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OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

シュガーシュガーのポップス天国

2010-03-11 14:00:44 | Pops

Sugar Sugar / The Archies (RCA / 日本ビクター)


この年度末になって、実態の無い会社に振り回されて難儀しておりますが、これが大衆芸能の世界では意外と歓迎されてきた歴史は無視出来ないでしょう。

特に音楽業界ではレコードという「音」だけで勝負する歌手やグループが確かにあって、全くコンサートライプをやらずに通した後期ビートルズは特異な存在かもしれませんが、他にもニルソンなんていう奇特な人もいましたですね。

で、本日ご紹介のアーチーズは、なんとアニメの中のバンドでした。

それを仕掛けたのはアメリカ音楽業界の大立者だったドン・カシューナというプロデューサーで、実はモンキーズで大成功したプロジェクトを引き継いだのが、アーチーズだったのです。

もちろん自我に目覚めたモンキーズに逃げられた後の二番煎じではありますが、モンキーズが実在のメンバーを使った、言わば「実写」だったのに対し、アーチーズは最初っから「アニメ」の中の架空のバンドですから、完全にプロデューサーの意のままに歌って活躍出来るんですねぇ~。

そしてテレビやコミック雑誌の連載に登場するアーチーズは、ジャケットどおりのキャラクターで毎回、あれやこれやのドタバタを演じ、バンドを組んで楽しく歌うという設定でしたから、直ぐに「第二のモンキーズ」として売り出され、一番の目的だったレコードセールスに結びつける戦略は見事に成功へと昇り始めたのです。

それが昭和44(1969)年に全米チャートのトップにランクされ、我国でもラジオから流れまくって大ヒットした「Sugar Sugar」に代表されるのですが、実際、調子良くてウキウキするリズムと明るいメロディ、お気楽優先主義の歌とコーラスは、例えば1910フルーツガム・カンパニーの「Simon Says」に代表される、所謂「バブルガム」と呼ばれた「お子様向けのポップス」でありながら、そのサウンド作りの完璧さは決して侮れる世界ではありません。

曲を書いたのはジェフ・バリーとアンディ・キムのコンビですが、まずジェフ・バリーと言えば1960年代初頭から妻のエリー・グリニッチと共作で多くのヒットを生み出したソングライターの偉人! 例えばロネッツの「あたのベイビー / Be My Baby」、クリスタルズの「ハイ・ロン・ロン / Da Doo Ron Ron」、ディキシー・カップスの「涙のチャペル / Chapel Of Love」、トミー・ジェイムズの「Hanky Panky」等々、キリが無いほどですが、そのミソは弾けるリズムと「泣き」を含んだ覚えやすいメロディのコンビーションだと思います。

一方、アンディ・キムは当時のジェフ・バリーが子飼のシンガーソングライターとして、既に幾つかの小ヒットを放っていた実力派ということで、まさに業界の裏方でありながら、何が売れるかを実践的に知っていたことが強みでしょう。

そこで肝心のアーチーズですが、これを実際に歌っていたのはロン・ダンテというセッションシンガーで、この人は影武者的に様々な歌手やグループの実質的な「顔」になっていたポップス界の証人のひとり! アーチーズ以外でも、エイス・デイやカフ・リンクス等々での仕事はバブルガム~ソフトロックのファンによって広く認知されていると思います。

もちろんバックの演奏はドン・カシューナが御用達の有能スタジオミュージシャンということは、つまり初期のモンキーズと同じ味わいが濃厚に楽しめるのです。

ちなみにアーチーズのアニメは日本でも放送されていたと思うのですが、個人的にはあまり記憶にありませんし、残念ながら、そういうところから当時の音楽ファンには軽視され、特に我国ではそれが顕著でしたから、残された音源やアルバムはきちんと聴かれたことが無いでしょう。サイケおやじにしても、このシングル盤はリアルタイムで買っていたものの、その他の楽曲演奏については完全に後追いでした。

しかし音楽業界の仕組みや掟を知るにつれ、このアーチーズをきっかけに更なるポップス天国へと導かれたのは幸いでした。

そこで冒頭の話に戻れば、現実的に実態が無くとも合法的に利潤を追求出来れば、例え難儀したとしても結果オーライ♪♪~♪

それが本日の気分として、このシングル盤を楽しんいるのでした。

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戻った寒さに苦闘する

2010-03-10 17:21:24 | Weblog

昨日は最高にツイテいたから、その反動が怖いと書いたら……。

やっぱり今日は悪天候に阻まれ、出張から身動き出来ません。

よって本日の1枚は休載ということで、ご理解願います。

それにしても寒い……。

 

 

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こんな幸せなジミヘン

2010-03-09 15:43:14 | Jimi Hendrix

Crosstown Traffic / Jimi Hendrix (Track / 日本グラモフォン)

今更なんですが今日、これ、買いました♪♪~♪

有名な裏焼き写真が使われたジャケットがマニア泣かせの1枚です。

しかも値段が4百円!?!

夢じゃないかと手が震えました。

お金を払って店を出た瞬間から、足が速くなったというか、ほとんど走って逃げた感じでしたよ。店主が追いかけてくるような気がして、です。

あぁ、こういうツイている日もあるんですねぇ~♪

申し訳ないんですが、気分が良いです。

でも、後が怖いなぁ……、一生分のツキを使い果たしたとしたら……。

一応、厄払いで後輩に昼飯、驕っておきましたです。

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悲しき願いは日本のロック

2010-03-08 14:24:32 | 日本のロック

悲しき願い'60s to '90s / 尾藤イサオ (東芝 = CD)

日本のロックで一番売れたのは、尾藤イサオの「悲しき願い」じゃないか!?

サイケおやじは、本気でそう思うことがあります。

皆様がご存じのとおり、原題は「Don't Let Me Be Misunderstood」として、歌そのもののオリジネイターは黒人女性歌手のニーナ・シモンらしいのですが、世界的にはアニマルズを代表するヒット曲のひとつとはいえ、やっぱり極みつきは尾藤イサオの日本語バージョン!

