OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

奈良富士子への屈折

2013-06-20 15:24:46 | 歌謡曲

はだしの女の子 / 奈良富士子 (CBSソニー)

昨日書いた寺尾聡が出ていたドラマのひとつで、未だサイケおやじが忘れていないのが、昭和46(1971)年秋から放送されていた「美人はいかが?(TBS)」です。

何故かと言えば、それは既に皆様ご推察のとおり、本日掲載のシングル盤で後に歌手デビューも果たす奈良富士子がヒロインでしたからねぇ~~♪

その愛くるしさは絶品、最高、言うこと無しっ!

等々、どのような表現を用いても、サイケおやじの稚拙な文章力ではお伝えすることが不可能なほどでありますよ♪♪~♪

で、件の物語は寺尾聡、夏夕介、内田喜郎、西川鯉之亟の4人の兄と妹の奈良富士子が毎週のあれやこれやなんですが、メインテーマは男っぽい奈良富士子をなんとかして可愛い女の子にしようと奮闘努力の兄妹愛とはいえ、実はドラマが進行する後半の流れでは、彼女が本当の妹では無かった!?

という驚愕のオチが滲んでくるのですから、前述した4人の兄達が、それぞれにすっかり可愛らしくなった妹に恋心を抱き、葛藤するという、いやはやなんとものドラマだったんですねぇ~~~♪

もちろん奈良富士子本人は、そうした真相を知らないという設定になっているわけですから、程好いサービス場面にドギマギするところもあったりして、流石は大映で「高校生番長・深夜放送」や「夜の診察室」という大傑作を撮った帯盛迪彦監督の演出は冴えまくりでした。

ちなみに帯盛監督は同時期、岡崎友紀主演のテレビドラマ「おくさまは18歳」から続くシリーズも担当していましたから、それは未見の皆様にも納得される事と思います。

こうして奈良富士子は一躍、人気アイドル女優の地位を確立したわけですが、実は子役時代からの芸歴もあったそうですから、やはり下地が違うのでしょう。

いよいよ翌年、17歳になって出したシングル曲「はだしの女の子」がヒットしたのはムペなるかな、作詞:有馬三恵子、作曲:中村泰士、そして編曲:青木望のプロの仕事が、率直に言えばターヘな彼女のボーカルを上手い具合に魅力的にしているんですから、これまた流石と言う他はありません!

イントロのパヤパヤコーラスがソフトロック風味を助長し、ミディアムテンポの歌謡フォーク調の曲メロを微妙な不安定さが滲むアルトボイス(?)で歌ってくれる奈良富士子は、サビのキメになっている早口フレーズの危なっかしさも含めて、実にホノボノと和みの世界♪♪~♪

幾分強い思い込みかもしれませんが、「アイ・ラブ・ユゥ」と独白するセクシーなところとサビから後半の甘え口調のミスマッチが、たまらないんですねぇ~~♪

いゃ~、こういうフィーリングは例えば小林麻美にも共通する魅力とでも申しましょうか、可愛さ優先のアイドルは歌が下手な方が結果オーライかもしれませんよ。

もしも、奈良富士子が岡崎友紀のように最高の歌唱力を持っていたとしたら、サイケおやじは彼女を決して好きにはならなかったと思っていますし、だからと言って、岡崎友紀が可愛くないとは、これまた決して思ったこともありません。

そんな自己矛盾的な好き嫌いは、まあ、サイケおやじの屈折度数の高さの証明ではありますが、奈良富士子にはそんな歪んだ恋愛感情を抱いてしまうわけです、恥ずかしながら。

ということで、奈良富士子は理想の妹像女優でもあり、不思議なほどアブナイ情感を漂わせていたアイドルだったと思います。

それは些か確信犯的な書き方になりますが、なんとっ! 彼女が次に出したシングル曲「あに いもうと」は、近親相姦を強く想起させる歌詞になっていたんですよっ!?

