■ひとりぼっちのシンフォニー / The Supremes (Motown / 日本ビクター)
黒人女性ボーカルグループで最高の人気と実績を残したのがシュープリームスであるという定説は、今もって認めざるをえません。
なにしろ1960年代、アメリカに上陸してきたビートルズを旗頭とする所謂ブリティシュインベンジョンに堂々と対抗する彼女達の歌は、1964~1965年の5曲連続チャート1位という大偉業! もちろん他にも同時期に発売したシングル曲が悉くヒットしていた歴史は、様々な音楽書でも確認出来るとおりです。
しかしサイケおやじの感覚では、どうにも当時の我国でシュープリームスが流行っていたという記憶が曖昧で、実際にラジオから流れていた彼女達の歌に夢中になったことも当然ありません。
ただし、そのシュープリームスを意識しなければならなかったのは、前述したようにアメリカにおいて大ブレイク期のビートルズと対抗出来るほどの歌を出していたという部分であって、それはどんなに凄いんだろう?
と、いうところに尽きます。
ですから、シュープリームスをしっかり聴くようになったのは1970年代に入っての完全な後追いであった事を告白しつつ、以降を書いていこうと思います。
さて、シュープリームスと言えば、一座の看板スタアは主にリードを歌っていたダイアナ・ロスであり、メリー・ウィルソンとフローレンス・バラードはコーラス組というのが一般的なイメージでしょう。
ところが残された映像からの個人的な感想では、そのメリー・ウィルソンとフローレンス・バラードが醸し出す華やかな雰囲気は決定的で、率直に言わせていただければ、ダイアナ・ロスはスタイルも含めてルックスは決して良いとは……。
実は既存の事実として知られているとおり、シュープリームスはモータウンのお膝元だったデトロイトで結成され、1957年頃からアマチュアで活動した後、スカウトされて1961年に正式レコードデビューしているんですが、しばらくは泣かず飛ばずが続いています。
それが1964年になって発売した「愛はどこへ行ったの / Where Did Our Love Go」が突発的とも言えるメガヒット! 見事にチャートのトップに輝き、ここから前述した「5曲連続」という勢いが人気の証明として全盛期に入るわけですが、後追い鑑賞という利点を活かして聴く当時の音源からは、メリー・ウィルソンやフローレンス・バラードのリードも決して悪くはないという感想が、サイケおやじにはあります。
しかしダイアナ・ロスのボーカルには、他のふたりとは異なるフィーリングが確かにあって、幾分細い声質が妙にロックぽいというか、後に独立してソロシンガーとなったフローレンス・バラードが1960年代末に残したレコードと比べても歴然!?
そこがモータウンで新しいサウンドを作り出そうと試行錯誤を重ねていたスタッフライターのエディー・ホランド、ラモン・ドジャー、そしてブライアン・ホランドの3人が組んでいた所謂H-D-Hの狙いと合致したのか? そんな妄想をサイケおやじは抱く事もあります。
一方、下世話な裏話として、ダイアナ・ロスは上昇志向の積極派だった事から、意図的にモータウンの経営者だったベリー・ゴーディーと恋人関係を作り、そこから周囲の反対を押し切らせて自分がリードの座に就いたという噂も!?
そのあたりのゴタゴタは後に作られるミュージカルや映画、さらには暴露本等々で嫌になるほど明らかにされるわけですが、グループ内に様々な確執があった事は疑う余地もありません。
実際、結成時からのリーダーだったフローレンス・バラードが1967年に脱退すると、増長(?)した彼女の提案によってグループ名は「ダイアナ・ロスとシュープリームス」に変えられるのですが、さりとて世に出た楽曲の素晴らしさは普遍に続くのですから、いやはやなんとも……。
例えば本日ご紹介のシングル曲「ひとりぼっちのシンフォニー / I Hear A Symphony」は、まさに全盛期だった1965年秋の大ヒットで、もちろんチャート1位に輝くのも当然の完成度は圧巻♪♪~♪
まずヴァイブラフォンとドラムスがメインで作られるイントロの幻想的なムードが既成の黒人R&Bとは一線を画す、実にお洒落な音楽性を感じさせるんですよねぇ~♪ 時代的には白人のサイケデリックポップなんてものが未だ現実性の無かった頃ですし、バート・バカラックやブライアン・ウィルソンだって、ここまでのサウンドは想起出来ていなかった事を含めて、全く進み過ぎじゃないかと思うばかりです。
そして全体の曲の構成が、ミディアムテンポの強いビートを基本としたソフトロック調なのも驚くべき事じゃないでしょうか。複雑に絡み合うリードボーカルとコーラスワークのリズムの取り方とか、夢見るようなメロディの展開も素晴らしく、さらに間奏を演じる不思議に野暮ったいバリトンサックスは、意図的に狙ったコントラストの妙なんでしょうか?
とにかくミステリアスで粋な名曲名唱の決定版だと思います。
ちなみに所謂モータウンサウンドに対する個人的な見解としては、黒人R&Bというよりもポップミュージックであって、歴史的な流れの中ではフィル・スペクターが作り出し、流行させた白人向けR&Bの逆輸入というか、非常にジャズっぽくもあり、また強い黒人ビートを出しながら、実はサウンドの彩りがクラシック音楽の影響も否定しきれない白っぽさに感じるのです。
ご存じのとおり、前述したフィル・スペクターの作り出した所謂スペクターサウンドは、分厚いバックの演奏パートに少しばかり引っ込んだミックスの歌唱という、ある意味では作為に満ちたところから浮かび上がる素敵なメロディというキモが特徴的だと思うんですが、それをモータウンサウンドは、さらにジャジーに発展させた部分があって、それこそがお洒落な雰囲気の源じゃないでしょうか。
ですから分厚い演奏パートの存在は言わずもがな、ボーカル&コーラスには黒人R&Bやブルースの衝動よりもモダンジャズやロックのフィーリングが必要とされ、例えばマービン・ゲイがポピュラーなジャズシンガーの如き素養を持っていたのも当然のような気がします。
ということで、モータウンサウンドについては書き尽くせないほどの思い入れがあるんですが、それは既に述べたとおり、サイケおやじの後追い鑑賞による独善ですから、ご容赦下さいませ。
そんな事よりも、まずは聴くという基本姿勢があってこそ、モータウンだって充分に楽しめるはずです。
その意味で、実はシュープリームスが苦手なサイケおやじ……。
だって、グループ名の意味がストレートじゃ無いし、大好きなザ・シュークリームとの紛らわしさとか、何よりも、お洒落過ぎて、黒人音楽特有の粘っこい節回しやシンコペイトされたビートの楽しみが薄いんですよねぇ。
まあ、そうしたポイントが1960年代のアメリカ白人社会にはウケたんでしょうし、そこが制作側の狙いでもあったのでしょう。
ですから、もっと泥臭いものを好む日本人の感性には、それが黒人音楽として売られる事に違和感があったのかもしれません。
当然ながらサイケおやじも、そのひとりとして、白人が黒人音楽を搾取して作ったロックへ先に耳が向かったのも当然だったと思っています。