五十年!
その一泊ツアー、バスに乗り込んでまず目を見張った。最後尾にトイレがある。それも二重扉とあって、気の配られたもの。一見して総革張りと分かる座席は新幹線のグリーン席並みに広いし、脚を伸ばす余裕も十分。こんなに大きいバスなのに二十五席しかない。
こうして快適な旅を予感した、その昼食。何の変哲もない紀州海辺の食堂に入って行くから折り詰め弁当程度のものを想像したが、まったく違った。刺身皿には、鯛、ヒラメ、カンパチに生キハダマグロが付いている。別の小鉢には、ホタルイカ。すぐに煮物が出てきたが、これが「春つげ魚」旬のイサキ。甘目だったが、美味い魚だった。ふと前を見たら、連れ合いもこのイサキをすでに綺麗に平らげている。次に出てきた揚げ物は、海老にキスに春の山菜。そして締めの味噌汁が大好物のアサリときては、ここまででこの旅への期待は膨らむばかりだ。こんなわけでお昼の生ビール。美味かったなー。
さて、南紀熊野川を遡った熊野大社に近い川湯温泉のホテル、混浴の川原露天風呂に浸かった後の夕食である。総ガラス窓沿いに川が流れている一階の食堂は、すべてが一等席だ。定番の会席料理に加えて、部屋の奥にしつらえられたバイキング料理が周到で、楽しめたこと。バイキングだけでこんな感じ。炭の遠火焼き鮎が食べ放題だし、土地柄の高野豆腐には筍が合わせてあり、味の濃い生野菜に、デザートは蕨もちや葛切り、などなど。注文した「熊野三山」という吟醸酒が進んだこと。連れ合いも相当飲んで、珍しいほどの赤くなり様。食後は例によって、はるばる持参のギターを弾く。自室窓辺で川音を伴奏にしながらのバッハ・リュート組曲レッスンは、止まり止まりの音でも川面を綺麗に流れて行く感じ。こんなふうに僕は、どんな旅にもギターを持参して、楽しむのを習慣にしている。中国は雲南省北端の、忘れられない夕べ以来欠かしたことがない習慣だ。連れ合い以外は誰もいない少数民族アンティークホテルの中庭で弾き耽った思い出である。
さて、翌早朝、二人で川沿いの舗装道路を下り始めた。心に探し求めるものを持っていたのである。四十五年前この地に数日泊まったときの、名前も覚えていない旅館。あれは一体、どこにあるのか? そもそもどんな旅籠だったのだろう。二人とも、そんなことも忘れてしまった。僕らの新婚旅行のことなのに。
川沿いに二百メートルも下ったころのことだ。道路沿い向こうの二階建てに僕の目が吸い寄せられ、ぼんやりと見覚えが湧いて来る。銅板屋根の四隅が反り返り、切妻・破風などにも、二階の欄干にも年輪が漂っている。今という時代には小さすぎるように見えるが、見るからに由緒ありげな温泉旅籠だ。すぐ前のバス停にもその名が入っていて、二人ともがほぼ同時に思い出していた。「かめ屋旅館」。川向かいの低い山を見上げると、その山裾辺りにも見覚えがある。二人で登った時は、さながら若草山。それが今は大きく育った杉林などにほとんどが覆われていて、左山裾だけに往時の面影が残っている。
「あんな杉なんか、なかったよな。あの後植えられてこんなに育ったんだ。四五年かー」
「つき合い始めてからなら、五十年ね」
でもまー、ある人を配偶者に選んだということがどれだけ大きいことなのか、月日と共に痛感するところではありますね。
その点、今の若者はモー大変! 本命と思い感じた相手はもう奪い合いで、対抗から穴までキープしている。目移りや脱線は日常茶飯事だし、葛藤には全く慣れていないし。
喜んでいいのかしら?
と、今朝、言われてしました。