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博多→大阪 サイコロの旅5・落穂拾い編 第3夜

2021-07-17 23:51:30 | 旅行・イベント記
2020年11月1日(日)14時27分
鳥取県八頭郡智頭町 智頭急行恋山形駅
津山駅から鳥取駅へ向かう途中、智頭急行の普通列車に乗りました。その時停まったのが「恋山形駅」です。全国津々浦々に存在する縁結び駅のひとつで、智頭急行も数年前にこの駅を全身ピンク色に改装して縁結びアピールを全面に打ち出しています。
さらに土休日は、ここに止まる列車のうち1往復は25分間のバカ停をして列車で駅を訪ねやすいようにしています(この駅に来る人のほとんどは自動車でしょう)。我々の乗った列車はちょうどそれに当たったのでした。
色恋沙汰に縁遠い人生を送ってきたわけですが、バカ停されると降りざるを得ないわけで、いざ外へ出たのです。


ここが恋山形駅縁結びスポットの爆心地だ。
ハート型の絵馬を買ってこの社に吊り下げると恋が叶うらしいよ。屋根からぶら下がっている鐘を鳴らすと効果倍増。


駅名標もクソデカハート型。距離が取れなくて端が見切れるっていうね。


智頭急行の鉄道むすめ、宮本えりお嬢がおりました。初出時は結構人気あった記憶。制服がスカートだからなのもあるか?


めっちゃピンク。
無人駅で、駅舎もありませぬ。駅の至近に集落があるわけでもないので普段の乗降人数は一桁台だそうな。
ここは智頭町の山形集落の近くにあるんですが、「山形に来い」という意味を込めて「恋山形」になったそうです。来いが恋になった経緯はざっと探しても見当たらないですね。当て字かな?


恋ポストなる郵便ポスト。普通の丸ポストに見えて、なんだか微妙に形が違いますね。"帽子"のような形状がないです。
いわゆる丸型ポストというのは1949(昭和24)年から設置が始まった郵便差出箱1号丸型というやつです。それ以外の局地型の変わり種か、戦前からの生き残りなのか、あるいは恋ポスト設置に際して作り起こされた新品なのか。
ちなみにこれは智頭急行私設のポストで、郵便局の管轄する郵便ポストではありませぬ。
ここに投函した郵便物は限定の風景印を押されて配送されます。


小屋と自動販売機が設置されています。たぶん以前は駅のホームだけの簡素な無人駅だったと思いますが、ラブリーピンク作戦の一環で置かれるようになったのかも知れません。
飲み物を売っているのはきっとついでで、この自販機の本命は右上にある絵馬です。1枚430円也。あとは駅名標のキーホルダーも売っていますね。


宮本えりおの絵が全身ぶち抜きで描かれています。これは貴重なMATSUDA98絵です。両手に何か持っているような恰好なので汎用性が高く、色々な場所で色々なものを持った姿を見かけることができます。

恋山形駅はここまで。


2020年11月1日(日)15時46分
鳥取県鳥取市 JR鳥取駅
所変わって鳥取駅。「因幡の麒麟獅子舞」 というすげー面白い石像がありんぬ。この獅子舞は2人で演じるもので、前の人が被っている獅子の頭はご立派。


で、こいつだ。
何だお前。お尻から顔だけ出して。顔の前にある棒みたいなのは何なの。笑わしに来てるよね。


真顔なのがむかつく~。


オデコとアゴがちゃんと抜けているところがグッド。


後ろを見るとその面白ぶりとは裏腹にきつい体勢を取っているのが分かります。ガニ股で立っているし、腕もたぶん肘まで伸ばしているんでしょう。


石像の上に座りたいどころか寝そべってみたいくらいです、この広さ。酔っ払いが寝ていたなんてことは過去に何回かあったんじゃないか?
サイコロの旅で見てきた銅像石像の中でこれが一等賞でした。おめでとう。

これで2日目終了。


2020年11月2日(月)9時3分
徳島県徳島市 JR徳島駅
最終日の朝、雨の徳島駅。
留置線にはこの後特急「うずしお」8号になる2600系が待機中です。JR四国の次世代気動車特急として活躍が約束されているかと思ったら、空気ばねを使った車体傾斜装置は土讃線の線路事情には適応できないということが分かり、その座から転落してしまった悲運の気動車。数台造られただけで製造は打ち切られてしまいました。それでも今は車体傾斜装置でも問題なく走れるという高徳線でブイブイいわせてます。
振り子装置を採用して主力の座を射止めた2700系とは車体断面と塗装が少し違っていて、なんだか穏やかな印象を持ちます。


徳島駅は、駅の構内に車両基地が併設されている駅です。駅にいながら車両基地で寝ている車両や入換の様子を見ることができてとても楽しいです。かつて四国には徳島駅の他にも高知駅と松山駅も同様の配線をしていましたが、どちらも駅の高架化により郊外に移転されてしまい過去のものです。
しかし徳島駅も高架化事業の話が進んでいるみたいで、まだ具体的な完了時期は未定なものの計画はいずれ実行される模様。この光景もいずれ過去帳入りすると思います。


1200形と1500形は出払っているみたいで、キハ40系だらけですね。四国キハ40系の最後の楽園です。


UZUSHIO
いつの間にか四国で勢力を広げているJR四国の放った妖精「すまいるえきちゃん」「れっちゃくん」。かわいさ全振りです。これがJR公式ゆるきゃらなのだ。ちなみに私は結構好き。ファンといっていい。