う~ん、当時を回想しても、あまりのヤバさに平静さを失いそうですし、これだから女優さん自らが歌うレコードは、いろんな意味で嬉しいですねぇ~♪

最後になりましたが、お詫びをひとつ……。

スキャナーが完全にダメになっているらしく、ジャケ写の彼女のご尊顔に痣のようなシミが出てしまったのは遺憾の極みです。深く反省して、週末は買い替えを検討する所存です。

 

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寺尾聡の独白ソフトロック

2013-06-19 15:16:30 | 歌謡曲

ほんとに久しぶりだね / 寺尾聡 (東芝)

何かの弾みにふっと口ずさんでしまう歌のひとつが、本日掲載のシングル盤A面曲でして、もちろんタイトルどおり、久しい人に会ってしまったがゆえの衝動でありました。

それはサイケおやじが未だ若かった頃、仕事で一緒に苦楽を共にした盟友が家庭の事情から職場を去って幾年月……。突如として音信不通になってからも既に世紀を跨いでの再会が昨夜の偶然!?!

もちろん積もる話はあれこれ山の様でもあり、しかし何も語らずとも、それで良いじゃ~ないか♪

という雰囲気があればこそ、この名曲「ほんとに久しぶりだね」を口ずさむサイケおやじというわけです。

そして帰宅後、レコード棚に直進した事は言うまでもありません。

ちなみに歌っている寺尾聡は説明不要、エレキバンド~歌謡フォーク系GSのサベージで芸能界へデビューした後、俳優としては石原プロ関連の作品を中心にドラマや映画に多数出演し、また本職であった歌手としても例の「ルビーの指輪」のウルトラメガヒットが良く知られていると思います。

ただし個人的には、歌手としての寺尾聡ならば、この昭和49(1974)年秋に出した「ほんとに久しぶりだね」が一番好きで、ケン田村の作詞作曲とミッキー吉野のアレンジによるソフトロック調の懐メロフォークみたいな味わいは、ジャケ写に登場している「おぼっちゃん」時代の寺尾聡にジャストミートですよ。

当然ながら俳優としては、後の幾分翳りが滲み出たハードボイルドな頃が人気でしょうが、まだまだソフトな丸顔だった寺尾聡でなければ、この歌は演じられない気がしています。

何んと言っても、ミッキー吉野グループの爽やかにしてグルーヴィな演奏には、この声と佇まいしか上手く合わないと思うばかり♪♪~♪

特に別れた昔の女と再会し、未練たっぷりな別れを模索する男のザーキな独白は、中間部のスローなパートの微妙なコブシ回しも含めて、寺尾聡の独壇場ですよねぇ~。

ということで、これは男の泣ける歌であり、歌って実に気持良い名曲です。

残念ながら当時は大きなヒットになりませんでしたが、現在ではCD化もされていますので、機会があれば、お楽しみ下さいませ。

ついつい一緒に歌ってしまうかもしれませんよ、はい。

P.S. 思いついて、おやじバンドのメンバー諸氏へ音源ファイルを送ったら、演目入り決定しました♪

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その瞬間の長山洋子

2013-06-18 15:11:31 | 歌謡曲

瞬間はファンタジー / 長山洋子 (日本ビクター)

アイドルから演歌に転身成功したスタアの中で、現在最も有名なのは長山洋子でしょう。

と言うよりも、長山洋子は当初のデビュー企画では演歌のフィールドが予定されていたそうですし、それ以前から民謡歌手として実質的にレコードデビューを果たしていたのですから、その道へも決して苦し紛れの選択では無かったはずです。

なにしろ彼女はアイドル時代からキュートなルックスと抜群の歌唱力を備えた完全無欠のスタアでしたからねぇ~。

ところがサイケおやじは、それゆえに彼女が当たり前のアイドル過ぎて、ちっとも魅力を感じなかったのが本音なんですが、しかしその中でど~してもレコードが欲しいと積極的にゲットしたのが本日掲載のシングル盤です。

それはA面収録の「瞬間はファンタジー」、これが極みのアイドルポップス♪♪~♪

ご存じのとおり、この歌はNHKで昭和60(1985)年に放送されていたアニメ「おねがいサミアどん」の主題歌でしたから、必然的に他局の歌番組では披露出来なかった所為でしょうか、特段のヒットにはならなかったようですし、もちろんサイケおやじにしても、偶然に見た件のテレビで接した瞬間、速攻でレコード屋に突撃させられたのが真相です。

