法第90条の規定により、公序良俗に反するものなので無効であるが、金沢市の野田山墓地に於て、被告が平成4年から法的根拠等々に基づかずに違法にテロリストである尹奉吉碑の建立許可の継続を行い、また行政財産である野田山墓地を殺人犯の反日韓国人テロリスト尹奉吉の慰霊碑を建立する為に無償提供するという不作為が事実ならば、金沢市の恥であり、良識ある金沢市民や日本国民に対して精神的苦痛という無形損害のみならず、墓地使用料未収という有形の損害を金沢市に与えている。
また、本件碑を肯定する反日本派組織らが、本件碑の建立地を観光の訪問地にする算段をしている事からも、「古都金沢」を訪問する観光客に対して、金沢市の良識や矜持及び観光的価値等を大きく損ない、結果的に取り返しのつかない有形、無形の損害を金沢市民や日本国民に与えている。
第4 結語
前記の理由及び、第一次上海事変停戦交渉の最中であった昭和7年4月29日天長節(天皇誕生日)の日、上海の日本人街の虹口公園で行はれた祝賀式典会場に爆弾を投げ爆発させる事件を引き起こし、上海派遣軍司令官陸軍大将白川義則、上海日本人居留民団行政委員長で医師の河端貞次を殺害し、第3艦隊司令長官海軍中将野村吉三郎、第9師団長陸軍中将植田謙吉、上海駐在総領事村井倉松、上海駐在公使重光葵、上海日本人居留民団書記友野盛ら多数に重傷を負わせた殺人犯テロリストの尹奉吉碑の建立許可を継続する被告の不作為は、民法第90条の公序良俗及び金沢市墓地条例等々に違反しているので、即刻、尹奉吉顕彰碑建立側である「ユンボンギルの暗葬之跡を考える会」等々に対して、民法第90条に基づき碑の建立許可契約の無効を主張し、また金沢市墓地条例1条や8条に違反した契約だから、当然に条例に基づき墓地の使用許可の取り消しも宣告し、尹奉吉顕彰碑建立側に碑の撤去命令処分を下すべきとする旨の被告に対する判決を求める。(甲13号証)…省略
(3)尹奉吉墓地使用許可取り消し訴訟・書証(甲1号証~13号証)
甲 1 号証:2024/7/26 監査第 61 号 結果(通知)(全2 頁)
甲 1号証 2-1:金沢市職員措置請求書 大西弘明(全8 頁)……訴状とほぼ同じ
甲 2 号証:金沢市墓地条例(1992/7/1 条例第 36 号)
甲 3 号証:地方自治法 238 条 5 普通財産の管理及び処分
甲 4 号証:民団新聞(2000/10/5) 民団石川が祈念碑前で慰霊祭
甲 5 号証:金沢市財務規則 193 条 公有財産の使用目的の適否
甲 6 号証:金沢市財務規則 201 条 公有財産の目的外使用
甲 7 号証:金祥起「尹奉吉義士の金沢殉国と顕彰事業」(99,108,109 頁)
甲 8 号証:民法 90 条 公序良俗に反す
甲 9 号証:憲法 21 条 表現の自由の濫用
甲 10 号証:憲法 12 条 表現の自由の濫用
甲 11 号証:聯合ニュース……山出保金沢市長 金沢市の所有地を無償で提供
甲 12 号証:Blog 山野之義の議会報告(2008/3/10)……使用料 216 万円
甲 13 号証:産経新聞(2017/3/20)……尹奉吉はテロリストである
(以上、11/14確認分)
尹奉吉碑墓地使用許可取り消し訴訟について
目次
【1】はじめに 経過
【2】墓とは何か
【3】「両墓制」についての再確認(1~3省略、4のみ掲載)
(1)間近にある両墓制/(2)能登半島でも/(3)日本軍兵士の墓/(4)尹奉吉の場合
【4】死体遺棄の尻拭い
(1)捕虜の処刑は国際法違反/(2)死体損壊・遺棄罪
【5】「法的根拠」の検討
(1)暗葬碑も殉国碑も、墓碑そのもの/(2)永代使用料は支払い済み/(3)表現の自由/(4)生前の行為の是非/(5)自己欺瞞からの解放/(6)自らを映す鏡としての暗葬之碑/(7)使用目的は墓碑建立
【6】結論
【資料】(1)住民監査請求(結果の通知)/(2)尹奉吉墓地使用許可取り消し訴訟・訴状抜粋/(3)尹奉吉墓地使用許可取り消し訴訟・甲1~13号証(目録)
【1】はじめに 経過
2021年以来、西村齊は金沢市にたいして、尹奉吉碑の撤去を強請してきたが、2024年6月28日、大西弘明を盾にして、住民監査請求をおこない、7月26日に「本件請求は、違法・不当な財務会計上の行為の防止・是正を目的とする住民監査請求の要件を欠く」として、請求を却下された。