1200形の2両編成。車体の緑はすだちの色を表しているらしい、たぶん、知らんけど。
なお徳島県内ですだちとかぼすを間違えると鳴門の渦潮の中に放り込まれてわかめの養分にされるぞ、知らんけど。


2600系のヘッドマーク。8600系ともども今どき珍しくヘッドマーク付きなのがなんとも嬉しい。しかしフルカラーLEDにしてやるほどのお金は無かったのかも知れない・・・。でも視認性は意外と高いですけどね。


連結面のステッカー。2700系とは違うものです。


高松駅にて。いつ見ても体格差すげえなコンビでした。

これで最終日も終了。
というところで今日はここまで。次回から自動車博物館編です。


第4夜へ→

北陸project ~Hokuriku Master Side M. その28【2018/4/28~5/3】

2021-07-14 21:34:00 | 旅行・イベント記
2018年5月4日(木・祝)7時46分
京都府舞鶴市 舞鶴市内
ゴールデンウィークの旅行もこれで6日目です。ZBSとは昨日のうちに別れたので、今日は単独行動です。
昨日は舞鶴に泊まったはいいもののその後どうするかは直前まで決めていませんでした。結局京都市内に出て電車を乗り継ぐことにしました。だったら昨日のうちに京都市まで出てもよかったかも知れませんけどね。でも今の京都市内のホテルはどこも値段が高そうだ。
朝ごはんも食べずに7時半にはホテルを後にするようにして、東舞鶴駅へ歩いていきます。その途中にあったのは、八千代会館という映画館。昔ながらの映画館という感じです。静岡市にもかつてはこういう映画館が何軒か並んでましたけど、みんな解体されてしまったなと少し思い出しました。


こういう掲出も懐かしみが。
この頃は名探偵コナンゼロの執行人が絶賛上映中でした。これは面白かったね。土休日は朝8時から上映開始って初めて見たな。舞鶴市民の朝は早い。
昔の映画館って入れ替え制じゃなかったのでその気になれば1回分のチケットで何周も観れたんですよね。今はそんな放漫経営できんでしょうから、昔からの映画館でも入れ替え制になっていると思いますけど。


東舞鶴駅へ着きました。今日もどんよりとした天気です。京都市へ行けば好転することを期待しよう。


難波行の京都交通の高速バスが出発準備をしていました。ふそう・エアロエース(#806)でした。後ろには続行でいすゞ・ガーラもいました。



東舞鶴駅からは特急に乗るので、入場前に特急券を購入しました。乗車券は、金沢~静岡通しの切符を使います。
この乗車券を買う時、途中で敦賀~小浜線・舞鶴線・山陰本線~京都という経由をするのを説明しても駅員氏が初め理解してくれなかったですが、まあそりゃそうだよなって感じでした。長距離乗車券の途中下車制度って、一筆書きの周遊旅行的な使い方を想定した制度設計では本来ないと思うんですけどね。それでも制度上は問題ないし運賃も安いので利用させてもらう。


ホームの端で福知山から送り込まれてきたと思われる287系を迎撃。485系の正常進化系みたいな顔つきが良いですが、いささかあっさりしすぎなきらいもあります。ヘッドマークを付けてほしかった。


第30走者:舞鶴線・山陰本線特急「まいづる」4号京都行(287系)東舞鶴8:24→京都10:07
始発駅だからとケチって自由席車を選びました。しかし駅の端で電車を撮ったということは乗車待ち列から棄権することを意味します。電車が来る直前になるとそこそこ人が並んでいてちょっと心配になりましたが、結局無事に窓側の席に座ることができました。
乗車中は妙に落ち着かなかったんですが、思い出してみるとJR西日本の特急電車に乗ったのはこれが初めてなんじゃないかと思います(国鉄型と気動車特急には乗ったことあり)。


同日10時10分
京都府京都市下京区 JR京都駅
はい京都駅。


乗り方と路線図がよく分からないのと道路渋滞ですごい遅れそうというイメージしか無いのであんまり乗りたいなと思わない京都市交通局のバス。これは日野・ブルーリボンシティハイブリッド(#2663)でした。
この後は地下鉄烏丸線に乗ります。


第31走者:京都市営地下鉄烏丸線国際会館行(3220系)京都10:43→三条10:48
第32走者:京都市営地下鉄東西線六地蔵行(50系)烏丸御池10:53→三条京阪10:56
三条駅の壁に描かれていた電車の絵。こんな電車いたか?とおもいましたが、京都美術工芸大学の学生の作品のようですね。


第33走者:京阪鴨東線臨時快特「洛楽」出町柳行(3000系)三条11:08→出町柳11:11
三条からは京阪電車に乗り換え。たまたま、最近登場した臨時の観光列車「洛楽」に当たりました。イカスヘッドマークを付けていて素敵。LED画面のヘッドマークなのを活かして動いたり光ったりするらしいです。


同日11時17分
京都府京都市左京区 叡山電鉄出町柳駅
出町柳駅からは叡山電鉄に乗り換えます。この後の動きは、鞍馬山を登って降りてきて、次は比叡山に登って滋賀県側に抜けていくというものです。叡電をフル活用させてもらいます。


叡電の観光列車「きらら」と漫画雑誌「まんがタイムきらら」と名前が同じという理由で近年はやたらきらら作品とコラボしまくっている叡山電鉄です。ただこれは、「けいおん!」の劇中に叡山電鉄が登場した繋がりでコラボしたら好評だったから、この先もオタクを引き寄せるためにどうにか「きらら」繋がりでこじつけたんだと個人的には思っています・・・。
この時は「NEW GAME!」の等身大パネルが置いてありました。頑張るぞいで全国的に知られる主人公の涼風青葉がおりました。