 だぁ~れのせいでも、ありゃしないぃぃぃ~♪
 みんなっ、おいらがっ、わるいのかぁぁ~♪

リアルタイムでのヒットは知らなくとも、このキメの節回しは、誰もが一度は耳にしたと思います。

それを熱唱した尾藤イサオは今でこそ個性派俳優として確固たる存在感を示していますが、幼少の頃から曲芸師の修行を積み、現代ではジャグラーと呼ばれる芸を身につけたそうです。しかし米軍キャンプ回り等をやっているうちに本場のR&Rやロカビリーに興味を抱き、ついに歌の世界へ転身したのですが、それを契機にきっぱりと曲芸を封印したのは、そういう世界の掟とはいえ、流石のスジの通し方だと思います。

尾藤イサオの歌を聴いていると、私はいつも強い意志とかソウルを感じるのは、そんな経緯があってのことなんでしょうねぇ。

そして紆余曲折の末にブルーコメッツの専属歌手となり、エルビス・プレスリーやリトル・リチャード等々のヒット曲カパーを歌っていたそうですが、そこで本人の希望によって吹き込んだ「悲しき願い」の日本語バージョンが昭和40(1965)年にウルトラメガの大ヒット!

当時のテレビ歌番組にも連日ように出演し、歌いまくっていましたですねぇ~。

もちろんサイケおやじも瞬時にシビレさせられ、レコードを買う前から、意味も分からず歌詞とメロディを覚えていたほどですし、実際、子供達も何かあって叱られた時なんかには、「みんなっ、おいらがっ、わるいのかぁぁ~」と歌うのが流行しました。

ですから、ビートルズの来日公演の前座に出演した尾藤イサオは、大ハッスルで「悲しき願い」を熱唱する快挙を達成するのですが、なんとビートルズによって我国では本格的なGSブームが到来し、ブルーコメッツ本隊が大ブレイクしたことから、ソロ歌手の尾藤イサオは苦しい立場に……。

それゆえに映画演劇の世界へと活動の場を広げたのはご存じのとおりなんですが、決して歌手としての本分も忘れたわけではなく、人気アニメ「あしたのジョー」の主題歌もまた、永遠の名唱だと思いますし、昭和53(1978)年には「悲しき願い」の再録バージョンを出してくれたのは嬉しいプレゼントでした。

さて、そこで本日ご紹介のCDは、その「悲しき願い」が1997年に三度目のリメイクとなった時に発売されたミニアルバムで、以前のふたつのバージョンも同時収録された感涙作♪♪~♪

 01 悲しき願い '97 (ニューバージョン)
 02 悲しき願い '97 (リミックスバージョン)
 03 悲しき願い '78 (尾藤イサオ&ドーンバージョン)
 04 悲しき願い '65 (オリジナルバージョン)
 05 悲しき願い '97 (カラオケバージョン)

まず1997年の新バージョンは、ふたつとも完全なる今風の音作りです。しかし、そのデジタル系のサウンドをバックにしても、尾藤イサオのエネルギッシュで哀切が熱血へと昇華する歌いっぷりは不滅!

トラック「01」は強いタテノリのビートにスパニッシュ調の味付けが微妙に素敵ですし、ハーモニカのような音も入った哀愁強化路線も憎めません。そして何よりも尾藤イサオの節さ回しが脂っこくて、失礼ながら年齢を感じさせないのは立派の一言!

それは尚更にスパニッシュ調が強調されたトラック「02」でも変わらず、まあ、リミックスなんで当然とはいえ、個人的にはこっちが気に入っています。

ちなみにバックのコーラスは愛娘の尾藤桃子、そして渚ようこがやっているのも良い感じ♪♪~♪ スパニッシュディスコ万歳♪♪~♪

もちろんこれは、1977年に欧州のプロジェクトバンドだったサンタ・エスメラルダのカパーヒットを強く意識しているのは否定出来ません。とにかく当時のディスコではバカウケしたのも懐かしい思い出ですが、それに刺激されて出したと思われるのが、トラック「03」の再録バージョンでしょう。

しかし流石というか、これまた当時の流行だったラテンビートにブラス&ストリングスを豪勢に使ったサウンド作りは、今となっては中途半端に古めかしいかもしれませんが、尾藤イサオならではの節回しは健在!

ただし残念ながら、この時はそれほどヒットしていなくて、私にしてもシングル盤は持っていなかったので、この復刻は実に嬉しかったですよ。

そしてやっぱり真打となるのがトラック「04」のオリジナルバージョン!

パックの演奏はブルーコメッツだと思われますが、如何にも昭和40(1965)年という、プレGS期ならではのチープなオルガンやエレキギターの響き、大きく前面へ出たボーカルのミックスがたまりません。しかもアレンジが素晴らしく練り込まれていて、スパニッシュのスパイスが聴いたエレキギターの伴奏フレーズやカッコ良すぎるドラムス、ジャズロックなサックス等々が、見事に尾藤イサオを盛り上げています。

ということで、オーラスのトラック「05」はカラオケですから、それでは皆様、ご一緒に歌いましょう~~♪

いゃ~~、日本のロックって、本当に良いですねぇ~~♪

これもまた、おやじバンドでやってやる覚悟を決めたというわけです。

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マンフレッド・マンのEPの魅力

2010-03-07 14:09:50 | Rock

No Living Without Loving / Manfred Mann (HMV)

往年の音楽ファンにとって懐かしいアイテムのひとつが、4曲入りのコンパクト(EP)盤でしょう。

これは説明不要というか、7インチシングルと同じサイズのアナログレコード盤に33回転の仕様で片面2曲ずつ、計4曲入りが標準でしたから、特に我国では、ちゃんとしたLPが買えないファンに向けてのサービス品のような意味合いもあり、公式アルバムから人気曲を抜粋したり、あるいはヒット曲だけをベスト盤のように集めた魅力的な商品も作られていました。