この通知を受けて、西村・大西は8月21日付で、金沢市を被告として、「金沢市の野田山墓地に於て、平成4年から法的根拠等々に基づかずに韓国人テロリストである尹奉吉碑の建立許可の継続を行っている事が違法である事を確認する訴訟」(注:「尹奉吉碑墓地使用許可取り消し訴訟」とする)を、金沢地方裁判所に提訴し、8月23日に受け付けた(行政訴訟)。事件番号は<令和6年(行う)第14号>で、裁判官は松浪聖一である。
第1回口頭弁論は12月17日午後1時30分に202号法廷でおこなわれるが、「住民監査請求に係る審査結果」(2024/7/26)が地方自治法第242条第1項の要件を具備しているか否かを問う裁判なので、西村・大西の主張に踏み込まずに、結論が出される可能性がある。
この裁判の如何によっては、尹奉吉の遺骨が残されている暗葬之碑が撤去・更地にされ、人々の歩く通路とされ、ふたたび尹奉吉を日本市民の足下で苦しませることになり、私たち日本市民としては、このような不条理に、手をこまねいて見守っていてはいけないだろう。
住民監査請求 第242条1項
普通地方公共団体の住民は、当該普通地方公共団体の長若しくは委員会若しくは委員又は当該普通地方公共団体の職員について、違法若しくは不当な公金の支出、財産の取得、管理若しくは処分、契約の締結若しくは履行若しくは債務その他の義務の負担がある(当該行為がなされることが相当の確実さをもつて予測される場合を含む。)と認めるとき、又は違法若しくは不当に公金の賦課若しくは徴収若しくは財産の管理を怠る事実(以下「怠る事実」という。)があると認めるときは、これらを証する書面を添え、監査委員に対し、監査を求め、当該行為を防止し、若しくは是正し、若しくは当該怠る事実を改め、又は当該行為若しくは怠る事実によつて当該普通地方公共団体のこうむつた損害を補填するために必要な措置を講ずべきことを請求することができる。
本論に入る前に、尹奉吉による1932年上海爆弾事件について、概略を確認しておこう。1932年といえば、日帝の朝鮮侵略の端緒となった江華島事件(1875年)から57年、朝鮮強制併合(1910年)からすでに20年が経ち、朝鮮人民の怒りが渦巻き、独立運動は朝鮮半島から中国、日本にまで拡大していた。
事件前年の1931年9月18日の満州事変から15年戦争が始まり、翌1932年1月28日には第1次上海事変、3月1日には満州国でっち上げ(中国東北部侵略)へと進み、上海派遣軍が4月29日の天長節(天皇誕生日)に、上海で戦勝祝賀の軍事パレードと式典をおこなった。
尹奉吉も中国に亡命し(1930年~)、数万人の在外独立運動家の一人として、金九とともに上海爆弾事件を実行し、式壇上に居並ぶ軍人をことごとく打倒し、日帝侵略軍隊に大打撃を与え、中国人民から歓呼の声で迎えられた。
その場で逮捕された尹奉吉は、上海~大阪~金沢に送られ、1932年12月19日三小牛山で処刑され、野田山陸軍墓地と市民墓地をつなぐ通路に埋め捨てられたのである(刑法第190条:死体損壊・遺棄)。
それから13年後の1946年3月6日、尹奉吉の遺体は発掘され、本国に帰り、丁寧に安葬された。さらに時を経て、1990年代になり、在日朝鮮(韓国)人と日本人によって、遺骨の残る暗葬地に尹奉吉の遺志が込められた墓碑建設が進み、1992年12月暗葬之碑が設置された(殉国碑は同年4月)。
西村・大西の「尹奉吉碑撤去論」の根幹は、「日本に楯突いた尹奉吉の墓碑を市民墓地に造らせるな」にあり、「遺体・遺骨のない墓は墓ではない」という謬論を立てて、金沢市に墓地使用許可の取り消しを要求している。
以下、訴状中の西村・大西の主張について、検討を加える。
【2】墓とは何か
民俗学者たちは、過去の日本には単墓制と両墓制(埋葬のための空間と祭祀のための空間)が存在したと結論づけている。すなわち、両墓制の意義は、人間は肉体と霊魂によって構成されており、肉体は埋葬地に埋めて、やがては微生物に分解されたり、海に流されたりして、自然に帰るが、霊魂は生活空間に建てられた墓石(モニュメント)に宿り、人々の招きに応えて、人々とともに存在し続けるという。そこには、有形の肉体よりも、無形の霊魂こそが人間の本質(動物との違い)であるとして、対象化・具現化しているのが、墓(モニュメント)である。
