OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

アダムスは今も人気があるらしい

2014-11-05 15:39:23 | 歌謡曲

眠れる乙女 / アダムス (CBSソニー)

実力がありながら、それを活かしてもらえないという不条理(?)はどんな世界にも必ずあるわけですが、その原因のひとつが現場と上層部の思惑のズレというポイントは殊更仕事では多いんじゃ~ないでしょうか?

実際、「実力」という言葉が全く似合わないサイケおやじにしても、ど~して自分のやろうとしている事がお偉方や周囲に伝わらないのか……、という現実には、それなりに苦悩しながら、今日に至っているわけですが、しかしその「苦悩している」自分の気持ちだって、理解なんかはされていないのが、この世の厳しさと思うばかりです。

さて、そこで本日掲載のシングル盤の主役たるアダムスは、もちろんGSブーム期のバンドなんですが、今となってはメンバー各々の実力がリアルタイムでは真っ当に伝えられなかったという部分で評価される、ど~にも不条理な存在と言えるかもしれません。

ご存じの皆様もいらっしゃるでしょうが、実はアダムスは渡辺プロダクションが「第二ののタイガース」を企図したような思惑で結成された感があり、昭和43(1968)年9月の公式レコードデビュー前から既に芸能マスコミでは騒がれていた記憶がサイケおやじにはあるんですが、確かにグループとしてのルックスの良さは、特に女の子相手の商売優先という嫉妬心を野郎どもに抱かせるに十分であったと思います。

しかし、如何に制作営業側の狙いで集められたとはいえ、轟健二(vo)、水谷公生(g)、土屋守(key)、千原秀明(b)、川上幸夫(ds) という5人メンバーは後にスタジオセッションの世界でも有名になるほどの名手揃い!

ちなみに轟健二と水谷公生はアウト・キャストから脱退移籍組というよりも、アダムス結成の時点でアウト・キャストは主要メンバーがほとんど抜けていたと言われていますから、むしろアダムスはアウト・キャストの正統を継ぐ発展形のバンドかもしれません。

ところが作られたレコードはデビュー曲「旧約聖書」からして、如何にも大仰なオーケストラを入れたクラシカル歌謡路線だったんですから、特に後追いでGSを聴いている皆様にとっては、我が国のニューロックを導き、セッションミュージシャンとしても超一流の水谷公生のプレイに期待すると肩すかしは必至でありましょう。

もちろんそういうところには前述した「第二のタイガース」という企画の優先があったはずです。なにしろ全盛期の本家タイガースはクラシックを大胆な剽窃したが如きアレンジによって大ヒット曲を連発していましたからねぇ~~。

この2作目となる「眠れる乙女」にしても、作詞:山上路夫&作曲:村井邦彦が提供したのは欧州クラシック調の刹那の歌謡バラードで、しかも東海林修のアレンジによる流麗にして幾分のクドさも残るストリングスが配されていますから、轟健二の節回しもセンチメンタルな情感が否でも伝わってくるほどに仕上がっています。

ですから、これを傑作とする事に吝かではない気持ちもサイケおやじにはあるんですよ。

ところが、これは微笑ましいというよりも、笑ってしまいそうになるのがサビの展開で、なんとっ! イギリスのフェアリーダストと名乗るグループが当時我が国でもヒットさせていた「誓いのフーガ」の使い回しでしょう、これはっ!?

しかし、年末発売であった「眠れる乙女」が、それゆえに強い印象を残しているのも確かなんですから、いやはやなんとも、プロの手際の違いを思い知らされるわけですが……。

それはそれとして結局は大きなヒットを出せなかったアダムスが、どんな状況の企画や楽曲を与えられても、それに臆することのないレコードを作ろうとした姿勢は評価するべきと思いますし、そう思うほどにサイケおやじはリアルタイムのアダムスのライブステージに接することが出来なかった不運を嘆きたくなります。

なにしろアダムスは実質1年ほどで解散し、公式音源もシングル盤4枚ほどしか残していないものの、観客を前にしては相当に進んだニューロックを演じる事もあったという伝聞がありますから!?

そういうところでこそ、アダムスは本領を発揮していたにちがいないと思ってしまいます。

最後になりましたが、ジャケ写の中のアダムスは如何にもの衣装をしっかり着こなしている、そういうセンスもあったんですよねぇ~。

確かに「第二のタイガース」にはなれませんでしたが、スタアとしての佇まいは決して負けていなかったところも、今に続くアダムスの人気の秘密かもしれません。

コメント (7)
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