しかしイギリスやフランス等々では、このEP盤がひとつの確固たる作品として独自の存在感があったようで、これでしか聴けないという楽曲の存在がウリになっていましたから、遠く離れた日本のファンにとっては、リアルタイムでの入手の難しさもあり、まさに幻への憧れだけが強くなっていたのです。

例えば本日ご紹介のEPは、私の大好きなマンフレッド・マンが1965年秋に発売したイギリス盤ですが、同じ仕様のコンパクト盤がリアルタイムの日本で発売されていたかは知る由もありません。

なにしろ私自身、マンフレッド・マンに興味を抱いたのは1970年代中頃以降の事でしたし、その頃には完全に忘れられた存在というか、少なくとも我国では全盛期のレコードが極めて入手困難なグループのひとつだったと思います。

しかも悪い事(?)に、マンフレッド・マンも1960年代の慣習によって、地元イギリスとアメリカをはじめとする各国でレコードの発売仕様が微妙に異なっていたのですから、純粋に音楽を聴こうと欲すれば、必然的にEPにも手を出さざるをえない状況だったのです。

で、そんな劣悪な環境の中で私が特に欲しかったのが、本日ご紹介です。

 A-1 No Living Without Loving
 A-2 Let's Go Get Stoned
 B-1 Tried Of Trying, Bored With Lying, Scared Of Dying
 B-2 I Put A Spell On You

まず「No Living Without Loving」が如何にもフィル・スペクターからの影響をイギリス流に解釈したような、ちょいと大袈裟なメロディ展開も心地良いR&Bホップス♪♪~♪ 特に女性コーラスやストリングを導入しているあたりは賛否両論かもしれませんが、ポール・ジョーンズの不惑の歌いっぷりが私は好きです。また、ミディアムテンポでドカドカ暴れるドラムスが、フィル・スペクターのセッションでは常連だったハル・ブレイン(ds) への対抗意識というか、憎めませんよ。

ちなみに、この曲は最初、プロモーションオンリーのシングル盤に収録された、言わば試行錯誤段階のデモレコーディングだったらしいのですが、それがこうして正式に世に出たのは幸いだったと思います。

まあ、率直に言えば、ポール・ジョーンズのソロ作品という趣ですからねぇ。

しかしマンフレッド・マンというバンドの存在感は流石に強く、アメリカの黒人コーラスグループのドリフターズもやっていた「Let's Go Get Stoned」は、全くアル・クーパーが演じているかのような泣き節と如何にもイギリス流儀のセンスが見事に融合した名唱名演♪♪~♪ 粘っこい中にも、せつないグルーヴが存分に満ち溢れたプロデュースの妙も素晴らしいかぎりで、告白すればサイケおやじは、これが聴きたくて、入手に必死だったのです。

そしてB面は、いきなり痛快な白人R&B天国が現出するオリジナル曲「Tried Of Trying, Bored With Lying, Scared Of Dying」が、もう最高! エグ味の強いボーカル、爆発的なビートをブッ叩くドラムス、転がりまくったのピアノに狂熱のロックギター! これぞっ、ロック全盛期の証でしょうねぇ~~♪ こういう熱気は唯一無二だと思います。

極言すれば同時期のストーンズよりも、熱さでは勝っているのでは!?

という暴言は自分でも額に汗が滲むほどではありますが、続く「I Put A Spell On You」はご存じ、スクリーミング・ジェイ・ホーキンズの代表曲ということで、そのオリジナルの味わいを大切にしつつも、サックスのアドリブソロやオルガン伴奏のツボの押さえ方共々、そのクールで熱い雰囲気がたまりません。

というように、何れのトラックも完成度が高く、しかもワイルドなカッコ良さに満ちています。

今日では上手くCDに纏められているはずですが、実は4曲入りというサイズが聴くにはジャストミートというか、80分近い長丁場のCD聴きでは些か狂熱が過ぎて、集中力が持続出来ないという贅沢も言いたくなるのです。

それほどマンフレッド・マンの歌と演奏は密度が濃い、と言えばそれまで!?!

もちろんLP片面の25分前後でもOKなんでしょうが、こういうシングル盤サイズの徳用品はコレクターズアイテムとしての魅力も捨て難いと思います。

ちょっと危険な罠ではありますが……。

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ジム・メッシーナのAOR

2010-03-06 17:22:23 | Rock

Oasis / Jimmy Messina (Columbia)

いけないなぁ……、と思いつつも否定出来ないのが、所謂AORのソフト&メロウな世界ですよね。常にロック魂やジャズスピリット云々を力説しているサイケおやじにとっては、全く面映ゆいところなんですが、好きなんだからしょ~がねぇ、と無様な言い訳をしつつ、この季節になると聴きたくなるのが、本日ご紹介のアルバムです。

主役のジム・メッシーナはご存じ、ポコやロギンス&メッシーナで活躍したギタリスト&シンガーですが、曲作りや制作現場でのプロデュース力も高く評価される才人ということで、古くはバッファロー・スプリングフイールド末期に暗躍したことも忘れられません。

しかし表面的には常に脇役という印象が強く、前述したロギンス&メッシーナ解散後は相方のケニー・ロギンスがフュージョンサウンドを活かした意欲的な人気アルバムを出し続けていたのは対照的に、しばらくの沈黙期に入ってしまったのは残念でしたから、ついに1979年になって発表した、このソロアルバムは、如何にも「らしい」爽快なジャケ写同様、実に鮮やかな仕上がりでした。もう、サイケおやじは聴いた瞬間、シビレっぱなし♪♪~♪

 A-1 New And Different Way
 A-2 Do You Want To Dance
 A-3 Seeing You
 A-4 Free To Be Me
 A-5 Talk To Me
 B-1 Love Is Here
 B-2 Waitin' On You
 B-3 Lovin' You Lady
 B-4 The Magic Of Love