「遺骨がなければ墓ではない」と、外面しか見ようとしない、浅薄な思考ではなく、遺骨の存否にかかわらず、墓前で先人を偲び、学ぼうとする、人間の精神的営為(プラス・マイナス両面)の対象こそが、墓なのである。私たちは、人類発生以来の先人から、長い年月を経て受け継いできた精神(知・心)を、次世代に渡すためにこそ、墓(モニュメントや記録)を必要としているのではないか。
【3】「両墓制」についての再確認
西村・大西は【請求の原因 第2-3,6】で、尹奉吉の墓地に「遺体や遺骨が埋葬されてゐない」(注1)から、金沢市墓地条例8条1(墳墓の設置以外の目的に墓地を使用したとき)を適用して、墓地使用許可を取り消せと主張している。野田山墓地にある尹奉吉暗葬之碑(新墓地丙196番)は尹奉吉の遺骨が眠る「埋め墓」であり、殉国碑(新設墓地211番)は遺体・遺骨のない「詣り墓」である。このような葬制を「両墓制(埋め墓、詣り墓)」と言い、日本古来から普通に執り行われてきた(注2)。この一点からして、原告らの論理が破綻している。
(注1)「請求の原因」第2-3に、「遺体や遺骨が埋葬されている墓ではない本件尹奉吉碑」、第2-6に「尹奉吉顕彰碑は遺骨が埋葬されてゐる墳墓ではなかった」「尹奉吉慰霊碑は既に墓ではなかった」との記載がある。2021年12月22日付の金沢市への「要請書」には「尹奉吉顕彰碑は遺骨が埋葬されてゐる墳墓ではないので、金沢市墓地条例第1条(「第8条の1」の誤り)に違反してゐる」と述べている。
(注2)「両墓制集落における祭祀と埋葬の空間論」(川添善行)/「両墓制の時空間的展開」(千葉徳爾)/『両墓制と他界観』(新谷尚紀)/『増補 両墓制の資料』(大間知篤三)
まずは、「尹奉吉墓碑は、墓碑や、否や」について検討することからはじめよう。
間近にある両墓制(略)
(ブログ「アジアと小松」中の「20220708両墓制について」「20220724続両墓制について」「20230708続々両墓制について」を参照)
尹奉吉の場合
不当な植民地支配に直面した尹奉吉は、意を決して亡命し、大韓民国亡命政府の韓人愛国団に参加し、日本帝国主義に植民地解放戦争を挑んだのである。1932年4月29日上海虹口公園での戦いで捕虜となった。12月19日尹奉吉は捕虜でありながら、「陸戦の法規慣例に関する条約」(注3)を無視して、金沢・三小牛山で処刑され、野田山陸軍墓地と市民墓地をつなぐ通路に暗葬された。
1946年3月に遺体は発掘され、大部分は韓国に移されたが、回収できなかった一部の遺骨はそのまま埋め戻されていた。1992年に、多くの日朝(韓)市民の努力で、暗葬之碑(埋め墓)と殉国碑(詣り墓)が建てられ、毎年多くの人が墓参に訪れている。暗葬之碑は「埋め墓」であり、殉国碑は「詣り墓」であることは歴然としている。
(注3)「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」 第二章 俘虜/第4条:俘虜は敵の政府の権内に属し、これを捕らえた個人、部隊に属するものではない。俘虜は人道をもって取り扱うこと。/第7条:政府はその権内にある俘虜を給養すべき義務を有する。/第20条:平和克復の後はなるべく速やかに、俘虜をその本国に帰還させなければならない。
【4】死体遺棄の尻拭い
西村・大西は、【請求の原因 第2-5】のなかで、金沢市財務規則第201条にある「行政財産は、次の各号のいずれかに該当する場合に限りその用途又は目的外に使用を許可することができる。(5)市長が特に必要やむを得ないと認めるとき」という条項を根拠にして、尹奉吉墓碑建立許可は「必要やむを得ない」に該当せず、墓地使用許可を撤回すべきだと主張している。
