ミスター・ポーゴさん急死 大仁田絶句「ヒール道貫いた選手だった」
ぬたりは子供の頃からずっとプロレスを追いかけていたわけじゃないので、FMW全盛期とかは実はあんまり詳しくない(知り合いにプロレス好きが複数いたから知識はある程度ある)のだが、ミスターポーゴの名前は昔から知っていたし、試合自体は会場で一度だけ見たことがある。
いつだったかまでは正確に思い出せなかったのだが、あれこれネットを叩いてみたら記事が出てきて、2005年11月28日のことだった。彼は自らのプロレス団体WWSを主催しており(かなりな零細団体だが2000年からこれ書いてる時点までずっと活動実績があった)、この団体、WWSの伊勢崎大会を見に行ったわけだ。
会場自体がそれほど大きなわけでもなく、WWSも小さな団体だったので、全国的な知名度の選手が続々、と言うわけにも行かない。だが、主催のポーゴの他には、松永光弘、藤原組長、グラン浜田、五所川原吾作、春山香代子、米山香織と言ったあたりが試合を行っており、まあこの方々はプロレスファンなら知ってる面々かしらね。つーかあとは選手覚えてないや。当日の記憶も今となっては結構あやふやではあるんだけどもね。米山香織あたりは試合でのムーブがキレッキレで、あまりの感動に、試合後JWPのカタログ購入してサインしてもらったのは今となっては良い思い出かね。もうないもんな、JWP。
で、メインがノーロープ有刺鉄線デスマッチで、知らずに来て結構引いてた人もいたなあ、という感じ。市民を招待でもしてたんですかね? 客席近くまで血液も飛んでたしなあ。
大会自体は、ポーゴの地元と言うこともあって、それなりには良い大会だったと思うな。惜しむらくは当時のぬたりはプロレス知識の蓄積がそれほどなく、その良さを堪能しきれなかったことではあるな。今から思えば豪華ですぜ。松永、藤原、グラン浜田が6人タッグで試合してたんですぜ。五所川原吾作も「ミスターポーゴ」名義(※)での試合(だからメインはミスターポーゴ対ミスターポーゴ)だったし。
さてさて、この大会の一番の思い出は試合ではない。大会開始前にある。
ぬたりはこの大会で当日券を購入している。地方の小さな団体の興行であり、大会に気づいたのが数日前だったので前売り券を買えなかったのだ。
大会開始の1時間くらい前に会場に着くと、まだ人はまばらであった。体育館の入り口にはテーブルが置かれ、2人の男性が当日券の販売をしていた。デスマッチ、という頭があり、自由に動き回って見られるチケットが良かろうと、ぬたりは立ち見席の購入を告げた。すると左の男性が
「まだリングサイドの券ありますよ。遠慮しないで」とにこやかに話しかけてきた。ぬたりは上記の理由を告げようと、ジャージを着たその男性に顔を向けた。
何やってんすかミスターポーゴ。
なんとその日のメインイベンターご本人がにこやかな笑顔で当日券販売をなさっていた。その数時間後には血だらけで鎖鎌片手に火を噴く人と同一人物とは思えなかったわなあ。
ちなみにポーゴと言えば「ダミ声で何言ってるんだか分からない」というのが必ず言われることだが、当日券売り場ではダミ声ではあったけど普通に会話出来たよ。何人かのプロレスラーの声が聞き取りにくい(現役では本間とか)ってのは、プロレス会場の貧弱な音響のせいもあるんだよね。実際、試合時のマイクパフォーマンスは、何言ってんだかひとっつも分からなかったわ(おい)
※
ミスターポーゴは一度引退しており、その際にリングネームは五所川原吾作が2代目として引き継いでいる。しかし後に本人が復帰したため、2代目はミスターポーゴをそのまま名乗るわけにもいかず、リングネームが2転3転していくことになる。
ぬたりは子供の頃からずっとプロレスを追いかけていたわけじゃないので、FMW全盛期とかは実はあんまり詳しくない(知り合いにプロレス好きが複数いたから知識はある程度ある)のだが、ミスターポーゴの名前は昔から知っていたし、試合自体は会場で一度だけ見たことがある。
いつだったかまでは正確に思い出せなかったのだが、あれこれネットを叩いてみたら記事が出てきて、2005年11月28日のことだった。彼は自らのプロレス団体WWSを主催しており(かなりな零細団体だが2000年からこれ書いてる時点までずっと活動実績があった)、この団体、WWSの伊勢崎大会を見に行ったわけだ。
会場自体がそれほど大きなわけでもなく、WWSも小さな団体だったので、全国的な知名度の選手が続々、と言うわけにも行かない。だが、主催のポーゴの他には、松永光弘、藤原組長、グラン浜田、五所川原吾作、春山香代子、米山香織と言ったあたりが試合を行っており、まあこの方々はプロレスファンなら知ってる面々かしらね。つーかあとは選手覚えてないや。当日の記憶も今となっては結構あやふやではあるんだけどもね。米山香織あたりは試合でのムーブがキレッキレで、あまりの感動に、試合後JWPのカタログ購入してサインしてもらったのは今となっては良い思い出かね。もうないもんな、JWP。
で、メインがノーロープ有刺鉄線デスマッチで、知らずに来て結構引いてた人もいたなあ、という感じ。市民を招待でもしてたんですかね? 客席近くまで血液も飛んでたしなあ。
大会自体は、ポーゴの地元と言うこともあって、それなりには良い大会だったと思うな。惜しむらくは当時のぬたりはプロレス知識の蓄積がそれほどなく、その良さを堪能しきれなかったことではあるな。今から思えば豪華ですぜ。松永、藤原、グラン浜田が6人タッグで試合してたんですぜ。五所川原吾作も「ミスターポーゴ」名義(※)での試合(だからメインはミスターポーゴ対ミスターポーゴ)だったし。
さてさて、この大会の一番の思い出は試合ではない。大会開始前にある。
ぬたりはこの大会で当日券を購入している。地方の小さな団体の興行であり、大会に気づいたのが数日前だったので前売り券を買えなかったのだ。
大会開始の1時間くらい前に会場に着くと、まだ人はまばらであった。体育館の入り口にはテーブルが置かれ、2人の男性が当日券の販売をしていた。デスマッチ、という頭があり、自由に動き回って見られるチケットが良かろうと、ぬたりは立ち見席の購入を告げた。すると左の男性が
「まだリングサイドの券ありますよ。遠慮しないで」とにこやかに話しかけてきた。ぬたりは上記の理由を告げようと、ジャージを着たその男性に顔を向けた。
何やってんすかミスターポーゴ。
なんとその日のメインイベンターご本人がにこやかな笑顔で当日券販売をなさっていた。その数時間後には血だらけで鎖鎌片手に火を噴く人と同一人物とは思えなかったわなあ。
ちなみにポーゴと言えば「ダミ声で何言ってるんだか分からない」というのが必ず言われることだが、当日券売り場ではダミ声ではあったけど普通に会話出来たよ。何人かのプロレスラーの声が聞き取りにくい(現役では本間とか)ってのは、プロレス会場の貧弱な音響のせいもあるんだよね。実際、試合時のマイクパフォーマンスは、何言ってんだかひとっつも分からなかったわ(おい)
※
ミスターポーゴは一度引退しており、その際にリングネームは五所川原吾作が2代目として引き継いでいる。しかし後に本人が復帰したため、2代目はミスターポーゴをそのまま名乗るわけにもいかず、リングネームが2転3転していくことになる。
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