まず、爽やかなラテンフュージョンサウンドを堪能させてくれる「New And Different Way」が如何にも1979年! ライトタッチのボーカル&ギターソロ、気持良すぎるエレピのアドリブ、さらにリミッターをかけたと思しきドラムスの強いビート♪♪~♪ ほとんど我国の松岡直也にも通じるフィール・ソー・グッドな世界です。

そして続く「Do You Want To Dance」は、丸っきりボズ・スキャッグスが十八番のパターンを借用したAORとソウルミュージックの幸せな結婚ですが、ジム・メッシーナの節回しは決して黒くありません。まあ、そこがイヤミにならない秘訣でしょうか。

さらに「Seeing You」は、これぞっ、ソフト&メロウの極みつきとでも申しましょうか、曖昧な中にもフックの効いた曲メロ、それを見失ったかのように浮ついて歌うジム・メッシーナの深遠な目論見が、色彩鮮やかな演奏パートと完全融合した傑作トラックだと思います。

で、この冒頭からの三連発にアルバム全体の趣向が集約されているのですから、後は一気呵成に聞き流すというか、実際、春先から初夏にかけてのドライヴとか、リアルタイムで流行り始めたカフェバーなんていうお洒落な場所には定番でしたねぇ~♪

ところがオーラスの「The Magic Of Love」は、ある意味での悪いクセというか、妙にプログレや硬派フュージョンを意識したような長尺演奏……。こういう試みはロギンス&メッシーナ時代からの得意技とはいえ、個人的には???

とはいえ、それすらも後味は爽やかです。

ということで、各曲を解説するまでもなく、いずれもどっかで聞いたようなメロディとアレンジが効いていますから、聞き流すところに気持良さが収斂していく感じです。

まあ、そのあたりを姑息と決めつけるか、匠の技と受け取るかによって、このアルバムの意味合いは違ってくると思いますが、私は好きです。

もちろんジム・メッシーナならではの乾いた音色で淡白なギターソロも楽しめますし、なによりも優秀なスタジオ系ミュージシャンを使いこなしたプロデュースの力量共々、AORのブームにトドメの一撃が、これでした。

今となっては多少の思い入れが無いと聴けないかもしれませんが、サイケおやじは今日も車の中で鳴らしているのでした。

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ザ・フーのステージは狂熱

2010-03-05 17:30:04 | The Who

The Who  Live At Leeds (Track)

ライプアルバムにはジャズもロックもR&Bも、とにかく分野を問わない魅力があって、選曲の妙にはベスト盤的な趣向があったり、あるいは全くの新曲だけで構成された意欲的な作品、はたまた契約履行の成り行きで作られてしまった云々、とにかく話題性が尽きません。

もちろんそこには録音の良し悪しも含めて、演じる側の事情がリアルに封じ込められているのがファンにとってはお目当てですから、中途半端は許されないのです。

極言すれば、海賊盤まがいの劣悪な録音でも、中身のパフォーマンスが素晴らしければ全てが良い方向に作用しますから、ブート業者にとっては決定的な大義名分であり、またオフィシャルレコード会社側にすれば、切り札的な意味合いがあると思われます。

さて、本日の1枚は、そうした様々な思惑が見事に一致した奇蹟の名盤といって過言ではありません。

まず演じているザ・フーにとっては、世界有数のライプバンドとしての実直な姿を記録した成果であり、それに接することの出来ないファンにとっては溜飲が下がると言うよりも、初めて真実に触れたような幸せな気分にさせられる、まさにザ・フーの魔法にどっぷり♪♪~♪

しかもジャケットからもご推察のように、その体裁が当時の海賊盤を強く想起させるデザインというのも洒落が利いています。

 A-1 Young Man Blues
 A-2 Substitute / 恋のピンチヒッター
 A-3 Summertime Blues
 A-4 Shaking All Over
 B-1 My Generation
 B-2 Magic Bus

これまでも度々書いてきたように、サイケおやじは少年時代からザ・フーが大好きでしたが、それはラジオの洋楽番組か、乏しい小遣いの中でようやく買っていたシングル盤で楽しむのが精いっぱいでした。

しかしそうした音楽マスコミによれば、ザ・フーのライプステージは他のバンドや歌手の誰よりも凄い!?! そういう情報があったのです。そして今や伝説の若者向けテレビワイドショウ「ヤング720」で流されたザ・フーのライプフィルムからは、それが真実だと直感されましたですねぇ~。

ちなみにその映像は、これまた伝説となっている1967年のモンタレーポップフェスティバルのライプから、映画として記録されている場面のさらなるダイジェストだったんですが、ドラムセットはひっくり返す! ギターやアンプはぶっ壊す! それでいて演奏はカチッと纏まった轟音系! という当時の我国GSには絶対ありえない世界でした。しかもレコードで楽しめるザ・フーの類稀なるポップス性とは完全に異なる印象だったのです。

う~ん、凄いステージとは、これだったのか!?

と思わず震えたサイケおやじではありましたが、さりとて現在と違ってビデオやDVDがありませんでしたから、唯一の望みはライプアルバムなんですが、ザ・フーの場合はそれも出ていませんでした。

そして満を持して昭和45(1970)年に発売されたのが、この「狂熱のステージ」と邦題が付いたライプ盤! サイケおやじにとっては、初めて買ったザ・フーのLPでもありましたから、その感激は更に大きいとはいえ、まずはA面ド頭「Young Man Blues」からして衝撃的なギターのキメ、炸裂するドラムスとハードにドライヴするベースの暴れが圧巻でした。

もう、ほとんど各人が好き勝手にやっている感じの中、なんとか曲を纏めているのがロジャー・ダルトリーの歌いっぷりという有様なんですよねぇ。しかしブレイクを多用した演奏が少しずつ形を整えていくにつれ、カッコ良すぎるピート・タウンゼントのギターは痛快だし、大蛇のウネリのようなジョン・エントウィッスルのペースとキース・ムーンの乱れ打ちドラムスが最高のロックビートを提供してくれますから、血が騒ぎます。