すでに前項で、暗葬碑も殉国碑も墓碑であることを確認した通り、金沢市財務規則第201条に依らなくても、墓地用地の使用許可を出すことになんら誤りがない。しかし、西村・大西は、尹奉吉の墓地の使用許可は「必要やむを得ない」(金沢市財務規則第201条-5)にあたらないと主張しているが、第九師団によって、不法に処刑(注4-1)され、野田山墓地通路に不法に埋葬(注4-2)された尹奉吉の埋葬地(遺骨をふくむ)に墓碑を建てなければ、埋葬地は人々の踏むに任されることになり、この事態を回避するために、「必要やむを得ない」対処(尹奉吉墓碑建立に許可を与えること)だとすれば、金沢市の対応には道理がある。おそらく、西村・大西は人(尹奉吉)の遺体・遺骨を踏みにじっても、恬として恥じない人格をもっているのだろう。
その論拠を以下に述べよう。
(注4-1)捕虜の処刑は国際法違反
白川軍司令官は上海爆弾事件後の5月26日に死亡したが、6月の陸軍省人事局恩給課から外務省宛の公文書「戦傷死ト判定スル理由」のなかで、軍は「支那軍ノ便衣隊ト同一視スヘキモノト思惟ス。故ニ本件ハ満州事変発生以来満州方面ニ於テ支那便衣隊ノ狙撃に依リ殺害セラレタル」「本事件ハ其ノ下手人ノ所属国ノ何タルカヲ問ワス我カ軍ニ対スル敵対行為ニヨッテ行ハレタルモノト謂フヘク単ナル暗殺行為ノ結果トシテ取扱フヲ許サス。…軍司令官ノ死ハ単ナル公務死亡ニ非スシテ戦傷死トシテ其ノ事実ヲ判定」(「白川大将の扶助料請求書を添附せし書類に関する附●● 陸軍省人事局恩給課 村山大● 印」)し、白川軍司令官の死を戦死として扱った。
すなわち、尹奉吉は「敵軍の兵」であり、「敵軍」による日本軍にたいする戦争行為の結果、白川軍司令官が戦死したと判定した。尹奉吉のたたかいは「単なる暗殺行為」ではなく、「戦争行為」だったと判定したのである。
尹奉吉は交戦当事者であり、敵(日本軍)に捕らえられた場合、本来、「敵軍(第九師団)の捕虜」として扱われる権利を持っていた(「ハーグ陸戦条約」1911年11月6日批准)。条約第4条には、「捕虜は敵の政府(日本政府)の権内に属し、これを捕らえた個人、部隊に属するものではない。捕虜は人道をもって扱うべし」と規定されている。すなわち、捕虜・尹奉吉は上海派遣軍(第九師団)に属さず、従って軍法会議で尹奉吉を「犯罪人」として被告席に座らせることはできないのである。
尹奉吉は戦争捕虜として、人道的に処遇され、戦争が終わった時に解放されてしかるべきであったにもかかわらず、上海派遣軍はハーグ陸戦条約に違反して、軍法会議で尹奉吉に死刑判決を出し、三小牛山で処刑したのである。
(注4-2)死体損壊・遺棄罪
尹奉吉を刑法犯として軍法会議にかけ、死刑を執行したが、死刑執行自体に誤りがあった。死刑囚の処刑は①「刑事施設内の刑場」でおこない、②親族から遺体の引き取りを要請されたら、渡さねばならない。③引き取りの要請が無ければ、「陸軍埋葬地ノ一隅ニ土葬」「刑事施設ノ墓地ニ仮葬」し、④石の墓標を立てること。⑤死亡確認後24時間は埋火葬しない。⑥処刑後すみやかに「監獄所在地ノ市町村長ニ死亡ノ報告」をすべきと規定されている。(「2・26事件 在天の男たちへ」澤地久枝、1988/4『別冊文藝春秋』)
しかし、尹奉吉の場合、処刑は三小牛山の西北谷間でおこない(①違反)、第九師団は尹奉吉の親族には処刑の月日、場所を知らせず、後日処刑を知った親族が遺体の引き取りを要請したが、拒否された(②違反)。土葬の場所は「刑事施設の墓地」ではなく、墓地敷地内の通路で(③違反)、「石の墓標」は立てられなかった(④違反)。第九師団は午前7時40分に死亡確認したあと、3時間後の11時の記者会見までには埋葬(隠滅)を終えた(⑤違反)、処刑後に金沢市に報告したという記録は残されていない(⑥違反)。
まさに、第九師団による尹奉吉の遺体処理は、金沢市民墓地の通路に、無断で穴を掘り、尹奉吉を埋めて、墓標も立てず、踏み固めて隠しており、死体損壊・遺棄罪(刑法第190条)が適用される事件である。
刑法第190条:死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、3年以下の拘禁刑に処する。
【5】「法的根拠」の検討
原告らが「違法許可」の法的根拠として、次の9点を挙げている。