この前テレビアニメが放送されたばかりの「ゆるキャン」の各務ヶ原なでしこパネルもありました。叡電とのコラボパネルになってますけど、なでしこの絵自体は汎用ですかね、これ。



なでしこの奥の掲示板を見てみると・・・。スタンプラリーをやっているんだそうな!集めるのは簡単そうなので乗っかることに。


スタンプ台紙をもらいました。ひとつ目は出町柳駅で押せるので、実質2箇所行けば完了ですな。残りは修学院駅と鞍馬駅です。


さらにちょうどゆるキャンヘッドマークを付けた700系も停まっていました。


本栖湖と富士山が背景のキービジュアルの絵柄でした。


戸袋にもフィルムが貼られていました。


ドアの注意喚起ステッカーにも。これは斉藤恵那です。他の扉にも各キャラが貼られているんでしょうな。


第34走者:叡山電鉄鞍馬線「きらら」鞍馬行(900系)出町柳11:30→鞍馬12:01
次の鞍馬行の電車はちょうど900系「きらら」でした。鞍馬線用の観光列車で、天地を拡大した大きな窓が特徴です。それでいながら直線的で角張った車体が電車然としていて良いです。


車内は1+2列のクロスシートです。2列シートの一部は伊豆急行の「リゾート21」のように席が窓の外を向いています。沿線の紅葉の車窓を堪能できる作りになっています。
私はボッチなのでおとなしく1列席に座りました。


途中の車窓はこんな感じ。この時期は新緑の紅葉の葉です。秋に乗ってみたいものですが、混雑もすごそうで、立ち乗りになったら外が見えないんじゃないかと思い躊躇します。

というところで今日はここまで。


その29へ→

北陸project ~Hokuriku Master Side M. その27【2018/4/28~5/3】

2021-07-11 21:31:22 | 旅行・イベント記
2018年5月2日(水)15時29分
京都府福知山市 某所
加悦SL広場から撤収して、豊岡駅方面へ向かいます。ZBSを駅へ捨てていくためです。
その途中の通り道と言うか少し遠回りして寄ったのが、阪急2800系の静態保存車です。国道沿いにあります。
ネットに転がっている写真を見てみると塗装が傷んでいるのですが、今日は雨だったので濡れた車体がそれを隠してくれました。


同日16時33分
兵庫県但馬市 但馬空港
阪急電車からさらに車を走らせること1時間。着いたのは豊岡駅じゃなくて但馬空港でした。まだもう1箇所くらい寄り道できる時間があったものでね。
但馬空港というのは実は通称で、正式名称は但馬飛行場。その慎ましやかな名前から察せるとおり、小さな空港、もとい飛行場です。滑走路は1,200mが1本です。これだとたぶんプロペラの小型旅客機しか離着陸できんと思う。
路線は但馬~伊丹線が1日2往復だけです。しかも朝と夕方しか飛んでこないので、今の時間では何もいないっていう・・・。
空港の建物に「羽田まで2時間!」と書いてありますけど、あれ羽田線就航を目指すためのスローガンみたいなものです。誤認表示にならないのかあれ。


建物の隣を見てみれば、飛行機が静態保存されているじゃないですか!あ、これは知らなかったですね。


日本航空機製造YS-11A-500R (JA8734)です。御存知今の所唯一の日本製旅客機です。でもこの肩書は今後も長い間続きそうね。


JA8734はエアーニッポンの機材でした。塗装を見ての通りANAグループの航空会社で、国内ローカル線担当でした。
機材の退役後1999(平成11)年12月に但馬空港まで自力で飛行してやってきた後にここで保存されたそうな。
アメリカじゃそういう事はよく聞きますが、日本だと同じような事例は少ないんじゃないかしら(自衛隊機はともかく)。


ロールスロイス・ダートMk543-10Kターボプロップエンジンですね。


本邦、YS-11の保存に手を焼くようなこともある状態なので、よく20年間も保存を維持しているものだと思います。
双発ターボプロップ機といっても、置物としてみたら大きい方ですからね。


尾翼。





なんともう1機いました。エアロコマンダー680FL (JA5197)です。日本の保存航空機の中では意外と複数機が現存しているエアロコマンダーです。
680FL型は、シリーズの決定版680F型の胴体を延長して10人乗りのコミューター機としたものです。680FL型を導入したのはこの共立航空の1機だけで、それがここに保存されているというわけです。
ただ共立航空の機材ということで旅客機ではなくて航空写真の撮影用として使われていました。なお共立航空は中古機として購入していて、新造時はアメリカの個人が所有していたそうな。1998(平成10)年9月に退役して、やはり自力飛行して但馬空港までやって来ました。


言われてみると確かに今まで見てきたエアロコマンダーよりも胴体が長い気がする。


これは川崎重工が開発した兵庫県の極秘戦略兵器「はばタン」の試作2号機(1号機は現在も六甲山の大深度地下基地に配備されているという噂がある)です。マッハ5で巡航飛行することができ、15Gまでの高機動も可能。
無尾翼かつ前進翼という独創的な翼配置で、胴体のリフティングボディのおかげで超音速時でも揚力を生み出しています。黄色い塗装はステルス性が高く、機首にある目のような銃口から発射する2門のレーザー光線により遠くの対象物も一瞬のうちに破壊できます。コックピットは見当たらないので遠隔操作する無人航空機だと推測できます。
2006(平成18)年に試作機2機が製作され、ゆくゆくは紛争中の大阪民国に対する戦略兵器としての活躍に期待が掛けられていましたが、神戸空港の経営不振に足を引っ張られる形で予算が凍結されて開発中止になりました。