このあたりの遣り口は、ボーカルのシャウトの仕方も含めて、レッド・ツェッペリンと似ているんですが、もちろんザ・フーが本家! またイエスも、このあたりを真似ながらプログレに進化した真相も含まれています。

それは極めてポップな「恋のピンチヒッター」を、こんなドカドカ煩いハードロックで演じてしまうという暴挙にも明らかでしょう。キメのコーラスワークの素晴らしさは唯一無二ですよ。

また、そうしたR&Rがど真ん中の本質は、エディ・コクランの「Summertime Blues」とジョニー・キッドの「Shaking All Over」という、爆裂カバーバージョンに引き継がれ、本物のハードロック桃源郷を現出させるのです。

ご存じのように、この2曲はシングルカットされ、恐らくは我国でのザ・フーの最大のヒットになったほど、リアルタイムのラジオからは流れまくりでしたよ♪♪~♪ とにかく熱いです!

しかし更にヤバイのがB面の大熱演で、「My Generation」は説明不要のロックアンセムですが、激しいハードロックに徹しながら、中間部には例のロックオペラ「トミー」からの抜粋もハイライト的に混ぜ込んで、劇的に演奏を構成していく15分近い大熱演!

さらにこれもザ・フーのテーマ曲のひとつである「Magic Bus」が、例えばボ・ディドリーが専売特許の土人のビートを使っているというバンド自らのネタばらしで大団円♪♪~♪

というように、とにかく暴虐のロックライブとしては最右翼の1枚なんですが、その音作りも、当時の他のミュージシャンが出していたライプ盤と比べて、実に強い印象を残します。それはおそらく8トラック程度のアナログテープ録音のはずなんですが、各楽器とボーカル&コーラスの存在感が素晴らしく、それでいて団子状に迫ってくるエネルギーが最高!

まあ、欲を言えば、もう少し観客の拍手歓声が大きく入っていれば……、と思います。

で、この名盤を作るにあたっては、1968年頃から計画があって、絶え間ない巡業の幾つかが実際に録音されていたそうです。ところがバンド側が、常に納得していないというか、それだけ当時のザ・フーが日進月歩の上昇期だった証なんでしょうが、中にはテストプレス盤まで作られてオクラ入りした音源もあるほどです。

幸いなことに、それらの一部はプートとして流出し、聴くことが出来ますが、それゆえに公式ライプ盤のジャケットがブートを模したという結果も泣き笑いかもしれません。

そして結局、本物の需要に迫られたバンド側が、ついに意を決して1970年2月14日、イギリスのリーズ大学でライプ録音を敢行! それを編集したのが、このアルバムというわけです。

もちろん当然ながら、ここに収められているのは、その音源の中の抜粋に過ぎません。

実際のステージでは、当時のザ・フーのウリだったロックオペラ「トミー」の全曲演奏、そしてヒット曲の数々が披露されていたのです。

そしてファンにとっては待望というか、まず1995年にCDリマスターの一環として拡大された14曲入り盤が登場♪♪~♪ さらに近年になって、ついに完全版としてCD2枚組のデラックスエディションが登場していますが、実はそれすらも不完全という真相はさておき、音質のリアルな追及によって、さらに楽しめるようになりました。

しかし、やっぱり最初に熱狂した、このアナログ盤の味わいは格別というのが、当時からのファンの気持じゃないでしょうか。それはザ・フーという稀代のロックバンドが、リアルタイムで示した意気地であり、これをもって次なる高みへと躍進する決意表明をファンが素直に受け止めたことによると思います。

ちなみにザ・フーは、このアルバムの前に今では歴史のロックオペラ「トミー」という2枚組のアナログ盤LPを出していたのですが、当然ながらサイケおやじはリアルタイムでは聴くことが叶わず……。

ですからザ・フーの深淵な企みには、些か乗り遅れたのかもしれませんが、後追いで聴いた時の肩すかしと以降の味わいの深さは、やはりこの「狂熱のステージ」を聴いていればこそだったなぁ、と今は思っているのでした。

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エアロスミスのファンクなお説教

2010-03-04 17:04:12 | Rock

Walk This Way / Aerosmith (Columbia / CBSソニー)

私はラップが大嫌いですけど、極僅か許せるのが「スシ食いねェ / シブがき隊」と本日のシングル盤A面曲「Walk This Way」ぐらいでしょうか。まあ別格としてジェームス・ブラウンは大好きですけどね。

で、演じているエアロスミスはアメリカ東海岸出身のハードロックバンドですが、イメージとは裏腹にブルースロックっぽさはあまりなく、逆にファンキーな味わいが隠しようもないという、ある意味では妙な魅力がありました。

もちろん若さにまかせた直線的な突進力は、まさにハードロックのど真ん中で、それは紆余曲折あった後の現在まで継続されているわけですが、個人的にはエアロスミスといえばファンキーロックの異形グループとして愛着があります。

メンバーはスティーヴン・タイラー(vo)、ジョー・ペリー(g)、ブラッド・ウィットフォード(g)、トム・ハミルトン(b)、ジョーイ・クレイマー(ds) が1973年正式デビュー時の5人組で、ご存じのとおり、ストーンズやヤードバーズを強く意識した演奏の雰囲気は些か没個性でした。しかもスティーヴン・タイラーがミック・ジャガーに風貌が似ている所為もありましょうが、あえてそういうところを隠そうとしなかったのも逆効果だったかもしれません。

そして案の定、評論家の先生方によってデビューアルバムは未熟の烙印を押されたのですが、地道な巡業によるライプステージ優先主義が功を奏したのか、翌年に出した2枚目のアルバム「飛べ! エアロスミス / Get Your Wings」が評判を呼び、我国でも昭和50(1975)年になって前述の邦題で発売され、いよいよブレイクのきっかけを掴んだのです。