①金沢市墓地条例第1条、第8条、第5条、②民法第121条2第1項(原状回復義務)、③憲法第12条(自由・権利の保持の責任とその濫用の禁止)、④憲法第21条(集会、結社、表現の自由、通信の秘密)、⑤民法第90条(公序良俗違反)、⑥民法第710条(非財産的損害の賠償)、⑦地方自治法第238条4第7項(行政財産の管理及び処分)、⑧金沢市財務規則第193条(公有財産の注意義務)、⑨金沢市財務規則第201条(行政財産の用途又は目的外使用)
(1)暗葬碑も殉国碑も、墓碑そのもの
原告らは、【請求の原因 第2-3,6】のなかで、尹奉吉の墓地に「遺体や遺骨が埋葬されてゐない」から、金沢市墓地条例8条(1墳墓の設置以外の目的に墓地を使用したとき)を適用して、使用許可を取り消せと主張している。すでに、両墓制について説明したとおり、「埋め墓」も「詣り墓」も墓碑そのものであり、原告らの主張は通らない。
原告らは「第5条には、公益に関連して特に墓地使用の必要を生じたと認められるものにつき、市長は…」と書いているが、条文を検証すると、「市長は、特に必要があると認めるときは、使用料を減免することができる」と書かれているだけであり、「公益に関連して特に墓地使用の必要を生じたと認められるものにつき」の文言は存在しない。
原告らは「公益性がない」「道理がない」「公序良俗や公共の福祉にも反している」と主張しているが、第5条には「公益」に関する記述がなく、使用許可を取り消す法的根拠とはなり得ない。
金沢市墓地条例(甲2号証)/第1条 本市は、墳墓を設けるための墓地を設置する。/第5条 市長は、特に必要があると認めるときは、使用料を減免することができる。/第8条 市長は、使用者が次の各号のいずれかに該当するときは、墓地の使用の許可を取り消すことができる。(1)墳墓の設置以外の目的に墓地を使用したとき。/(2)墓地の使用権を譲渡し、又は墓地を転貸したとき。/(3)墓地の使用の許可を受けた日から3年以内に墳墓を設けないとき。/(4)この条例又はこの条例に基づく規則の規定に違反したとき。
(2)永代使用料は支払い済み
訴状の【請求の原因 第3 金沢市の損害について】のなかで、原告らは「墓地使用料未収という損害を金沢市に与えている」と主張しているが、「応接業務処理カード」(1991/12/6)、「納入通知書兼領収書」(1991/12/26)、「決裁伺書」(2008/12/19)を見れば、金沢市は1991年12月26日に、殉国碑(+暗葬之碑)の墓地用地の永代使用料として216万円、2008年12月には暗葬碑の墓地用地の永代使用料として518,400円を徴集しており、尹奉吉墓地(暗葬地+殉国碑墓地)の永代使用契約が成立していることは歴然としている。
また、原告らは、山野の「216万円の支払い」というブログ記事によって「無償提供」論が否定されても、民法第90条(甲8号証)の公序良俗に反した無効な契約だから、民法第121条の2に基づいて、永代使用料の216万円を返還して、契約を解除すべきと主張しているが、永代使用料の返還を云々するのは、「無効な契約」であることを立証し、確定してからのことではないか。
民法第121条の2-1 無効な行為に基づく債務の履行として給付を受けた者は、相手方を原状に復させる義務を負う。
(3)表現の自由
原告らは【請求の原因 第2-7】のなかで、「テロリストの碑の建立許可を継続する不作為は表現の自由では保護されず、憲法21条の表現の自由の濫用となる」と主張している。墓地の管理者(金沢市)は、墓地使用許可条件を満たしていれば、墓地使用許可を拒んではならず、墓地使用許可条件を満たしているにもかかわらず、被葬者尹奉吉の行為(日本軍による侵略戦争・植民地支配と戦ったこと)を理由に、使用許可を出さなければ、憲法21条の「表現の自由」を犯し、「検閲の禁止」に抵触することは理の当然である。
原告らは「尹奉吉の墓碑を見て社会の利益になったり、碑を見た人が豊かな心や幸福な気持ちになる事は社会通念上、あり得ない」と主張し、日本軍による侵略戦争・植民地支配と戦った尹奉吉を追悼することを、「社会通念に反する」としているが、それは原告らの個人的主観に過ぎず、そのような謬見を普遍的な「公共の福祉」にすり替えて、言いがかりをつけているに過ぎない。