ターミナルビルの中へ。ここも相応の小ささですね。


天井に謎の水上機が。説明板によれば三菱MC-1型なんだそうな。乗員2名、乗客5名乗りの旅客機です。
1928(昭和3)年に製作されて、初めは陸上機として航空会社の定期便に使われていました。その後1931(昭和6)年に水上機に改造されて日本海航空の定期便と遊覧飛行に使われるようになりました。

日本海航空は1931(昭和6)年設立の城崎を拠点にした航空会社です。これは1925(大正14)年に発生した北但馬地震に対する復興策の側面がありました。創業時に購入した航空機がこのMC-1で、城崎1号という名前を付けていました。
初めは天橋立への遊覧飛行を事業にしていましたが、翌年には定期路線事業へ進出、城崎~天橋立線を皮切りに鳥取、大阪、松江へも進出。機材数は5機に増えました。
日本海航空はこのまま拡大を続けるかと思いきや、強制イベント日中戦争と太平洋戦争により統制が強くなり1938(昭和13)年に飛行中止に。最終的には1940(昭和15)年に会社解散となってしまいました。悲しい最後だ。
しかし事業をしている間の人身事故は0件で、黎明期の民間航空事業としては誇るべき数字だと思います。


この機体の出自については空港内では何も説明を見つけられませんでしたが、まあ機体の製造時期から見て十中八九レプリカだと思います。とはいえよくできたもので、本物そっくりのように思えます。縮尺が原寸大なのかは比較対象が近くに無いのでなんともですが、7名乗りの飛行機にしては小さいような気がするので縮小を掛けているかも知れないです。
震災復興の町おこしのために飛行機で遊覧飛行するという考えをぶち上げたのは当時では奇想天外な考えだったのではないでしょうか。当時の航空産業はまだベンチャー事業のようなものでしたし。


2階からの方がよく見ることができました。操縦士は天井の席に座るのか。客室は胴体前方にありますね。そのすぐ前にエンジンがありにけり。


日本エアコミューターの新機材、ATR42-600が但馬空港にもやってくるそうな。ATRというと、某航空事故調査番組でよく墜落しているので、あんまり良いイメージが無い・・・。ただこの規模の小型プロペラ旅客機は事実上ATRの独占状態なので選択肢がないようなものなんですけどね。
ということは今就航しているサーブは退役してしまうのです。しかしさっきも書いたとおり時間が合わないので、無念の撤収です。

冷やかしのつもりで訪ねた但馬空港でしたが、実機やレプリカも飛行機が展示されているのが楽しい空港でした。意外と飛行機好きに嬉しいところです。


この後は豊岡駅へ行ってZBSを捨てていきました。ZBSがこの後乗った大阪行特急「はまかぜ」はデッキに立ち席が出る混雑でひどい目にあったらしい。
私はと言うと豊岡から舞鶴までレンタカーを返却しに戻ります。但馬地方の下路を2時間くらい走りました。楽しかったよ。で、無事時間内に返却完了。

歩いてホテルまで戻って荷物をおいた後に、ホテルの近くで夕飯を食べることに。昨日行きそびれたラーメン屋にしました。


ラーメン餃子炒飯セットにしました。豚骨醤油的ラーメンでおいしゅうございました。

この日はこれで終了。明日はついに最終日です。


その28へ→

博多→大阪 サイコロの旅5・落穂拾い編 第2夜

2021-07-04 20:15:54 | 旅行・イベント記
2020年11月1日(日)8時10分
山口県山口市 JR新山口駅
2日目の朝、新山口駅からのスタートです。駅前のモニュメントのひとつがD51の動輪を使った碑です。
山陽新幹線開通記念の碑で、1975(昭和50)年に建てられたんだと思います。石板には小郡駅とか日本国有鉄道とか、当時を感じさせる言葉が連なっていました。
動輪はD51形797号機のもの。当機の経歴も簡単に記載されていました。ロッドの位置が下にあるのが高得点です。


2020年11月1日(日)11時18分
岡山県津山市 JR津山駅
駅前で静態保存されているC11形180号機の後ろ姿はこんな感じ。


本編ではばっさりカットした「津山まなびの鉄道館」を取り上げようと思います。旧津山機関区の跡地を転用したところで、転車台と扇形車庫と13台の鉄道車両が保存されています。


キハ33形1001号。余った50系客車にエンジンと運転台を載せて気動車化したもの。ただし2台しか造られませんでした。なぜか中間車のオハ50を種車にして改造したので改造費が高く付いたのと、明確な基本概念がないまま改造したような中途半端な仕様に仕上がって使い所がなかったのが要因かなと。同じ思想で改造されたJR北海道キハ141系と比べると基本概念から前面のデザインまで、やる気が低かったように思え、なるべくしてなったような印象を持っています。いや知らんけど。


側面はLE-CarやNDCみたいなかんじか?