というか、これは特に日本で顕著だったのかもしれませんが、レコード会社はもちろん、当時の洋楽マスコミは率先してイチオシのウリに走っていたような印象があります。

思えば当時は洋楽の爛熟期で、グラムロックの生き残り進化系としてデヴィッド・ボウイやロキシー・ミュージックが我国でも人気を集め、またシンガーソングライターやサザンロック、そしてウエストコーストロックの各分野に名盤がどっさり誕生し、ジェフ・ペックはギター殺人者となって凱旋!?! ウイングスが大きく羽ばたき、ロッド・スチュアートは大西洋を一跨ぎ!?! さらにボブ・ディランの地下室の秘宝が公になったりした中では、若さだけが特徴的なハードロックのバンドなんて、それこそ掃いて捨てるほどあったのですから、エアロスミスに限って言えば、相当にプロモーションの効果があったと思われます、

なにしろリアルタイムの我国ではクイーン、キッスと並んでエアロスミスが人気三大バンドになったほど!?!

当然ながらそこには女の子のファンが目立つという事情から、野郎どもには面白くなかったのも、また事実でした。もちろんサイケおやじも、また、しかりです。

ところが、この「Walk This Way」には全く仰天させられましたねぇ~~♪

イントロからどっしり重いドラムスとフックの効いたギターリフのコンビネーションは、ほとんどジェームス・ブラウン風で、しかもサウンド作りがブリティッシュハードロックなんですから、たまりません♪♪~♪

そしてボーカルパートはメロディを極力排したリズミックなラップ調ながら、演奏パートのカッコ良さと共謀したファンキー味が全開! 合の手や間奏でのギターソロの入り方もスリルがありますし、リフレインのキメの覚え易さもヒット曲の条件を満たしていますが、なによりもスティーヴン・タイラーのリズム感の素晴らしさは特筆されるべきでしょうね。

それとこれは完全なる個人的な推察ではありますが、ドラマーのジョーイ・クレイマーは嬉々として叩いているのがミエミエなのも、憎めません。

ちなみに「Walk This Way」はエアロスミスが1975年に出した3枚目のアルバム「闇夜のヘヴィロック / Toys In The Attic」に収録され、我国でもリアルタイムで発売されたんですが、そこでは「お説教」なんていう邦題が付けられていたのは、いやはやなんとも……。

しかし初めてラジオから流れてきた時には、思わず食っていたカップ焼きそばを落としてしまったほど、そのファンキーなビートは激烈でした。

そして翌年になって来日記念盤としてシングルカットされた時、ついにサイケおやじは我慢しきれず、ゲットしたというわけです。

さらに様々な言い訳をしながら聴いていたエアロスミスのアルバムにシビレていたのも、告白すべきことでしょうね。そういう悔悛の情から言えば、なかなか自分の好みに合っていたバンドでしたが、当時は一流の売れっ子の宿命として悪いクスリや金銭関係の仲間割れがあり、1970年代末頃からは活動も低迷……。

それが確か1986年頃だったでしょうか、突如として某ヒップホップのグループが、この「Walk This Way」をサンプリングしたヒットを飛ばしたことから、エアロスミス本隊が息を吹き返したのは、個人的に複雑な心境でした。

ただしそれによって闇雲に媚びた姿勢でファンクなロックをやらなかったエアロスミスは流石の貫録というか、その点だけは嬉しく、今日では伝統芸能的な味わいも含めて存在感を誇示しています。

その意味で極言すれば、エアロスミスは決して「Walk This Way」だけがヒット曲ではないのですが、やはりどうしてもイメージとしては、この曲に尽きるような気がしています。もちろんライプバンドとしても超一流ですし、様式美に彩られたスローな名曲もありますが、それゆえに残されたライプ音源でも、「Walk This Way」が決定的に輝くのは必然の事実だと思います。

個人的には1978年に出た2枚組のライプアルバム「ブートレッグ」が大好きなんですが、そこには代表曲に混じってジェームス・ブラウンの「Mother Popcorn」、そしてヤードバーズの「I Ain't Got You」と「Train Kept A Rollin'」のカパーが演じられていますから、「Walk This Way」のライプバージョンも、尚更に鮮やかに楽しめるのでした。

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生き残るバリー・マン

2010-03-03 15:55:25 | Singer Song Writer

Survivor / Barry Mann (RCA / BMG JAPAN = CD)

愛聴盤が再発される時、特にCD時代になってからはボーナストラックという美味しいオマケが付くようになりましたから、堂々と大義名分を得て、それを買うことが出来るのは些か苦しい言い訳でした。

しかし、本日ご紹介のアルバムに関しては、その成り立ちからして、どうしても決定的な再発が必要とされていたのです。

主役のバリー・マンは1950年代末から職業作家として今日まで、知らぬ人もないヒットメイカーですが、1970年前後からのキャロル・キングの活躍に刺激されたのか、もちろんそれまでも例えば「シビレさせたのは誰 / Who Put The Bomp」等々の自演ヒットも出していたわけですが、いよいよ本格的なシンガーソングライターとしての活動をスタートさせ、まずは1971年に「レイ・イット・オール・アウト(New Design)」と題されたアルバムを出すのですが、結果は……。

ちなみにキャロル・キングはもちろん職業作家時代からバリー・マンの盟友でしたから、前述のアルバムにも参加し、地味ながら仕上がりは、「裏・つづれおり」というムードも滲んでいたのですが、リアルタイムでは売れなかったのが事実であり、私も後追いで聴きました。しかし1975年となって、この「ザヴァイヴァー」に関しては、輸入盤屋に入荷するという情報を得た瞬間から、一刻も早く聴きたいと期待していたのです。

というのも、当時の私は所謂オールディズ物にどっぷりと足を踏み入れていた時期でしたから、バリー・マンという偉大なソングライターが気になっていたのはもちろん、アルバムの制作にはビーチボーイズでお馴染みのブルース・ジョンストンやテリー・メルチャー等々のハリウッドポップスの立役者が関与しているとあっては、辛抱たまらん状態!