憲法第12条(甲10号証)この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
憲法第21条(甲9号証)集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
(4)生前の行為の是非
原告らは、訴状のなかで、「殺人犯尹奉吉」「テロリスト尹奉吉」という言葉を繰り返し使っている。尹奉吉の墓碑を公有墓地に建てさせてはならないという印象操作以外の何ものでもない。
野田山墓地の一角には、犯罪に手を染め、刑務所で亡くなった人々を弔う「刑務所墓地」があり、市民墓地のなかには、戦争で手柄(敵兵や市民を殺した)をたてた兵士たちのひときわ大きい墓が目立っている。また、野田山市民墓地に隣接する石川県戦没者墓苑(旧陸軍墓地)には、侵略戦争で戦果を挙げた将兵が祀られている。このように、墓地使用許可は被葬者の生前の行為の是非を問わない。
原告らは、「殺人犯」「テロリスト」の尹奉吉墓碑が民法第90条の「公序良俗」に違反していると述べているが、尹奉吉は日本による植民地支配と戦うために上海に向かい、大韓民国臨時政府(韓人愛国団)に参加し、日本軍と交戦中の一戦士として、白川大将らを打倒した。この行為のどこが、人倫に反し、正義に反するというのか。人倫に反し、正義に反しているのは朝鮮を植民地支配していた日本(軍)である。
また、戦争捕虜が裁判にかけられるのは、無辜の民間人にたいして「人道に反する罪」を犯したときに成立するのであり、尹奉吉が日本の将兵を打倒したことを、「公序良俗に反する」として、裁判にかけるのは間違いである。
民法第90条(甲8号証)公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為は、無効とする。【過去の判例の傾向によると、人倫に反する行為(例:既婚者との婚約)、正義の観念に反する行為(例:賭博行為)、個人の自由を極度に制限する行為(例:芸娼妓契約)、暴利行為(例:過度の違約金)】
(5)自己欺瞞からの解放
原告らは【請求の原因 第2-8】のなかで、「金沢市は、本件テロリスト碑の建立許可継続によって、良識ある金沢市民や日本国民に対して精神的苦痛等々による無形損害という損害を与える悪行を継続している」と主張し、民法710条に依拠して、撤去(墓地使用許可の取り消し)の根拠としている。
しかし、暗葬之碑(殉国碑)は、私たち日本人に、かつての植民地支配と侵略戦争を直視し、反省する機会を与えてくれるかけがえのないモニュメントであり、過去の罪科を直視することから逃れたいという自己欺瞞からの解放のツールである。暗葬之碑(殉国碑)によって「精神的苦痛」を受けるのは、植民地支配と侵略戦争を肯定・称揚し、多大の犠牲者を思いやる心のない人たちであり、憲法前文や9条に背反し、普遍性はない。
民法第710条 他人の身体、自由若しくは名誉を侵害した場合又は他人の財産権を侵害した場合のいずれであるかを問わず、前条の規定により損害賠償の責任を負う者は、財産以外の損害に対しても、その賠償をしなければならない。
(6)自らを映す鏡として
【請求の原因 第2-5】のなかで、金沢市は、野田山墓地に暗葬之碑(殉国碑)を建立するために、「行政財産の目的外使用(地方自治法第238条4第7項)を許可した」と言い訳しているそうだが、原告らは「(尹奉吉慰霊碑建立の)目的に道理がない」「行政財産を使用するには不当」と反論している。
墓地用地(行政財産)の用途は墓碑建立であり、その目的は被葬者の追悼であり、暗葬之碑(殉国碑)用地使用許可には、何等の瑕疵もない。朝鮮植民地支配に反対し、中国侵略阻止に身を捧げた尹奉吉を追悼・慰霊し、遺志を継承することは、日・中・韓(朝)人民共通の課題であり、責務である。とりわけ日本(人)にとっては、尹奉吉暗葬之碑(殉国碑)はかつての自姿を映す鏡であり、墓前で不戦を誓うことは「墓碑建立の目的」としての道理にかなっている。
むしろ、尹奉吉を「殺人犯」「テロリスト」などとレッテルを貼って否定することは、天皇政府によって強行された朝鮮植民地支配、中国侵略戦争を是認することであり、これこそ道理に悖る主張である。