しかし繰り返しますが、この「瞬間はファンタジー」は当時の洋楽事情を鑑みても、まさにサイケおやじが理想として求めていたポップス歌謡でありました♪♪~♪

いゃ~、何度聴いても弾みまくったリズムアレンジと開放的なメロディ展開、そして伸びやかに歌う長山洋子の素晴らしさは筆舌に尽くし難いですねぇ~♪

ちなみにソングクレジットは作詞:佐藤ありす&作編曲:水沢朱里となっていますが、特にフュージョン系のイヤミが無いアレンジは絶品だと思いますし、このカラオケパート制作に参加したミュージシャンの気負いの無さは、それがプロの仕事であるにしろ、絶対にアマチュアには出来ない境地じゃ~ないでしょうか。

実は現在、おやじバンドでこれがやれないか?

それを密かに目論んでいるんですが、何時もアレンジの要所を決めているキーボード氏も、些か思案の首が曲がりっぱなし……。

特に絶対にモタレが許されないリズムの持っていき方が、トーシロには苦しいわけで、そこはサイケおやじも重々分かっているんですが、せっかく歌の上手い現役JKが参加している今であればこそっ!

まあ、そういう抑えられない気持が強いわけです。

というわけで、恥ずかしながらサイケおやじの我儘は別にして、とにかく長山洋子のアイドル時代は「瞬間はファンタジー」が最高!

まさに瞬間的に歌謡ポップスの神様が降臨し、彼女にこれを歌わせたのだとしたら、「ファンタジー」ではなく、「必然の奇蹟」と言っては失礼でしょうか?

長山洋子のファンであれば、そんな大袈裟は失笑でしょうが、サイケおやじはそれを思い込んで、今日も間奏のギターリフを練習しているのでした。

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関西レディソウルの歌謡バラード

2013-06-17 13:51:39 | 歌謡曲

聞いててや / 大上留利子 (SMS)

毎年、今頃の時期になると夏の様々な音楽フェスが告知されますが、もちろんメインが野外である事は言わずもがな、そうした大規模なイベントが昭和40年代後半から我国でも普通に運営されるようになったは、例のウッドストックに象徴されるロック黄金時代の恩恵でした。

そしてサイケおやじに今も強い印象を残しているのが、昭和50(1975)年8月に大阪の万博記念公園で行われたヤマハ主催の通称「8.8 Rockday」です。

ちなみに当日は確か9日だったんですが、2~3年前に本格開催されたのが「8月8日」だったので、以降続く夏の恒例行事として「ハチハチ」になったと思われますが、出演するのが多くは関西ベースのセミプロか上手いアマチュアであり、またゲストのプロにしても、ある意味ではマニアックな選出が特徴的でした。

なにしろこの年の大きな話題は、沖縄で活躍していたハードロックバンドの「紫」でしたからねぇ~~~♪ 驚くなかれ、「本土初上陸!」なぁ~んていうウリは外タレ並みだったんですよっ!

当然ながら、サイケおやじも「紫」は大いに楽しみだったんですが、それともうひとつ、当時入れてもらっていたバンドに以前所属していた先輩が出るというで、その激励応援が本来の目的でありました。

ところがその日、サイケおやじを一番に浮かれさせたのは、本日掲載のシングル盤を後に出すことになる大上留利子が歌っていたスターキング・デリシャスという、ホーンセクションも入れた本格派の大所帯ソウルバンドで、ご存じのとおり、その頃の関西で主流(?)となっていたのが何故か歌謡曲でもフォーク&ロックでも、極めてブルースやソウル風味が強かったとは言え、スターキング・デリシャスは圧巻!

オーティス・レディング等々の持ちネタを叩きつけるようなピートと粘っこいグルーヴでやりまくり、その結果としてスターキング・デリシャスが最優秀賞、大上留利子もボーカル賞を獲得したのは当然が必然でありました。

いゃ~、思い出しても、あの日の興奮が蘇ってきますねぇ~~♪

この時の音源は後にレコード化されたんですが、なんとなく妙にチープなミックスのレコーディングに感じられたのは、サイケおやじだけでしょうか?