そしていよいよ聴けたそこには、如何にもバリー・マンらしい、ある意味では大袈裟ともいえるホワイトゴスペルっぽい曲調と真っ向から取り組む熱いボーカル、また可逆的な自嘲を漂わせる節回し、ツボを抑えたアレンジと演奏がぎっしり♪♪~♪

しかし同時期に発売されていたアルバム未収録のシングル曲は、当時の日本では入手が極めて困難であり、つまりは輸入盤シングルを積極的に扱う店がほとんど存在していなかったわけですが、そうこうしているうちに突如としてアルバムそのものが再発というか、曲順もプログラムも異なる新装盤が登場して、なんだかなぁ……。

それは結局、私に買い直す経済力が無かったことに他なりませんが、その間にもレーベルを移籍してのシングル盤が出たり……。

こうして時が流れました。

バリー・マンは前世紀末頃になって、ようやく歌手としても我国ポップスファンに広く認められるようになり、このアルバムもCD化されたのですが、残念ながらボーナストラックに関しては個人的に不満があって、入手を躊躇していたところ、ついに出たのが紙ジャケット仕様も嬉しい再発の決定版!

 01 I'm A Survivor (2nd Single A)
 02 Don't Seem Right (A-1)
 03 I Wanna Do It All (A-2)
 04 Taking The Long Way Home (A-3)
 05 I'll Always Love You (A-5)
 06 Crazy Ladis (B-1)
 07 Nobody But You (B-2)
 08 Jesse (B-3)
 09 Hang On Fred (A-4)
 10 My Rock And My Rollin' Friends (B-5)
 11 Don't Seem Right / Riprise (B-6)
※ボーナストラック
 12 Nothing Good Comes Easy (B-4)
 13 Woman Woman Woman (1st Singl B)
 14 The Princess And The Punk (Arist Singl A)
 15 Jennifer (Arist Singl B)

上記演目の末尾に入れたのは、私有の初回アナログ盤の曲順ですから、この再発CDはセカンドプレスのアナログ盤に準拠したものです。

それは同セッションから作られた2枚目のシングルA面曲だった「I'm A Survivor」がちょっとした評判を呼んだことからの措置だったと思われますし、実際、アルバムタイトルにも合致するイメージとして、音楽業界の裏方からスーパースタアを眺めて自嘲する歌詞とノリの良い曲調が出来あがっていれば、それは正解だったと思われます。

しかし最初に耳に馴染んだ印象とは凄いもので、シミジミと歌い出される「Don't Seem Right」から、ほとんどの曲はミディアム~スローテンポで終盤がグイグイと盛り上がるという展開が続きます。そして前述のように、ホワイトゴスペルというか、込み上げてくる感情や抑えきれない高揚感が吐露されるメロデイと歌いっぷりが、実に心地良いんですねぇ。

ただしそれはツボにくればこその快楽であって、はっきり言えば地味~な曲ばかりですし、演奏パートはピアノが中心ですから、派手なギターソロなんか出てきません。

ですからアルバムの構成が一本調子というか、似たような歌と演奏ばかりで、飽きる前に取っつきが悪いのが本当のところかもしれませんね。

実際、バリー・マンのファン以外の皆様にとっては、最高につまらない仕上がりだと思います。

それでも一途に盛り上がる「Crazy Ladis」や「Nobody But You」、ちょいとせつない「Jesse」、力強い「Hang On Fred」、真摯な「My Rock And My Rollin' Friends」から締め括りの「Don't Seem Right / Riprise」へと続くこのCD後半の流れは、よくもまあ金太郎飴なゴスペルポップスが作れたもんだ!?! と呆れる寸前のしつっこさですよ。

このあたりの好き嫌いによって、このアルバムへの愛着度が決まるのかもしれませんね。

その意味で、このCDのプログラムはとても良く出来ていて、じわ~っとくるストリングスの大団円からライトタッチのR&Rポップス「Nothing Good Comes Easy」に入る流れは痛快にしてクセになりますよ♪♪~♪

それとボーナストラックの「Woman Woman Woman」はアナログ盤LPには未収録の、実に私好みのゴスペルパラードで、極言すればパーシー・スレッジの「男が女を愛する時」の白人的な焼き直しなんですが、それが琴線に触れまくり♪♪~♪ 告白すれば、この1曲が聴きたくて、このCDをゲットしたといって過言ではありません。

またアリスタ契約して1976年に発売したシングル盤の両面2曲、「The Princess And The Punk」と「Jennifer」が入っているのも決定的! 特に「Jennifer」は如何にもバリー・マンという美しくてドラマチックな作風が全開の隠れ名曲です。

ちなみにバリー・マンが書いてきた諸作の歌詞は、1960年代初頭から夫人のシンシア・ワイルがほとんどを手掛けていて、このアルバムも同様の方針を貫いているのですが、純粋でありながら決して一筋縄ではいかない愛の形とか世の中の仕組みを歌い込んだ作風は、この2人ならではの個性として不滅だと思います。

そのあたりは影響を受けたと思しきミュージシャンや作家も多くて、我国では本人も語っているように、山下達郎は代表選手のひとりでしょう。「蒼茫」とか、その手の些か大仰な名曲にはモロじゃないでしょうか。私は好きです。当然ながらバリー・マンの熱い節回し、歌いっぷりも伝承されているようです。

ということで、決して万人向けのアルバムではありませんでしたから、リアルタイムでは売れなかったと思いますし、シングルヒットも出ていません。

しかし一度虜になったが最後、棺桶にまで持ち込みたい愛着は必至ですよ。

尤も私の場合はそれが多くて、棺桶がいっぱいになるかもしれませんが、このアルバムは削って欲しくないですね。遺言残しておきます。

最後になりましたが、アルバムに参加協力したメンツが裏ジャケットに掲載されていて、まさに一蓮托生の仲間達のあれこれも類推出来る楽しみがあります。今回は割愛させていただきますが、アメリカ本国ばかりではなく、それが例えば山下達郎といった我国の歌手にも伝播しているあたりも含めて、味わい深いポップスの流れが楽しめると思います。

