真澄は生涯独身だったが、女性に興味が無かったわけでもない。海辺の宿に泊まると、遊女の話が出て来る。象潟に泊まった日は雨だった。
障子の向こうで女が盃を取り酔い泣きして、つまらぬ戯言(ざれごと)を言っているのは「髪長(かみなが)」といって、この磯の遊女である。また人にかくれて夜更けに戸を叩き、訪れるものがある。これを「こもかむり」といい、また「なべ」という一夜妻もあると、相宿の旅人が集まってむつまじく語り合った。<秋田のかりね>より
司馬遼太郎は秋田県散歩の中で「奈良家で(菅江真澄が)那珂道博に会ったことは、世界の民俗学上の一事件と言っていい」と書いている。那珂道博は江戸にいる佐竹義和に領内の状況報告を命じられたが文章に自信がなく、菅江真澄に添削を請うていた。真澄はせっせと奈良家で添削に勤しんでいたのだ。そういう縁で殿様に謁見することになった。真澄は「頭巾のままでよろしいでしょうか」と聞いた。権力が嫌いな真澄も佐竹公には心を許した。それまでの全著作を秋田藩校明徳館に寄付し、おかげで博物館へ行けば我々も見られるというわけだ。
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