アジアと小松

アジアの人々との友好関係を築くために、日本の戦争責任と小松基地の問題について発信します。
小松基地問題研究会

「対テロ戦争」の実態

2015年12月17日 | 雑感
「対テロ戦争」の実態
 2011年に始まったシリア内戦で約25万人の死者がもたらされ、国民の半数近くが難民となっている。それは一体誰が生み出したのか。

 第1次世界大戦中の1916年に英仏が中東を分割・植民地支配するために、サイクス・ピコ協定を結んだ。イスラム国はこの国境を否定し、帝国主義による中東支配に異議を唱えている。

 アメリカを先頭とする有志連合(日本も参加している)によるイスラム国にたいする戦争行為にはひとかけらの正義もない。

アメリカの責任
 「CIAの協力でシリア反乱勢力への武器輸出が拡大している」(「ニューヨークタイムズ」2013.3.24)という。また、「オバマ政権は2012年の初期にシリアの反乱勢力がアルカイダや『サラフィー主義』と呼ばれるスンニ派の過激勢力に率いられている事実を把握していた」という国防総省の内部文書(「ジュディシャル・ウオッチ」2015.5)。さらに、「ビジネス・インサイダー」(2012年10月9日)によれば、リビアからシリアへの武器輸送(海上輸送)を実行したのはベンガジ駐在のCIAとアルカイダ系の「リビア・イスラム戦闘集団」だった。

 このように、米国はアサド政権転覆ために、2001年以降の「対テロ戦争」と称する中東侵略戦争でアルカイダやその流れをくむ抵抗勢力を何らかの形で支援してきたのであり、イスラム国はそうした中東の抵抗勢力から生まれたのである。

 米国は5000人のイスラム国と戦う戦士を訓練したが、残ったのは4~5人であり、それ以外はイスラム国やヌララ戦線などに合流した。その結果、武器の大半が中東の抵抗勢力に渡ったといわれている(「ニューヨークタイムズ」2012年10月14日)。

 まさにアメリカの不当な介入こそが中東の政治的不安定をもたらし、大量の死者と難民を生み出しているのである。

フランスの責任
 英国のジャーナリスト/フィニアン・カニングハムは「難民の根源は米国の政権転覆工作だ」(同誌10月30日号)という記事のなかで、「フランスはアサド大統領を追放するためシリアの内戦を助長し、火に油を注いできた。英国と並びフランスは中東支配の野望にかられた米国主導の無法なアサド政権転覆工作を後押しするのに熱心だ」と書いている。

 このように、フランスのオランド大統領は「アサド追放」の最強硬派としてふるまい、その結果、2015年1月にはシャルルエブド襲撃事件、11月にはバタクラン劇場襲撃事件などが起きた。その原因はフランス自身が加担している中東政策にある。

排外主義が席巻する世界
 バタクラン劇場襲撃事件後のフランスでは、排外主義を煽動する極右勢力が台頭し、地域議会圏議会選挙の決戦投票(11/13)では国民戦線(ルペン)が27%も得票している。アメリカでも、共和党のトランプ候補は「すべてのイスラム教徒の入国を禁止する」(12/7)などと、差別と排外主義を煽動し、人気が加速していると報道されている。

 日本でも、ほとんどのメディアは有志連合によるイスラム国攻撃を「対テロ戦争」とし、「正義の戦争」であるかのように宣伝している。しかし「対テロ戦争」の実態は帝国主義による中東の安定的支配のための戦争であり、不正義の侵略戦争である。かつて日本でも大東亜戦争と呼びながらアジア太平洋地域への侵略戦争をおこなったのと同じ構造である。

 安倍首相はイスラム国と戦う周辺国への財政支援を表明し、アメリカ、フランスの後ろに続こうとしている。日本における反戦平和運動の質が問われてくる。

参考資料
・「フランスの罪深き欺瞞」(成澤宗男2015.11.27「週刊金曜日」)
・「中東の不自然な国境 第1次大戦中の分割」(2015.12.12「北陸中日新聞」)
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