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よたよたランナーの手記(242)「走りすぎ=不眠」という好調  文科系

2019年01月12日 12時07分48秒 | スポーツ
 1日に前回を書いてから、好調が続いている。ここまで書いてきたようにピッチを増やすことによってフォームが改善されたからだが、そのことを実感し直している日々である。

 書いてきたようにピッチ数を170ほどと10ほど上げたことによって、明らかに左右両脚の着時時間が均等になったと感じられる。右脚に生じた膝や足首などの軽い痛みはもちろん、それ以前の違和感が全く消えてしまった。
 無意識のフォーム悪化って、年寄りの場合気付きにくい内に何と激しく起こるものなのだろうと、痛感したところだ。そんな感想なども伴って例えば最近では、10日に12キロ、8日には11キロなどと、こんなジム・ラン距離も軽く走れている。いずれも80分ほどで走っているが、10日などはこんなふうだ。まず、1時間を目一杯走って最近のほぼ最高距離9・5キロ超。それからなお20数分のLSDで2・5キロ。これで、翌日になんの疲れも無しという好調ぶりだ。

 時速11キロで10分ほどは走れるという現実的な自信さえ生まれている。10キロ時では30分は優に走り通せる。ただし、ちょっと前までと違って、そんなにまで追い込むことはしなくなった。かなり頑張っても、ちょっと苦しい程度に抑えておく。そうでないとなんか、夜眠れなくなるのだ。これが今の僕の走りすぎの証になっている。
「眠られなくなるのが、走りすぎの日の証拠」

 好調、高調な走りは、交感神経を興奮させるのかも知れない。これが、ランナーズ・ハイの正体だったりして・・・。
コメント (1)
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掌編小説  結婚式のフィナーレ   文科系

2019年01月12日 10時10分21秒 | 文芸作品
 娘の結婚式で俺が泣くなんて、思ってもみなかった。これまでただの一度も思ったことがないどころか、涙が出始めるその瞬間まで。あれは良く作られた娘の演出、その演出効果狙いの一つではなかったか。それならそれで良いのだ。別に、俺の意地で泣くまいとしてきたわけでもないのだから。

 式は完全な手作り。チャペル風建物での「人前結婚式」の司会は娘の職場である小学校のお柿さんのような人らしいし、受付も進行係も友人がやっている。それどころか、こういう式につきものの様々の音楽やBGMが全て手作り、生なのである。まず式場へ彼氏が入って行く時は、娘の親友のソプラノ独唱でマスカーニのアベマリア。次に、娘が俺のエスコートで入場するときには、友人女性トリオが「アベ・ベルム・コルプス」を高い天井に響きわたらせる。披露宴では、彼氏の弟の津軽三味線に乗って和装の二人がご入場。披露宴のいわゆる余興にも、もう一人のソプラノ独唱でへンデルの「オンブラマイフ」。オーボエの生演奏もあって、これはシューマンの曲だとか。
 総じて、「手作りの、音楽結婚式」という趣である。教育学部音楽科出身で、音楽教師として海外青年協力隊で中米へ二年間出かけたこともある娘らしいと俺はただただ感心しながら一鑑賞者としてご満悦であった。まさか、この全てが後で俺に降りかかって来るなんてこれっぽっちも思わずに。

 さて、披露宴の終わりである。両親四人が立たされて、その面前で二人が謝辞のような言葉を述べ始めた。娘の番でいきなり「お父さん!」と静かに始まった話は、最も短くまとめるならばこんなふうだ。
「お父さん。私の音楽好きの原点はあなたとの保育園の往復の日々。二人で自転車で歌いながら通ったこと。『ちょうちょ』とか『聖しこの夜』とか、よく歌ったね。思えば、こんな小さな時から、二人で二部の合唱をしていた。私たちも、音楽にあふれた家庭にしたいと思います」
 そこで俺は急遽アドリブでこう返すことになった。とにかく、全く知らされていなかったハプニング場面だから、その時すでにもう涙ぐんでいた。

「まさか、僕が娘の結婚式で泣くなんて、思ってもみなかったことです。娘がよりによってあんなセピア色の話をしたからなんです。しかも今の話、あれは僕の最も弱い場面だと思います。
 さて、君が覚えている自転車通いの話は、兄ちゃんが入学した後の最後の二年。それまでの送迎は確かこうだった。家族四人車で家を出て、車の中で朝食を摂りながら、まず母さんを遠くの職場まで送っていく。それから、家の近くの市立保育園まで戻ってくる帰りには、三人で歌ばかり。ここまでの時間約七十分。それから僕の出勤。お迎えも僕で、また歌ったりね。その間に母さんは夕食作り。夕食を食べると、僕はまた出勤。こんな保育園送迎七年こそ、僕を父親らしくしてくれたんだと思う。『ちょうちょ』も『聖しこの夜』も、今でも低音部を歌えます。こんな僕は凄い薄給だったけど、今振り返れば僕らは豊かだったんじゃないか」

 娘が作ったハプニングを今振り返れば我ながら上手く乗り切ったもので、上手く乗り切りすぎてそれだから泣けてきたというところ。俺にとってのそういう話を、娘が予告もなしに振ったのである。彼女の方はちゃんと文章にしたものを持っていて、こちらはこれを予期していなくともアドリブでなんとか答えるだろうと、見込んでいたのだ。見事な演出と言うべきである。「泣かぬ」と言って来た俺を泣かした上に、そんな涙を手作り結婚式の式次第に組み込むという演出。これは、『手作りの音楽会結婚式のフィナーレ』にぴったりしすぎている。この場面にはおまけに、娘のこんな解説までが言外に含まれているのである。ちょっと敏感な人ならばみんな感ずるような形で。
「父にとってはこれはハプニングです。でも父はあのように応じてくれました。これが、私たちの間柄なんです」
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