まさに一期一会の現場が幸せな思い出となった事に感謝する他はありません。

さて、そこでようやく本日の1枚なんですが、スターキング・デリシャスは自分達のレコードも出しながら、全国的には残念ながらブレイクせず、昭和52(1977)年頃に解散……。

そして大上留利子がソロシンガーとして歌謡曲からゴスペルやR&B等々で特有の関西ソウルを歌い続けている中で、特にサイケおやじが好きなのが、この昭和55(1980)年のA面曲「聞いててや」なんですねぇ~♪

説明不要かもしれませんが、彼女は質量感満点の迫力バディで披露する強靭なボーカルコントロールの節回しが十八番ですから、前述した「8.8 Rockday」のステージでサイケおやじを圧倒した激情の表現は言わずもがな、しかしここでは気持が離れていく男に対するせつない想いを、すらりと歌ってくれますよ。

もちろん康珍化の作詞、鈴木キサブローの作曲、そして程好いソウルで彩った大野久雄のアレンジはツボを押さえたプロの仕事であり、大上留利子の資質を完全に活かしたものと思います。

こみあげてくるものを抑えたソフトなブラックフィーリング♪♪~♪

あぁ~、聴くほどに滲みてしまいますねぇ~、レディソウル!

ということで、もっと大上留利子は広く評価され、聞かれていくべき歌手と確信しているのですが、なかなか世の中は儘なりません。

というのも、実は前述した昭和50(1975)年の「8.8 Rockday」でサイケおやじをKOしたもうひとりのボーカリストが、ズームというバンドを率いてブルースロックっぽい事をやっていた篠原義彦だったんですが、なんとっ!

この人は後に円広志へ改名、「夢想花」の一発メガヒットを出し、文字通り「飛んで、回って」浮き沈み、今やバラエティタレントであり、作曲家としてヒット作を提供し続ける芸能界どっぷり男ですからねぇ!?!

あの日のポール・ロジャース的な熱血の歌いっぷりは、どこへ置き忘れてしまったんでしょうか……。

人の生き方は其々個人の自由であり、外側から口出しするなんてことは余計なお世話なんですが、あの日の「8.8 Rockday」を体験していればこそ、大上留利子の歌は皆様にも、ぜひっ!

スターキング・デリシャス時代も含めて、完璧なアンソロジーが出される事も決死的に熱望しております。

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そのまんま、伊東ゆかりの強がり

2013-06-16 15:21:28 | 歌謡曲

強がり / 伊東ゆかり (invitation / 日本ビクター)

昨夜は久々におやじバンドの練習に参加♪♪~♪

相変わらず昭和歌謡曲と往年の少年ロックに勤しんでいるわけですが、メンバー各々が、あれもやりたり、これも歌いたい! という我儘衝動は抑えようもなく、まあ、それがあってこそのバンドの楽しみではありますが、中には絶対に無理!?!

そう、断じてしまう歌と演奏が多いのも忽せに出来ない現実でありまして、例えば昭和56(1981)年に伊東ゆかり歌った本日掲載のシングル盤A面曲「強がり」は、全ておいて素晴らし過ぎるがゆえの超難関でしょう。

まずは演奏パートに仕込まれたポリリズム、それをシャープなギターのカッティングでリードしていくアレンジは、一流のプロにしか出来ない凄ワザですし、もしもライプでやるとすれば、二人のギタリストが裏と表で完璧なコンビネーションを演じる事が必須事項!

またアップテンポでのバンドアンサンブルは言わずもがな、前田憲男のアレンジが極めてジャズフュージョンですから、林哲司の書いた曲メロが曖昧さを逆手に活かした変化球なんでしょうか、とにかく伊東ゆかりという天才的なボーカリストでなければ、決してその味わいは表現出来ないはずです。

というのも、なかしに礼の綴った歌詞が所謂「大人の恋の別離」でありながら、割り切った強がりが実は湿っぽい情に流されて……云々のせつない人生のトキメキとでも申しましょうか、実にジンワリと深いんですねぇ~~~。

う~ん、ここまで楽曲とその表現者の力量が最高度に求められてしまうと正直、リスナーも困惑させられしまうわけでして、せっかくテレビドラマの主題歌に用いられながら、大きなヒットにならなかったのは実に勿体無いとしか……。

ということで、実はこのシングル盤は入れてもらっているおやじバンドのベーシスト氏から借りてきた垂涎の1枚! 流石に何度聴いても飽きることのない良さは、複雑な演奏パートのアレンジと伊東ゆかりの節回し、ノリの良さがあってこそでしょう♪♪~♪

自分達に出来るわけがないとの諦めの境地が、そのまんま、気持良いのが、この歌の真相かと思うばかりです。

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今こそ紅谷洋子

2013-06-15 15:29:00 | 歌謡曲

恋は1/2 / 紅谷洋子 (日本ビクター)

人に歴史有り!