転車台にいたDF50形18号機。日本初の本線用ディーゼル機関車です。ディーゼル発電機で発電した電力でモーターを駆動させて走行する電気式ディーゼルを採用しています。見た目は電気機関車寄りの箱型車体ですし。
しかし技術面と価格面で不利だったので蒸気機関車を置き換えるには至らず、それはDD51形の登場を待つことになります。ついでにDF50形もそれに置き換えられました・・・。


キハ58形563号。急行用気動車の代表格で、こと中国地方では縦横無尽に線路を走り回っていたのでこの地方の人達にとっては馴染み深いんだと思います。
しかし非電化ローカル線の急行列車は時代が下るにつれて真っ先に廃止されてきたので、私はひとつも馴染みがないんですなぁ。


キハ181形12号。非電化勾配区間用の特急型気動車ですな。貫通扉付きながら特急型らしい精悍さも持ち合わせた秀逸なデザインなので好きなのですよ。
これは「はまかぜ」で使われていた個体です。


キハ28形2329号。キハ58系列のひとつで、キハ58形が2エンジン車なのに対してキハ28形は1エンジン車です。


キハ52形115号。キハ20系の勾配区間用の2エンジン車です。後継のキハ40系に勾配区間用の車両が製造されなかったこともあって、キハ52はJRになっても生き残り続けました。最後に残ったのがこの個体が走っていた大糸線で、10年前の鉄オタ共の格好のネタになっていましたね。
大糸線キハ52の後継はキハ120なんですが、なんだキハ120でも走れるんじゃんどうしてキハ52が残り続けたんだろうと不思議に思います。


D51形2号機。見ての通り津山まなびの鉄道館の収蔵車両は内燃動車ばかりという渋い選定をしていて、このデゴイチは館内唯一の蒸気機関車です。なお電車は1台もいません。
いわゆる「ナメクジ」で、ちょっと旅客型機関車っぽいデゴイチらしくない外観が特徴。


DD13形638号機。入換用ディーゼル機関車ですな。蒸気機関車を置き換えてかつてはそこら中のヤードで見られましたが、意外と保存機は4機だけ。


DD15形30号機。DD13形にラッセルヘッドを取り付けて除雪機関車に仕立てたやつと見ればよいです。ラッセルヘッドには車輪が無くて機関車に取り付ける形を取っているので、奥に機関車本体もいるんですが見えにくいっていうね。

というか、扇形車庫ってのは構造上入り口から車両全体を撮影するのが難しいです。特に車両が隣り合っている時なんてのはほぼ不可能ですね。それは構造上仕方ない部分があるので妥協できるにしても、見学者は車庫の中に立ち入ることができないので車両の側面は観察できないのです。実質的に前頭部しか見ることができないので、やってることはほとんどカットモデル博物館です。
これには結構がっかりで、側面もちゃんと見せてほしかったです。全国的に見て希少な保存車も収蔵しているのですし、もったいないなと思いました。


DD51形1187号機。御存知本線用ディーゼル機関車の代表格です。山陰地方で長いこと走っていた地元枠選手だった模様。


DE50形1号機。これは全国でここだけの激レア枠です。DD51の後継機としてDD51とDE10のいいとこ取りをして、かつリターダーという下り勾配走行時抑速用の補助ブレーキを搭載しているという性能でした。しかし生産需要が消えたので試作車の1号機が造られただけで終わってしまいました。使いにくかったと思いますがちゃっかり生き残っており博物館入りしています。


2,000馬力エンジンを積んでいるからか第1エンドのボンネットはでかめ。台車はDE10と同様で、3軸台車を履いていますね。車軸が5軸なのでDD51よりも車軸が軽いそうな。
・・・というふうに、側面から読み取れることも多いんですよ。車庫の中に入れるようにしてクレメンス。


DD16形304号機。ローカル線用のディーゼル機関車です。DD51用エンジン、DD13用台車、DE10用の各種パーツの設計を流用して造った寄せ集め感のある機関車です。なお登場時期が悪く、出てきた頃にはローカル線の貨物列車や客車列車は減ってきてたので仕事が少なかった模様。
300番台は除雪機関車の機能を付与したやつで、304号機は大糸線で使われていたものです。


で、あれがラッセルヘッドですね、きっと。あれを見せろ。表に出せよ。
このラッセルヘッド、全長がDD16本体と同じくらい長いので、機関車の付属品と言うよりキ100形のようにもはや別物の車両でしょうっていう威容を持っています。というのも、ローカル線に入れるように軸重を減らすために2軸ボギー台車を2つ履いたので、全長が延びてしまったのだ。
このラッセルヘッドはまだ見たことがないので、これまた残念でした。


敷地内から見ることのできる津山運転区の車庫。キハ40天国ですがな。



これにて津山まなびの鉄道館から撤収。


帰り際。
低い看板だなと・・・。


これまた低い消火栓の看板だなと・・・。


津山線のキハ47形。あと10年はいるだろうとはいえ、いずれは消えるので記録記録・・・ということで。

というところで今日はここまで。


第3夜へ→

博多→大阪 サイコロの旅5・落穂拾い編 第1夜

2021-07-03 23:32:05 | 旅行・イベント記
サイコロの旅5の落穂拾い編を書いていきます。いわば未公開シーン集で、尺やテンポの都合上本編からカットした写真を載せていきます。
初めは、同人誌にして即売会で売るのもアリかも知れないと思ったものの、よくよく考えてみれば急に同人誌で出されても手にとった人はわけわからんわけで、ブログ向けの内容だと思い直したわけです。
このブログの性質が、全世界公開している個人データベースみたいな側面も持ち合わせているので、本編カットされた写真も載せておいた方が後々役立つかもしれないです。
そういうわけで、あと数回お付き合いください。