詳しい付属解説書も含めて、とにかく紙ジャケット仕様の再発CDがオススメです。

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キャロル・キングのダメモトな贅沢

2010-03-02 17:21:47 | Singer Song Writer

Simple Things / Carole King (Avatar / Capitol)

3月といえば別離と新しき旅立ちの季節ですよね。そんな時に思い出させるのが、本日ご紹介のアルバムです。

その主役のキャロル・キングは説明不要、1960年代の職業作家時代から自ら歌うこともあった才女でしたが、シンガーソングライターという1970年代からの大ブームもまた、彼女の傑作アルバム「つづれおり」が、そのきっかけのひとつでした。

しかし創作には煮詰まりとマンネリが宿命というか、如何にキャロル・キングと言えども、1974年あたりから少しずつ低調な雰囲気が漂い始めたのは否めず、そのあたりを逆手に活かしたのが1975年に発売された「サラブレッド」という爛熟の微温湯盤だったのですが……。

その背景には再婚相手として全盛期の彼女を支えたベース奏者のチャールズ・ラーキーとの離婚、あるいは芸能界にどっぷりの乱れた生活があったと後に語られているようですが、ただレコードやライプだけで彼女の歌の世界を楽しんでいるファンにとっては内幕を知る由も無く、それでもコンスタントに出される新曲に期待は薄れることがありませんでした。

もちろんそれが、期待どおり、ということはなかったとしてもです。

で、そんな状況の1977年になって世に出たのが、このLP「シンプル・シング」だったんですが、まず驚いたのがレコード会社の移籍というか、それまでの盟友だったルー・アドラーが運営していた「Ode」を離れ、キャロル・キング自らが設立した新レーベルの「Avatar」が制作、そして配給は大手のキャピトルという体制になっていたことです。

それは彼女自身がより大きな自由を得た事と引き換えに、今となってはインディーズならでは苦労があったことは容易に推察出来るのですが、少なくともリアルタイムでの私は、尚更にキャロル・キングだけの「節」が楽しめると、本当に強く思っていたのですが……。


 A-1 Simple Things
 A-2 Hold On
 A-3 In The Name Of Love
 A-4 Labyrinth
 A-5 You'er The One Who Knows
 B-1 Hard Rock Cafe
 B-2 Time Alone
 B-3 God Only Knows
 B-4 Th Know That I Love You
 B-5 One

結論からいうと、あの仄かに暗いAメロから開放的なサビへと進展する十八番の「節」が、ほとんど出ていないと感じます。というか、キャロル・キング自らが新しいメロディ展開を模索し、なんとか捻り出した歌……、というものばかりなんですねぇ。

これはファンの中でも私だけの気分かもしれませんし、新しい試みに臨んだキャロル・キングに対しては贔屓の引き倒しでしょう。

しかしここに収められた歌は、なにもキャロル・キングが歌わなくとも、リンダ・ロンシュタットやカーラ・ボノフでもOKじゃないかとさえ、思います。

ちなみに当時はイーグルスが全盛期の「ホテル・カリフォルニア」を出し、ウエストコーストロックが頂点を極めていましたから、キャロル・キングにしても、そうしたサウンドを狙うことで、これまでの個性から、更なる飛躍を目指したことは、決して間違いではないかもしれません。

しかも彼女自身がハリウッドを離れ、コロラドに移り住んだという生活環境の意図的な変更や演奏パートのほとんどを現地のローカルバンドだったナヴァロと名乗る6人組に委ねたあたりも味わい深いところです、

そして出来あがったのは、なんとその年のワーストアルバムに選ばれるというほどの賛否両論!?!

う~ん……。

それでもA面ド頭収録のアルバムタイトル曲「Simple Things」は、なかなかハートウォームな曲メロと分厚いストリングスが効果的なアレンジで、実に秀逸♪♪~♪ まさにプロのソングライターの良い仕事だと思います。

ただし、繰り返しますが、それまでの特徴的な「節」がほとんど出ないのでは納得出来ない部分が多く、どうにかシングルヒットになった「Hard Rock Cafe」にしても、こんなタイアップ曲を何故に歌わなきゃならないの? と思うばかりです。

またバックバンドのナヴァロにしても、本当に器用で上手い連中なんですが、個性が感じられず、「You'er The One Who Knows」や「God Only Knows」あたりの正統派ウエストコーストロックがど真ん中のアップテンポ曲においても、ギターソロやコーラスが虚しかったします。

正直、何が悲しくて、こんなのを聴かなきゃならない?

と思いましたですねぇ、当時は……。

実はこの背景には、キャロル・キングの新しい曲作りの相棒で、後には三度目の結婚相手となるリック・エヴァーズという人物が存在しており、コロラドへの移住や新レーベルの設立にも関与していたというのですから、さもありなんでしょうか。

ご存じのとおり、このリック・エヴァーズにしろ、ナヴァロにしろ、当時も今も評価されているとは決して言えないわけですし、特にリック・エヴァーズは次作アルバムの準備中に悪いクスリで急逝するという悲劇もあったりして、全く当時のキャロル・キングは迷い道だったと思います。

しかしリアルタイムを過ぎて、時が流れた後、時折に取り出して聴くこのアルバムは、なかなか素直で良く出来ているなぁ~、と妙に感服したりします。

なによりもキャロル・キングのボーカルに勢いと潤いがありますよ♪♪~♪

ですから曲調に往年の味わいが薄れていても、いや、それだからこそ、彼女の歌いっぷりに素直に惹かれるのでしょう。特に今の時期にはジャストミートだと思います。

忘れられたアルバムの再発見も、時には素敵な贅沢ですね。

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