アジアと小松

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小松基地問題研究会

田母神(元)空幕長について

2014年02月07日 | 歴史観
田母神(元)空幕長についての再考

 『真・国防論』(田母神俊雄)は2009年に初版が出され、東日本大震災(福島原発事故)後の2011年に「修正する必要がない」としてそのままの内容で文庫本として発行された。初版出版の前年の2008年、田母神(元)空幕長はアパグループ主催の「真の近現代史観」懸賞論文に「日本は侵略国家であったか」を応募し、最優秀賞を受賞した。論文内容は『真・国防論』に劣らず、否それ以上に事実をねじ曲げたデマが書き殴られている。

 ①「日本が侵略国家というのは濡れ衣である」、②「日本は蒋介石によって日中戦争に巻き込まれた被害者だ」、③「日本政府と日本軍の努力で、現地の人々が過去の圧政から解放され、生活水準も格段に向上した」、④「我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している」、⑤「我が国は…穏健な植民地統治をした」、⑥「我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したといわれるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものである」と、あきれる主張を繰り広げた。

 ③「圧政からの解放」と言うが、「3/1独立運動」で7500人以上の朝鮮人を虐殺し、台湾独立運動を圧殺するために2万4千人も虐殺したことをどう考えるのか。④「現地人の教育に力を入れた」と言うが、それは皇民化教育であり、民族抹殺政策であった。⑥「日本軍の駐留も条約に基づいたもの」と言うが、日韓議定書も、韓国併合も、台湾統治も軍隊を派兵して強行しているのである。④「道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している」と言うが、資源略奪と軍事支配のためのインフラ整備だった。②「日本は日中戦争に巻き込まれた被害者だ」と言うが、アジアに数百万の日本軍を派遣して数千万人も殺しておいて被害者とは! 何をか言わんや。

台湾植民地支配についてみておこう
 1895年、日清戦争に勝利した日本は台湾を割譲し、植民地統治が始まったが、台湾人民は「台湾民主国」を宣言し、武装して戦った。日本軍は5万の兵、2万の軍夫を派兵し、1902年までに2万4千人を殺害して台湾を軍事制圧した。

 台湾総督府は全島を支配した。総督は包括的に政務を統理し、命令、監督の諸権利を併せて行使するばかりでなく、陸海軍の総帥権と軍政権を掌握した。律令制定権は総督の強権を生みだす産婆役として本国から付与された。法律と同等の効力を発する命令を出すことが出来た。
 台湾人の集会結社が禁止され、言論出版が抑制され、台湾人の土地が併呑没収され、台湾人だけの株式会社設立が禁止抑制され、公債引き受け・郵便貯金が強制され、教育・就職の差別がおこなわれた。

 土地調査は本国資本の進出が目的で、土地所有権の明確化、権利移転の近代的保証、租税義務を確立するためにおこなわれた。総督府は、山間僻地に居住する貧窮農民の生活を支えていた森林原野を「確証無き山林原野はすべて官有」と定め、原住民の居住区や台湾人の森林は無主地として没収し、官有化し、ほとんど無償で製糖会社や三井、三菱の企業会社に払い下げた。更に、警察の強権を使って、台湾人の所有として認定された私有地にまで併呑の触手を伸ばした。

 中小地主はたえず租税の取り立てと土地収用併呑におびやかされていた。米作に従事する農民は日帝に米価を牛耳られ、台湾人の米穀商や台湾在来の仲買人が没落すると、米の集荷、脱穀、肥料、水利などすべて総督府の食糧局や農会あるいは三井物産や三菱商事などに支配統制されるに至った。

 大正末期まで台湾人のみによる株式会社の設立が禁止され、台湾人系諸銀行の経営権は乗っ取られ、大東信託株式会社の弾圧、太陽鉱業の経営権奪取、旧式製糖業の併呑、パイン栽培・製缶事業が統合され、その結果、日本統治の末期までに台湾産業はすべて日本人の手中に帰し、台湾特産の米、砂糖、バナナの栽培、水利施設、肥料、加工、販売、出荷、移出など経済活動の端から端まで完全に支配されていた。

 台湾人には重税が課せられ、1904年の財政負担を比較すると、日本では住民1人当たり3334円の負担だったが、台湾では4554円の財政負担を強いられた。1907年の台湾の米産額は約460万石で、1938年には1000万石、産額の約半数は日本本国に積み出し、農民たちは自家消費を減量させてまで米の供出を強制された。

 同じ中学卒業者でも台湾人は日本人の半分以下の待遇だった。大工、左官などは日本人なら東京並みの1日4円だが、台湾人はその半分で、工員、筋肉労働者はすべて台湾人によって占められ、熟練工で日給1円から1円50銭、台南地方の甘蔗園に働く農業労働者は日雇い70銭程度で、女子はその半分しかなかった。
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