それは永遠の真実として、例えば現在は演歌のジャルンに属していても、デビュー時にはアイドルで売られていた女性歌手は大勢活躍しています。

本日掲載のシングル盤を出した紅谷洋子もそのひとりで、彼女こそ、現在の真咲よう子なんですねぇ~~~。

もちろん当時はブレイクすることもなく、幾枚か出したシングル盤の収録曲だけが廃盤アワーブームの頃から再発見され、マニアを中心に蒐集の対象となってきた事は、それだけ彼女の実力が確かであった証明でしょう。

中でも昭和49(1974)年に出されたこのA面「恋は1/2」は、殊更サイケおやじが大好きな私的名曲で、作詞:千家和也、作曲;鈴木邦彦、編曲:竜崎孝路ヒットメーカートリオが黄金律を出しまくった傑作!

ちょいとヘヴィなリズムを伴った歌謡ポップスが、それゆえに限りなく昭和歌謡曲の王道へ近づいたリバイバル風味がたまりません♪♪~♪

極言すれば、リアルタイムの流行感覚からは微妙にズレている気がするという、そのミスマッチの面白さがニクイんですよねぇ~~~♪

曲タイトルに因んで書いてしまえば、「いしだあゆみ+伊東ゆかり÷2」という、まさに半分ずつの良いとこ取り!?

ということで、売れなかったのは失礼ながら、そうした中途半端の懐かしさが災いしたのかもしれませんが、今となっては昭和歌謡曲のレベルの高さを証明する傑作名唱と思えるのですから、時の流れは偉大です。

そして現在でも立派に通用する歌謡フィーリングがあるのですから、真咲よう子を否定する気は毛頭ありませんが、であればこそ、平成の彼女には再レコーディングして、歌って欲しいと願っているのでした。

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こんな季節の岡田奈々

2013-06-14 14:27:24 | 歌謡曲

静舞 / 岡田奈々 (キャニオン)

女性アイドルは「清純派」「ツッパリ」「お嬢様」「ぶりっ子」等々、様々なウリのポイントがあるわけですが、その中のひとつとして比重が高いと思われるのが所謂「妹キャラ」かと思います。

で、本日の主役たる岡田奈々は15歳だった昭和49(1974)年にデビューした時から、まさにそれを大きな魅力として忽ちブレイク!

大きな目が印象的な愛くるしい面立ちとスレンダーな肢体が、まさに理想の妹像として、テレビドラマでもそういう役柄が多く、サイケおやじの周囲にも彼女のファンが大勢いましたですね。

ただし個人的にはロリ趣味が無い所為でしょうか、それほど当時の岡田奈々は気になる存在では無かったんですが、流石に昭和52(1977)年に突発した監禁事件には驚愕させられましたですねぇ~~~~。

なんとっ! 狂信的ファンと思われる男が彼女のマンションの窓から侵入し、一晩の監禁ですから、その間に何が行われていたかは容易に推察出来るわけで、当然ながら「清純派としての岡田奈々」は人気に陰りが……。

ちなみに確か犯人は捕まっていなかったと記憶していますが、記者会見の生放送とか、事件の顛末についての曖昧な状況説明が尚更に世間を騒がせてしまったんですねぇ。

あぁ、当時を思い出しても両手に大怪我をさせられた彼女の痛々しい姿は、もちろん心情的にもツライものを察して余りあるものでした。

しかし岡田奈々は、その事件を契機としてアイドルよりは本格的な女優業へと歩みを進め、息の長い活動を続ける事になるのです。

さて、そこで掲載したシングル盤は昭和55(1980)年10月に発売された1枚で、とにかくボサノバ歌謡のA面曲「静舞(クワイエットダンス)」は最高ですよっ!