地方自治法第238条4第7項 行政財産は、その用途又は目的を妨げない限度においてその使用を許可することができる。
(7)使用目的は墓碑建立
原告らは【請求の原因 第2-5】のなかで、「金沢市財務規則第193条に当てはめると、金沢市の公有財産に殺人犯の慰霊碑を建立する事は明らかに使用目的としては公序良俗や公共の福祉に反し、適さない事は明白である」と主張しているが、金沢市財務規則193条の「(1)公有財産の使用目的の適否」を検討すると、墓地用地に墓碑を造り、墓前で尹奉吉を慰霊することは、墓地の使用目的に100%適っている。尹奉吉の墓前で再び侵略戦争の愚を繰り返さないことを誓うことは、「公序良俗」「公共の福祉」の具現化であり、日本人にとってこそ意義を持っている。
加えて、第193条のどこを見ても、被葬者の条件として、殺人犯であるか、否かを問うてはいない。
金沢市財務規則第193条(甲5号証)課長は、その所管する公有財産について常にその現状を把握し、特に次に掲げる事項に注意しなければならない。(1)公有財産の使用目的の適否/(2)公有財産の維持保存/(3)電気、ガス、給排水等の設備の良否/(4)土地の境界/(5)台帳及び附属図面と所管する公有財産との照合。
【6】結論
以上の通り、尹奉吉の暗葬碑は埋め墓であり、殉国碑は詣り墓であり(両墓制論)、金沢市民墓地に墓碑を建てること(金沢市が許可すること)には何の瑕疵もない。
加えて、尹奉吉の遺体を隠滅するために、第九師団の管理区域外の市民墓地の通路に暗葬し(死体遺棄)、その結果金沢市が尻拭いを強いられての墓地使用許可であり、その責任は第九師団にこそあることを、原告らは見ようとはしない。
原告ら(西村・大西)は尹奉吉を「殺人者」「テロリスト」などと、「犯罪者」のレッテルを貼り、公営墓地である野田山市民墓地の使用許可は誤りだと主張しているが、野田山の刑務所墓地(注:ブログ「アジアと小松」中の「20201203尹奉吉暗葬地と刑務所墓地」参照)には、いわゆる「罪」を犯し、亡くなった人の墓があり、市民墓地には、戦地に動員され、殺し・殺されるという環境に投げ出され、ついに不本意な死を強いられた将兵たちの墓も多数存在している。さらに言えば、1582年3月、300人の鳥越城の一向宗徒を磔にした佐久間盛政の後を継いで金沢城に入城(1583年)した前田利家の墓がある。尹奉吉だけを排除せよという主張は筋が通らない。
市民墓地は、生前を問わず、死者を選別せずに葬る場所であり、問われているのは、残された人が、亡き人に向き合って、何を思考するのかであろう。
【資料】
(1)2024年7月26日 住民監査請求に係る審査結果について(通知)
令和6年6月28日に提出のあった金沢市職員措置請求書(以下「本件請求」という)については、慎重に審議した結果、次の理由により地方自治法(昭和22年法律第67号)第242条第1項の要件を具備していないと認められ、これを却下することが相当であると決定したので通知します。
理由
地方自治法(昭和22年法律第67号)第242条第1項において住民監査請求の対象となる財産管理行為とは、財産的価値に着目し、その価値の維持、保全を図る財務的処理を直接の目的とする財務会計上の行為とされている。
本件請求は野田山墓地に設置されている慰霊碑の撤去を求めるものであるが、本慰霊碑の設置については、請求人が主張するいずれの根拠に照らしても、その許可処分は金沢市が墳墓を設けるために設置している野田山墓地の財産的価値の維持・保全を図る財務的処理を直接の目的にするものではないことから、土地の使用という財産管理の一面を有していても、行政管理上の問題であって、住民監査請求が対象とする財務会計上の行為とはいえないものである。
したがって、本件請求は、違法・不当な財務会計上の行為の防止・是正を目的とする住民監査請求の要件を欠く監査請求であると判断した。
(注:中川可能作らによる住民監査請求にたいする「結果(通知)」(2006/5/25)と同文である)
(2)尹奉吉墓地使用許可取り消し訴訟・訴状抜粋
令和6年8月21日 金沢地方裁判所御中 原告 大西弘明(印)
当事者の表示(略)
