OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

Bye Bye Johnny

2014-11-28 15:08:46 | 日本のロック

ハイティーン・ガール / ジョニー大倉 (フィリップス)

ジョニー大倉が天国へ召されました。

故人について、サイケおやじは特に思い入れもありませんが、しかしミュージシャンとして、また俳優としての業績は素直に評価し、認めなければならないでしょう。

ご存じのとおり、故人は昭和47(1972)年にキャロルのメンバーのひとりとして有名になり、バンド内では矢沢栄吉と並び立つ看板だったわけですが、キャロルが成功したのはオリジナル演目の日本語と英語をミックスせさた歌詞を上手い具合にロックビートにノセていたからだと思えば、それを主に書いていたジョニー大倉の存在は、その大部分を担っていたわけです。

極言すれば、所謂「日本語のロック」を最も成功させたのがキャロルであり、ジョニー大倉の貢献はなかなかに大きい!?!

サイケおやじとしても、その一点に関するかぎり、はっぴいえんどよりはキャロルを高く評価しています。

しかし、皮肉にもと言えば、お叱りは覚悟なんですが、ジョニー大倉は本名がパク・ウナンという在日であり、「日本語のロック」を確立させたのが、純粋な日本人では無かったという部分に反発を覚えている評論家の先生も少なからず……。

ですから、ジョニー大倉がミュージシャンとして未だ真っ当に認められていないのは、それが要因かもしれません。

ところがジョニー大倉は堂々と自分の出自も本名も公にしていたのですから、あえて迫害される必要なんか、どこにも無いわけです。

サイケおやじは、そういうところに故人の潔さを感じます。

そしてキャロル解散後、歌手活動と共に俳優としても認められたのは、ジョニー大倉というキャラクターの味わい深さで、それはカッコ悪いことがカッコ良いという逆説的なヒーロー像でもありますが、サイケおやじが一番に素晴らしいと思うのは、ちょっぴり卑屈で煮え切らない、それでも実直に生きようとする登場人物を演じる場合です。

中でも昭和50(1975)年に公開された「異邦人の河(緑豆社)」は、ほとんどが在日コリアンによって描かれた彼らの青春物語で、もちろん日本人のスタッフや俳優も参加していますが、ここでは藤田敏八監督の弟子(?)と言われる李学仁監督と本名のパク・ウナンとして出演したジョニー大倉の演技演出がクールで熱いんですねぇ~~~。

題材が題材だけに、DVD化されているかは不明ですが、在日を疎む自由があるのと同等の権利として、この作品は機会があれば、大勢の皆様にご覧いただきたいと願っています。

ちなみにサイケおやじは当時、ちょいと関係者から誘われての鑑賞だったんですが、本音で言えば最初は些かバカにしていた先入観が、あっさりと覆されたのは、お恥ずかしいかぎり……。

自分の不明に目が覚めたのは、ありがたいことでした。

結局、ジョニー大倉は一般的に映画やテレビドラマでハードな役柄が似合うというイメージなんでしょうが、本当はネクラで内省的な演技表現が十八番だったように思います。

というか、それがあればこそ、俳優としてのジョニー大倉は強い印象を残すのでしょう。

さて、そこで本日掲載したのは昭和51(1976)年に発売されたシングル盤なんですが、実は故人名義のレコードは、これしか今はサイケおやじの手元にありませんので……。

しかし自作自演のA面曲「ハイティーン・ガール」はエグ味も程好いロケンロール歌謡であり、そのビッチ全開の歌の中身がなんとっ!

同時期にシュガーラブと名乗るイケイケおねえちゃんグループにカバーされ、極みの傑作になってしまったという、まさにジョニー大倉、ここにありっ!

ということで、些か確信犯めきますが、在日云々は日本人であるサイケおやじにとって、どこまで書いても、その本質は知り得ないものがありますから、こっちの思い込みが通用しているはずも無いわけです。

もちろん実社会には、コリアンが多く生活し、各方面で活躍しながら、そういう出自を隠さなければならない状況が続いているわけで、そんなこんなを探し当てて、暴露する活動も、それはそれで自由でありましょう。

昭和の頃とは多少なりとも、差別や侮蔑の意識が我々日本人からは薄れている事も確かです。

ジョニー大倉は、そういうものを背負って、さらに前向きに生き抜いたところが、なまじっかな独り善がりではなかったはずで、サイケおやじは衷心より、故人のご冥福を祈るばかりです。

合掌。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする