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アジアと小松

アジアの人々との友好関係を築くために、日本の戦争責任と小松基地の問題について発信します。
小松基地問題研究会

20241223 第7次小松基地爆音訴訟口頭弁論傍聴報告

2024年12月24日 | 小松基地爆音訴訟傍聴記
20241223 第7次小松基地爆音訴訟口頭弁論傍聴報告

 12月23日午後1時45分に、第2号法廷の扉が開き、原告・傍聴者が入廷した。すでに、被告人席には国側代理人10人ほどが着席し、原告弁護団席は徐々に席が埋まり、20人ほどが着席した。
 開廷時間の2時になり、書記官が携帯電話で連絡した様子で、やがて正面の扉が開き、3人の裁判官が現れ、傍聴席から仰ぎ見る位置に着席した。江戸時代の御白洲のように、我々を砂上に敷かれた莚の上に坐らせて、一段高いところから采配を振ろうとしているようで、時代錯誤の感を拭えない。



 原告、被告双方の提出書面を確認して、原告側の「第2準備書面―騒音暴露の実態」の要約陳述がはじまった。
 第2準備書面の原資料は①原告団による1989年以降の騒音調査結果、②1974年以降の国・県・市町村三者共同による測定結果、③航空交通管制月間交通量集計表である。

50年前も、現在も
 三者共同測定は1974年からはじまっており、「ファントムお断り」を公約に掲げた竹内伊知さんを当選(1972~80年)させた小松市民の底力が反映されていたのだろう。1974年といえば、今から50年前である。小島町でおこなわれた三者共同測定では、1974~1991年の騒音レベルの年間平均値は86~95dB(A)であり、2005~2011年は88~91dB(A)であり、小島町の住民は、この40年間(50年後の今も!)激騒音に晒され続けてきたのである。

中島コースについて
 防衛省は「10・4協定」の準備過程で、北西側に離陸する場合は速やかに海上に抜ける(中島コース)を約束したが、原告団の調査報告書によれば、1989~1993(Ⅰ・Ⅱ)の遵守率は22.7~28.4%、1994~1998(Ⅲ)は22.5%、1999~2003(Ⅳ)は19.1%、2005~2011(Ⅴ)は17.4%へと、どんどん遵守率が悪化している。その分住民への騒音曝露がふえているということだ。



アグレッサー部隊
 2016年に新田原基地から飛行教導群(アグレッサー部隊)が小松基地に移駐し、F15戦闘機が40機から50機体制に変わった。第Ⅵ回調査報告書(2012~2017)で、その前後を比較すると、各機の騒音値はほぼ横ばいだが、騒音発生頻度は移駐前=7.75~7.78/時間、移駐後=8.34~9.23/時間となり、騒音回数が増加し、騒音環境が悪化していると結論している。

今後はどうなるのか?
 軍用機の月間航空交通量(管制数)を見ても、移駐前(2012~2015年度)の平均は17020回/年であり、移駐後(2016~2018年度)の平均は18358回/年であり、7・9%も増加している(コロナ禍がはじまった2019年度以降については対象化されていない)。

 今後、2025年度からは現在のF15はより騒音の激しいF35A戦闘機に機種変更されることがきまっており、小松基地周辺住民にとって、騒音環境悪化が待ち受けている。そのような事態を招かないためにも、第7次訴訟で、自衛隊憲法違反の判決をかちとり、静かな空を取り戻さねばならない。次回口頭弁論は4月14日(月)午後2時~


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