被告 金沢市 代表者兼裁決行政庁 村山卓金沢市長
怠る事実の違法確認請求事件
訴額 160万円 貼用印紙 13000円
請求の主旨
1 被告が、金沢市の野田山墓地に於て、平成4年から法的根拠等々に基づかずに韓国人テロリストである尹奉吉碑の建立許可の継続を行っている事が違法である事を確認する。/ 2 訴訟費用は被告の負担とする。/との判決を求める。
請求の原因
第1 原告の住民監査請求とその結果(略)
第2 金沢市の野田山墓地に於て、被告が平成4年から韓国人テロリストである尹奉吉碑の建立許可の継続を行っている事の違法性及び、本訴訟に至るまでの金沢市とのやり取り。(略)
第3 金沢市の損害について
そもそも本来は前記第2【金沢市の野田山墓地に於て、被告が平成4年から韓国人テロリストである尹奉吉碑の建立許可の継続を行っている事の違法性及び、本訴訟に至るまでの金沢市とのやり取り】の9、10で述べた通り、被告が法的根拠なく締結した本件尹奉吉碑建立許可の契約等は、本来は民法第90条の規定により、公序良俗に反するものなので無効であるが、金沢市の野田山墓地に於て、被告が平成4年から法的根拠等々に基づかずに違法にテロリストである尹奉吉碑の建立許可の継続を行い、また行政財産である野田山墓地を殺人犯の反日韓国人テロリスト尹奉吉の慰霊碑を建立する為に無償提供するという不作為が事実ならば、金沢市の恥であり、良識ある金沢市民や日本国民に対して精神的苦痛という無形損害のみならず、墓地使用料未収という有形の損害を金沢市に与えている。
また、本件碑を肯定する反日本派組織らが、本件碑の建立地を観光の訪問地にする算段をしている事からも、「古都金沢」を訪問する観光客に対して、金沢市の良識や矜持及び観光的価値等を大きく損ない、結果的に取り返しのつかない有形、無形の損害を金沢市民や日本国民に与えている。
第4 結語
前記の理由及び、第一次上海事変停戦交渉の最中であった昭和7年4月29日天長節(天皇誕生日)の日、上海の日本人街の虹口公園で行はれた祝賀式典会場に爆弾を投げ爆発させる事件を引き起こし、上海派遣軍司令官陸軍大将白川義則、上海日本人居留民団行政委員長で医師の河端貞次を殺害し、第3艦隊司令長官海軍中将野村吉三郎、第9師団長陸軍中将植田謙吉、上海駐在総領事村井倉松、上海駐在公使重光葵、上海日本人居留民団書記友野盛ら多数に重傷を負わせた殺人犯テロリストの尹奉吉碑の建立許可を継続する被告の不作為は、民法第90条の公序良俗及び金沢市墓地条例等々に違反しているので、即刻、尹奉吉顕彰碑建立側である「ユンボンギルの暗葬之跡を考える会」等々に対して、民法第90条に基づき碑の建立許可契約の無効を主張し、また金沢市墓地条例1条や8条に違反した契約だから、当然に条例に基づき墓地の使用許可の取り消しも宣告し、尹奉吉顕彰碑建立側に碑の撤去命令処分を下すべきとする旨の被告に対する判決を求める。(甲13号証)…省略
(3)尹奉吉墓地使用許可取り消し訴訟・書証(甲1号証~13号証)
甲 1 号証:2024/7/26 監査第 61 号 結果(通知)(全2 頁)
甲 1号証 2-1:金沢市職員措置請求書 大西弘明(全8 頁)……訴状とほぼ同じ
甲 2 号証:金沢市墓地条例(1992/7/1 条例第 36 号)
甲 3 号証:地方自治法 238 条 5 普通財産の管理及び処分
甲 4 号証:民団新聞(2000/10/5) 民団石川が祈念碑前で慰霊祭
甲 5 号証:金沢市財務規則 193 条 公有財産の使用目的の適否
甲 6 号証:金沢市財務規則 201 条 公有財産の目的外使用
甲 7 号証:金祥起「尹奉吉義士の金沢殉国と顕彰事業」(99,108,109 頁)
甲 8 号証:民法 90 条 公序良俗に反す
甲 9 号証:憲法 21 条 表現の自由の濫用
甲 10 号証:憲法 12 条 表現の自由の濫用
甲 11 号証:聯合ニュース……山出保金沢市長 金沢市の所有地を無償で提供
甲 12 号証:Blog 山野之義の議会報告(2008/3/10)……使用料 216 万円
甲 13 号証:産経新聞(2017/3/20)……尹奉吉はテロリストである
(以上、11/14確認分)