松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

ホモだった時代がある

2018-09-27 05:02:23 | 日記・エッセイ・コラム
 新潮45という雑誌は、見たこともない。だから廃刊になっても痛くない。しかし言論の場が狭められることは、危ない兆候だ。
 さて白状するが、とっても若い頃、男が好きだった時代がある。男も、だろうな。両方だったのかも知れない。


 それは大概の人間が通過する儀礼だと思っている。そうやって健全な志向に向かっていく。
 LGBTが何を意味するか知らない。どれがどれか知らない。知らなくていいと思っている。
 人間がムラを形成して持続するためには、LGBTは不要だ。それを非生産的と言ってしまうのは、短絡的だ。
 人間は生まないが、知的生産はする。


 赤ん坊が育つ時、ひとつの胚から分かれて、先祖の進化をなぞりながら人間の形になると聞いた。
 LGBTは進化の途中だと思っている。そこで止まった者が、自由を叫んでいるんだと思っている。
 オカマの話は面白い。それは人生経験からくるものだろう。普通の人が経験出来ないことを経てきているからね。
 だがその人が家に帰れば、夜はどういうことをしているか、考えるのは苦痛だ。それが無ければ、テレビに出て自由に発言することを許すことができる。 普通の人間は、そんな風に考えるんじゃないかな。違うかい。


 ps. 人間は遺伝子のための乗り物に過ぎないという解釈がある。
    彼らは、このロジックに果敢に挑戦しているんだね。

     

 
コメント
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