2020年10月30日(金)13時36分
静岡県静岡市葵区 JR静岡駅前
時系列的には第1夜が始まる前の話です。静岡空港から飛行機で福岡空港まで飛んでいくわけですが、静岡空港までは静鉄バスに乗って行ったのです。バスが来るまでの待ち時間でバス車両を撮影しておりました。
で、待機場に停まっているアレは三菱ふそう・エアロエースです。しずてつはここ数年前までふそう車の発注が一切無くて干していた状態だったんですが、路線バス用のエアロスターを皮切りに続々とふそう車を入れるようになり、後に高速バス用のエアロエースも導入しました。
しずてつのエアロエースというのがまだ真新しくて珍しい存在ですが、あのエアロエースは全国初導入となった13列64席の詰め込み仕様の座席を備えているのです(通常は12列60席)。
前年開催されたイベントでもお披露目されていて、それの座席にも座ったことがあります。意外と悪くない印象でしたが、実際の運用で乗ったらどんなもんだろうと気にはなってました。空港行のリムジンバスがあれだといいようなよくないような・・・。
ちなみに、詰め込み仕様車両の外観的には旧貸切塗装であること(なぜか金帯が省略されているが)、前面前照灯周りに赤い隈取が塗られていることです。


ふそう・MP38エアロスターの通常塗装。通常塗装車を見たのはこれが初めてかな?


あっ。
おいマジか。


詰め込み君が来ました。本当にこれに乗るとは。


しかし悲しいかな空港線はガラガラなので座席の写真は撮り放題でした。本来の使途は、通勤時間帯の相良特急なので。
さて、この座席の性能を改めて確認すると、座席を1列分増やすために背もたれの厚さをとても薄くしています。さらにリクライニング機能もありません。しかしシートピッチは従来型と比べてむしろ2cm増えた54cmになっています。あとは座席とは直接関係ないですが、車内Wi-Fiと各席電源ポートを付けています。
座った印象は変わらずそんなに悪くないなというものです。ただ足を動かすには少し窮屈なような気がしました。じっと座っているのが苦手なのでそこが気になってしまいました。
総合的には、空港リムジンバスや相良特急のような乗車時間1~2時間くらいの路線で運行するなら気にはならないだろうという乗り心地でした。


静岡空港に着きました。ここから第1夜へ繋がります。



この後は第2夜まで飛びます。ここからは本編のネタバレが含まれます。まだ本編未読の人は先に第1夜から本編を読んでおくのをおすすめします。


2020年10月31日(土)10時26分
広島県広島市南区 広電広島駅前電停
駅着いてサイコロ振ってソッコーで退散した広島駅。なんか変な路面電車がいたのでついでに撮影していたのでした。
広電の5200形という最新型電車で、グリーンムーバーエイペックスという長たらしい名前が付いています。5100形を今風にするとこうなるんじゃ、という感じです。私はまだこの外観に慣れてません。


2020年10月31日(土)12時52分
山口県宇部市 JR宇部新川駅
新山口駅から宇部線を通って宇部駅へ行くっていうただの遠回りを強いられている途中。乗った宇部線の電車は全線走破じゃなくて途中の宇部新川駅で乗り換えるやつだったので、一瞬ホームへ降り立つことができました。
ここは車両基地もあるので、ホームから昼寝している電車を見ることができます。魔改造電車の123形も見れました。お元気そうで何より。
しかしそれにしてもまあ、翌年公開された「シン・エヴァンゲリオン」で宇部新川駅と105系その他諸々が出てくるとは思わなかったよ!そのうち行くかなぁとは思っています。


2020年10月31日(土)13時22分
山口県宇部市 JR宇部駅
宇部駅で山陰地方の目を出してしまったところ。電車が来るまで少し時間があるんで、駅前をふらふら。


地方の中規模駅といった感じ。ちゃんと有人駅です。


この規模の駅としては珍しく駅そば屋が営業しています。客入りも良さそう。この店があると知っていたら昼飯はここまで温存していたかも知れぬ。


駅前は割とガランと・・・。というのも宇部市の中心街は宇部新川駅の方なのでこちらは郊外寄りなんだとかで。



宇部市交通局のいすゞ・エルガミオLR。宇部市の路線バスは公営が運営しているんですな、知らなかったです。


同じく宇部市交通局の日野レインボーKR。公営だからでしょうかね、新車もちゃんと買うことができるようです。


2020年10月31日(土)14時8分
山口県山陽小野田市 JR厚狭駅
美祢線との乗換駅、厚狭駅です。これでも新幹線駅です。こだましか停まらないとは言えだ。駅舎が古めかしくていいぞ~。


典型的国鉄駅という具合で良いんですよ。


本編でも出てきたクソニートこと三年寝太郎。名前のセンスがギャグ漫画並み。


ご利益ありそうなものはもう何でもいいから祈り倒しておけという姿勢。いや気持ちは分かるんよ。


献眼をたたえる碑というもの。菊池歌寿さんという人が日本で初めて角膜移植を受けたのですが、氏は岩手県在住なので、はてなんで山口県に・・・。


駅前です。ふふふ、新幹線駅なんだぜ、ここ。某安中榛名と違って元々山陽本線があるところの駅ですから、うふふ・・・。


老舗っぽい駅前ビジネス旅館がいい雰囲気出しています。


船鉄バスの日野・レインボーHR。フロントのSentetSuっていうSの強調の仕方がちょっと気に食わない。tSuは変でしょう。


2020年10月31日(土)15時50分
山口県長門市 JR長門市駅
日本海側へ。JR西日本もついに新型電気式気動車でキハ40を置き換えると思ったんですが、どうやらそうじゃないみたいで肩透かしでした。あと10年は使うんだろうな。