当然ながら佐藤健の作編曲は、時代の要請として最先端のモダンなフィーリングを導入していますが、基本のメロディは王道歌謡曲に洋楽AORを巧みに混ぜ込んだ素晴らしさですし、三浦徳子の綴った歌詞が、これまた胸キュン性感度は良好♪♪~♪

そしてなによりもグッと惹きつけられるのが、幾分拙い岡田奈々の節回しで、特に最初のスローなパートの危うい感じがインテンポしてからのせつなさに繋がるんですから、これは用意周到と言うよりも、完全に彼女の資質を活かしきったプロデュースの勝利でしょう。

バックの上手すぎるジャズフィーリングもイヤミがありませんし、まさに切々と歌う岡田奈々は最高~~~♪

実はご存じの皆様も大勢いらっしゃるはずですが、この時期の岡田奈々はテレビの2時間サスペンスドラマ「江戸川乱歩の美女シリーズ / 魅せられた美女」のヒロインとして好演♪♪~♪ しかも劇中では人気歌手役でしたから、ラストシーンを締め括るのが、この「静舞」でありました。

詳しくは前述の拙稿「魅せられた美女」に書きましたが、とにかく健気に歌う彼女の姿には、本当に魅せられてしまいますよ♪♪~♪

う~ん、やっぱり彼女は「守ってあげたい」タイプの美女だと思いますねぇ~~♪

サイケおやじが本気で岡田奈々のファンになったのは、この時からです。

ということで、こんなせつないボサノバ歌謡も、また夏には必需品でしょう。

あっ、それと件の「魅せられた美女」のDVDも、ぜひっ!

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ミミちゃんの海々GoGo~♪

2013-06-13 14:34:50 | Fusion

マイ・ビーチ・サンバ '78 c/w ハロー・ハロー・ハロー
                / 小林泉美&フライング・ミミ・バンド (フィリップス)

実はショポ降る小雨で蒸し暑い東京から、昨日は雪国の非常勤の仕事場にやってきたんですが、なんとっ!

死ぬほど暑い! 暑~~いですっ!?

どうやら台風の影響によるフェーン現象と思われますが、なんでもずぅ~~っと何日も雨が降っておらず、農業関係者は困惑していますし、とにかく今からこんなんじゃ~、夏本番が思いやられる!?

おまけに本日も、朝かっら熱気が抜けていない空気が充満しているですねぇ~~~。

そこで一番に掲載のシングル盤を鳴らして、涼をとるサイケおやじでありますが、皆様にもジャケ写のトロピカルな雰囲気を御裾分け♪♪~♪

いゃ~、本当に都会派ラテンフュージョンってのは、気持が良いですねぇ~~♪

演じている小林泉美は大ヒットアニメ「うる星やつら」の関連音源でお馴染みですが、基本的にはシンガーソングライターでしょうし、卓越したキーボードプレイヤーでもあり、アレンジャーとしても侮れない実力を披歴してきた事は説明不要と思います。

で、本日ご紹介のシングル盤は昭和53(1978)年に発売されたフラング・ミミ・バンド名義の1枚なんですが、A面の曲タイトルがわざわざ「'78」にしてあるのは前年に出した公式デビュー曲をリメイクしていた事に由来しているわけで、そこにはレコード会社の移籍とか、諸々の事情があったようです。

しかしここにやってくれたのは、そんなこんなを爽快にブッ飛ばす快楽の桃源郷♪♪~♪

まずはその「マイ・ビーチ・サンバ '78」からして、ニューミュージックとフュージョンをアップテンポでゴッタ煮とした、ちょいとユーミンっぽい感じが憎めない仕上がりで、ビシッとタイトなリズムとラテンビートの享楽が実にたまりませんねぇ~♪

浮ついた彼女のボーカルも良い感じ♪♪~♪

ちなみに演奏メンバーは小林・ミミ・泉美(vo,key)、土方隆行(g)、渡辺モリオ(b)、渡嘉敷祐一(ds)、清水靖晃(sax,fl) という、以降の我国音楽業界では絶対的な存在となる名手揃い!

