OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

槇みちると津々美洋のこと

2014-11-03 15:26:38 | 歌謡曲

シュガー・タウンは恋の町 c/w 狂ったハート / 槇みちる (日本ビクター)

今となっては我が国芸能界でも屈指のセッションシンガーとして知られる槇みちるも、昭和40年代前半には第一線のアイドル歌手でありました。

中でも昭和41(1966)年からのロングセラーヒット「若いってすぱらしい」は誰もが一度は耳にしたことがあるにちがいない代表作として、今や昭和歌謡曲のスタンダードになっているもの、槇みちるの溌剌とした歌唱があればこそでしょう。

さて、そこで本日掲載したのは昭和42(1967)年に発売された1枚なんですが、もちろんA面曲「シュガー・タウンは恋の町」はナンシー・シナトラが大ヒットさせた人気洋楽ポップスの日本語歌詞によるカバー、つまりは和製ポップスの優良作♪♪~♪

それは橋本淳の訳詩に筒美京平のアレンジという制作企画の最高の結果とはいえ、とにかく槇みちるの明るく、それでいて微妙に滲ませた胸キュンフィーリングが素晴らしく、何度でもレコードに針を落としたくなること請け合いの名唱ですよ、これはっ!

ちなみにバックの演奏を担当しているのはジャケットにも記載があるとおり、津々美洋とオールスターズ・ワゴンで、実はサイケおやじが以前から書いておきたかったギタリストのひとりが津々美洋でありました。

もちろん今となっては津々美洋も縁の下の力持ち的な実力派としての評価もあるんですが、それじゃ~絶対不足とサイケおやじは痛切に思っているほど、このギタリストは素晴らしいんですよっ!

そのシャキッとして、しなやかに弾むリズム&ビート感、さらには緩急自在なフレーズ展開と音色のコントロールは職人的と言えばそれまでなんでしょう。

実際、ロカビリー歌手時代の平尾昌晃のバックバンドを経て、昭和40年代には多くの歌謡スタアや歌謡ポップス系シンガーのスタジオセッションに参加し、またエレキブームには前述したオールスターズ・ワゴン名義で夥しいインスト系レコードを残しているのですから、リアルタイムを過ごしたサイケおやじと同世代の皆様、そして昭和の芸能界に興味を抱く現代のお若い皆様の耳にも、必ずや津々美洋のギタープレイは届いているはずです。

ところが今日、津々美洋が過小評価されているのは、おそらくは当時の便利屋的な使われ方が影響しているんじゃ~ないでしょうか……。

一概な比較は出来るはずもありませんが、寺内タケシのような絶対的な存在感、あるいはシャープ・ファイヴの三根信宏の如きマニアックな神聖(?)が一般的に得られなかったのは、業界の中に何かの理由があるのか、それとも津々美洋の性格ゆえのことなのか、個人的には津々美洋の関わったレコードを聴く度にそんなモヤモヤを抱き続けている次第です。

で、肝心のここでの槇みちるとのコラボレーションも本当に素晴らしく、「シュガータウンは恋の町」における清涼にして溌剌とした彼女のボーカルを見事にバックアップする軽やかなリフを演じたギターこそが津々美洋でありましょう。

そしてさらに素敵なのがB面に収録された「狂ったハート」で、これもまたイタリアのロケンロール男にして世界的にも人気が高かったリトル・トニーの「Cuore Matto」を橋本淳の訳詩と筒美京平のアレンジによってビート歌謡化した和製ポップスなんですが、この疾走感を溢れる仕上がりは槇みちると津々美洋が最高の相性を披露した傑作と思います。

ということで、槇みちるは近年の再評価も進み、時にはテレビ出演もされているんですが、アイドル歌手時代の音源がどの程度纏めて復刻されているのかは、あまり明るい話も無いようです。

そして当然ながら、中尾ミエのバージョンによって知られる「片思い」を最初にレコード化したのは槇みちるという真相も含めて、今日に至るセッションレコーディングやCM音源をも集成したアンソロジーが、これほど待たれる歌手もそんなに多くはありません。

また津々美洋も同じく、リーダー盤音源のコンプリートは無理であっても、セッションワークも含めた秀逸なギタープレイを纏めて楽しめるアンソロジーが必要ですよ。

あっ、書き遅れてしまいましたが、前述した平尾昌晃の歌手時代を代表するヒット曲「星はなんでも知っている」を書いたのも、津々美洋なんですねぇ~♪

残念ながら昭和50年代には表舞台から消えた感もありますが、槇みちるも津々美洋も、その素晴らしさは不滅だと、強く思っています。

コメント (5)
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