広クチのキハ40系には、タイフォンカバーにゴム緩衝材が付いているのを発見しました。破損防止とか開きっぱなし防止とかですかね。ちょっと微笑ましい。まだまだ大切に使うんだなってのが伝わってきました(皮肉じゃないよ)

ここから新山口駅までは特になし。ということで今日はここまで。

第2夜へ→

北陸project ~Hokuriku Master Side M. その26【2018/4/28~5/3】

2021-07-01 06:27:02 | 旅行・イベント記
2018年5月2日(水)13時6分
京都府与謝郡与謝野町 加悦鉄道資料館
いよいよ雨に降られてしまいましたので、観光らしい観光はもうできなくなりました。あいにくこの地方には明るくないので代替案も浮かばず。無い知恵を絞り出して決めたのが、加悦SL広場へ行こうというものでした。
加悦方面へ車を走らせましたが、その前に加悦鉄道資料館へ寄り道しました。加悦SL広場とは直線距離で2kmくらい離れています。
加悦SL広場へは以前にも訪れたことがあるのですが、ここは初めて。以前の時は本数の少ない路線バスで訪れたので、ここを回る時間までは確保できなかったのです。
しかしこの日は休館日でした・・・。ツキがないなぁ。屋根のある資料館で少しは雨宿りできると思ったのですが。
この時の無念は2年後に果たされることになります(唐突な伏線)(しかし回収は何年後になるやら)


与謝野町役場加悦庁舎にもご挨拶。旧加悦駅の構内敷地を転用した施設です。


そして加悦SL広場へ到着。当時は閉園してしまうことになるとは露知らず。雨ですがゴールデンウィーク中だからでしょうか、そこそこ人の入りがありました。なお時期は外してしまいましたが、数日後には加悦SL広場まつりが開催されています。
その時の様子と言うか前回行った時の様子はこちらから。


昼飯は加悦SL広場内の食堂、カフェ蒸気屋で食べることにします。ここも広場本体より一足先に閉店してしまうとは心にも思っておらず・・・。なんだか書いていて寂しくなってしまう。


きのこペペロンチーノを食べました。蒸気屋のスパゲッティは量が多めかつ美味しいので好きでした。


食べ終えたところで園内へ入りましょう。入園料は変わらず安い金額で、倍取ってもいいんじゃって思えるものでした。
これはキハ10形18号。加悦鉄道末期の旅客車でした。もちろん国鉄からの払い下げ。


個人的な目玉車両その1のハブ3号。1889年ドイツ製。九州鉄道が購入したものです。
一部鉄道模型界隈でファンが着実に増えているいわゆるマッチ箱客車。


キハユニ51号。1936年日本車輌製。芸備鉄道が購入したものです。加悦鉄道特有かは存じませんが、加悦鉄道といえばこの前面に増設された荷台と少し明るめの朱色の塗装です。
なお、雨がしんしんと降っている中見学しているので、基本的に熱心に撮影する熱意は持ち合わせていません。


こんな天気でも車内に入れるのは救い。ここは復元された郵便室。


運転席は半室構造ですら無いです。
仕切りに貼られている紙には、てめー様の子供が車内を汚したり部品を壊したりしないように目を離さないでねという内容でした。そういう人は最近建てられたJR系の鉄道博物館に行かれるとよろしかと。


個人的には園内の車両の中でもとても趣深いハ10号。1925年大阪梅鉢鉄工所製。伊賀鉄道(もちろん現代の伊賀鉄道とは会社組織が異なるが経営していた路線は同じ)が発注したものの何の経緯なのか加悦鉄道が新車として譲り受けた、つまり新古車という鉄道業界ではたぶん珍しい客車です。
ダブルルーフの木造一般型木造客車というのがすばらしい。車体長13mなのも可愛らしい。


台車は、1880~1920年代のアメリカの貨車でよくよく見られるアーチバー台車にすごいそっくりです。年代的にはパクリというのも考えられますが、詳細不明でございます。
原始的な構造で、ボルトとナットで台枠を組み立てているという構造上、走行しているうちにボルトとナットが緩んで分解してしまう恐れがあるわけです。
こういう欠陥を持っていたので、本場アメリカでは1920年代頃から台枠を鋳造で一体成形してそれを克服したベッテンドルフ台車に取って代わられるのでした。と言っても当時の鋳造技術なんで、最初は亀裂が入ることもしばしば・・というおまけ付きですが。
アーチバー台車は戦前日本においても、鉄道省の制式台車としても採用されていましたが、戦後になるとこれまたベッテンドルフ台車に置き換えられて姿を消していったそうな。
そういうわけで、日本のアーチバー台車現存例として珍しい存在なのだ、というのを今夜は覚えてから寝てください。


梅鉢鉄工所の製造銘板。素直に梅の意匠を描くところが好き。


どこから見ても可愛らしい佇まいだ。二等/三等合造車なので2色の等級帯を一度に見れるのもお得度が高い。


Super Long Sheet.
まあ13m車だし合造車だしだけど。


変わってこっちはハ21号の車内。人間工学ガン無視の直角ボックスシートです。世が世なら無限列車の客車(原作の方)になんか似ていると持て囃されたかも知れない・・・。


こちらがハ21。1893年逓信省鉄道庁新橋工場製!ただしそれは台枠だけで、車体は1935年に新しく作り直されています。原型の車体は多扉車なので、時代にそぐわない部分もあったかも知れませぬ。なお新橋工場で造られた時の番号はハ4995号。ん?聞き覚えがあるな・・・。