これでヘタレをやらかすなんてこたぁ~、想像も出来ないでしょう。

そこでB面の「ハロー・ハロー・ハロー」なんですが、これが一転してソフト&メロウなシティフュージョンで、小林泉美の多重録音によるシンプルな曲メロコーラスは言わずもがな、とにかくギターもサックス&フルートも気持良さ優先主義でありながら、タイトなリズム隊も要注意♪♪~♪

正直、ちょいと大野雄二っぽいところが、逆に魅力の仕上がりかと思います。

そしてここであえて書いておきたいのが、当時既に同ジャンルでは大スタアになっていた高中正義の影響云々についてなんですが、だからと言ってフライング・ミミ・バンドが単なるコピーバンドだったはずもありません。

ご存じのとおり、小林泉美を含むグループのメンバーがチャンスを掴んだのはヤマハ主催のアマチュアコンテストであり、その時の審査員のひとりが高中正義であった事は今や歴史になっていますし、プロになってからの彼女が自らの活動と並行して、御大のバンドでも大きな役割を担っていた事を鑑みれば、それが流行最先端というものでしょう。

またフライング・ミミ・バンドがリアルタイムでマライヤとパラシュートに分裂発展していった流れも、なかなか凄いと思うばかり!?

もちろんメンバー各々がスタジオの仕事でも高い評価を得ていくのですから、そういう才人が一度に同じバンドで世に出たという現実は奇蹟かもしれません。

ということで、しかしこのシングル盤が発売された頃は、誰もそんなことまでは容易に思わなかったでしょうし、思う必要もありませんでした。

とにかく心地良い音楽に身も心も任せて安心♪♪~♪

そうした気分も昭和50年代のムードだったとすれば、今は懐かしくも幸せに思うのでした。

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川島恵の爽快と幻

2013-06-12 14:38:02 | 歌謡曲

処女飛行 / 川島恵 (東芝)

ジャケットは些かイナタイ雰囲気なんですが、これが今こそ聴きたいアイドルサマーソングの決定版!

まあ、とにかく針を落して吃驚の爽やかテンションの高さは、これが売れなかった昭和57(1982)年の七不思議かもしれませんが、ただし冷静に考察すれば、発売されたのが秋であり、しかも楽曲のセンスが良すぎたところに川島恵の歌唱力がアイドル離れしていたんですから、さもありなん??!?

それでもサイケおやじはラジオから流れてきた「処女飛行」に最初っからシビれまくり、さらに業界の知り合いからサンプル盤を貰えたという、あの日の幸せを忘れていません。

例によって告白すると、まさか歌っていた川島恵が当時現役バリバリのアイドル歌手だったとは、その時に初めて知ったわけで、おまけに演奏が作編曲も担当した大野克夫自らが率いるバンドだったんですからねぇ~~♪ 実体験は無いものの、いきなり後頭部を殴られたような衝撃とは、こんな感じかと思ったほどです。

そこでちょいと探りを入れてみると、やっぱり川島恵はオーディション番組の「スター誕生(日本テレビ)」出身であり、目標は岩崎宏美だったらしい事も納得の実力は超一級なんですが、失礼を承知で書かせていただければ、ルックスが当時第一線のアイドルの中では些か普通っぽいんですねぇ……。

結果的にブレイク出来なかったのも、それがひとつの要因だとしたら、思いきってニューミュージック系シンガーとしてスタートする選択もあったんじゃ~ないでしょうか? また実際、制作に関わった大野克夫や作詞を担当した売野雅勇、さらには大滝詠一あたりも、かなり彼女の素質を買っていたという噂もあるようです。

う~ん、何にせよ、ヒット商品を作る難しさはどの世界にもあるわけですが、殊更芸能界は「流行」という時間との勝負が大きな比重を占めると思われますから、運否天賦と言うのも辛いものがあります。

しかし、例え何であろうとも、川島恵は素晴らしい資質を全開させた「処女飛行」を残してくれました。

残念ながら未CD化のようですが、機会があれば、ぜひともお楽しみ下さいませ。

スカッとしますよ♪♪~♪

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例えばこの頃の岡崎友紀が好き

2013-06-11 15:09:02 | 歌謡曲

S-O-O-N / 岡崎友紀 (ワーナーパイオニア)

スキャナーの完全不調から解像力が落ちているんで、こんな画像しか撮れないというお詫びを本日はしなければなりませんが、そこはとにかく岡崎友紀のホットパンツ姿に免じて、ご容赦下さいませ。

いやいや、であればこそ、これは発売された昭和56(1981)年のカリフォルニアはサンタモニカビーチのムードがダイレクトに感じられるジャケ写であり、岡崎友紀が歌ってくれるA面曲「S-O-O-N」こそ、当時最先端のハリウッド系AORの歌謡曲的展開♪♪~♪

その極みつきであります♪♪~♪

ご存じのとおり、岡崎友紀はサイケおやじの世代にとっては永遠のアイドルでなければならないはずが、やはりひとりの女性であれば、結婚は必然であり、しかも相手が「ソニー」創業者の御曹司でしたから、その現実はファンなればこその悲嘆と諦めであり、祝福と羨望の盾と矛でした。

そして昭和53(1978)年、彼女は表舞台からセミリタイアされたのですが、時が流れた昭和55(1980)年夏、突如してラジオを中心にヒットし始めた素敵な歌謡ポップス「ドュー・ユー・リメンバー・ミー」が「Yuki=岡崎友紀」であったという真相は、感涙乱舞の大事件!

あぁ~、当時を思い出しても、せつなくなるほどの感情の昂りは、なんと表現すればよいのでせう♪♪~♪

まあ、とにかくそこに岡崎友紀の存在を確認出来るだけでも、これは絶対的なものだったんですよっ!

しかし冷静になってみれば、サイケおやじは決して「ドュー・ユー・リメンバー・ミー」を完全に肯定していたとは言い難いのです。

そりゃ~、確かに安井かずみ&加藤和彦による楽曲は最高レベルに出来上がっています。ただし肝心の岡崎友紀のボーカルが「Yuki」という匿名性(?)を貫くという大義名分があったにせよ、必要以上にフェイクされており、狙いが当時再評価されていたフィル・スペクター流儀の「音の壁」ミエミエのサウンド作りが、いやはやなんとも……。

お叱りを覚悟で書かせていただければ、同時期には既に大滝詠一がようやく我国で認められた奇蹟の大ヒットアルバム「ロング・バケイション」を実質的に完成させており、諸事情から発売は翌年春に持ち越されましたが、昔っからフィル・スペクターにリスペクトしたレコードを作っていた大滝詠一の胸中や如何に!? というような穿った気持もサイケおやじにはあるのです。

そしてなにも岡崎友紀の素晴らしい、その唯一無二の歌声を潰さずとも、堂々と稀代の名曲「ドュー・ユー・リメンバー・ミー」を歌うべき!

ど~しても、そんな拘りが募るばかりの頃、きっちり「落とし前」をつけてくれたのが、この「S-O-O-N」というわけなんですよ。

あぁ~~、聴くほどに作詞:住野裕之&作編曲:岩倉健二のセンス良さに嫉妬してしまうですよ。もちろん岡崎友紀の素っ気無いほど素敵なポップスフィーリングは言わずもがな、まさにこのジャケットにして、この歌ありっ! てなもんですよ、実際!

ところが私生活での彼女は前述した御曹司との結婚生活が、この頃に破綻……。

ファンとしても喜んで良いのか、それとも??!?

なぁ~んていう気持が正直なところでしたが、この「S-O-O-N」を含む新作アルバム「ソー・メニー・フレンズ」のジャケ写に登場している彼女の姿態は、とにかく衝撃的であった事も付け加えおきますし、ちょいと後にはここでの制作者のひとりだった岩倉健二と再婚したわけですから、これはその狭間の微妙な独り身だった岡崎友紀に接することが出来る貴重(?)なレコードと思いたいわけです。

ということで、岡崎友紀は何時の時代も最高ですよぉ~~~♪

それが本日の結論ではありますが、個人的には所謂バツイチ期がとても好きです。

人は誰でも悲しい思い出、嫌な出来事は忘れてしまいたいはずですが、逆にそれを人生の味わいとして蓄積する事も、決して無意味ではないのでしょう。

この「S-O-O-N」を聴きながら、そんな事を思ってしまうのも、サイケおやじの本音であります。

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