DB201号。いわゆる森ブタという入換機です。森ブタはボンネットの素朴さが良いのだ。
動態保存機で、イベントの日は客車を連結して遊覧走行します。

関係ない話ですが、園内には遊具としてのミニ鉄道があるんですが、雨が降っていても乗りたい子供がいれば随時走ってくれるというのは良い眺めであると思いました。


加悦鉄道の面白黒人枠こと、キハ083号。気動車が足りないが客車はだだ余りしているという状況の国鉄で導き出された答えが、余っている客車にエンジンと運転台を搭載して気動車にしてしまえ、でした。
ただ、クソ重い61系客車に非力なエンジンを載せてしまったので、走行性能は低かったみたいです。加悦鉄道もどういうわけでこれを国鉄から譲り受けたのかしらん。小湊鐵道が中古のキハ40を買うみたいな感覚なのかな。
しかしおかげで国鉄の下では絶対に現存しなかっただろう珍車が現代に至るまで残ってしまいました。国鉄もこれを放出したのは失敗だったと思います。


推進軸とかそのまま残っていたんですね~という写真。


御存知2号機関車。1873年イギリスのロバート・スチーブンソン社製で、鉄道院が大阪~神戸間用に123号機として輸入したものです。つまり日本の鉄道史の中でも極初期に現れた蒸気機関車です。有名な1号機関車の2歳年下です。
周りにはカラーコーンのバリケードが置かれていました。どうやら再塗装をやっていたようで、機体は黒光りしてきれいでした。


ハ4995号です。さっき見たハ21の原型の車体がこれです。多扉コンパートメント室内式のイギリス式の車体です。マッチ箱客車といったらこれが基本スタイルじゃないかと思います。
上でも書いたように車体更新時に原型の車体は台枠から外されてしまいましたが、解体されずに倉庫として現存していたみたいで、復元時にはそれを活用しています。
台枠はハ20号のものを使っています。ハ20は元々ハ4999号でした。なので上はハ4995、下はハ4999です。鉄道院(鉄道省?)ではこういう場合、台枠の方の番号を採るはずなのでハ4999として展示するものじゃないか?とは思いました。


マッチ箱客車のマストアイテム、松葉スポーク車輪。


車内に座ってしばし過ごす。

というところで加悦SL広場を見学してきました。急に訪問したわけですがそれでもやっぱり楽しいところです。今見返してみても閉園してしまったのは残念だったなと思います。

というところで今日はここまで。


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北陸project ~Hokuriku Master Side M. その25【2018/4/28~5/3】

2021-06-27 23:56:35 | 旅行・イベント記
2018年5月2日(水)9時8分
京都府舞鶴市 舞鶴赤れんがパーク
5日目です。この日は京都丹後鉄道でも・・・と思っていたかは実はすでにあまり覚えていないんですが、なんとこの日の天気は一日雨。
まあ5日間連続で旅行していれば雨天に当たる日もありましょうな・・・。何にせよこの日の予定は一旦白紙です。


第29走者:オリックスレンタカー(ホンダ・GK系フィット)東舞鶴駅→豊岡駅→東舞鶴駅
で、レンタカーを借りることにしました。車だったら雨天の移動もへっちゃらだぜ、という。オリックスレンタカーでホンダ・フィットを借りました。しかし、金沢でもそうでしたけどオリックスの車はオーディオ類が貧弱なんだな・・・(ウォークマンをAUX接続できんかった)


港町には付き物の気さえする赤レンガ倉庫です。横浜のがいちばん有名だと思いますが、舞鶴のも知名度高めだと思います。


この時はまだ雨が降っていませんでした。ここを歩くのは2度目なので、ほう、へえ、という感じです。資材運搬用のトロッコ軌道があるのが個人的にはおすすめポイント。


前にはなかったオブジェクトです。現在は退役した後海上自衛隊の護衛艦「しらね」の主錨です。
「しらね」は10年くらい前に清水港で一般公開された時に乗船しています。記憶のある限りでは護衛艦に乗ったのはその時が初めてなので、少し思い入れがあります。


前回来た時は見逃していた貨車移動機。鉄道省が1932(昭和7)年に開発した初の国産ディーゼル機関車DB10形と説明書きには書かれていますが、どうやらそれそのものではないようだ、という見方が多いです。確かに形状が全く違います。
つまりいわゆる「何処の馬の骨とも知れない貨車移動機」(このネタももう死語だろう)なのです。塗装もなんだか嘘っぽい・・・。協三工業製の貨車移動機なのだろうなぁというのは想像がつきます。
しかし保存車といえど文字通り道具として扱われがちな貨車移動機としては破格の待遇での保存環境(空調付きの屋内保存だ)であり、機体自体の外観も非常に良好です。とても恵まれていると言えます。


ぜかましの看板・・・。いいんだ、これ。
なお肝心の配水池には行きませんでした。行ったとしても建物の中を入らないことには配水池の真価を見ることはできないので、成果は半分も獲れないでしょう。基本非公開ですがたまに特別公開することがあるようです。


護衛艦見学は大盛況。外から見るだけにしておきました。


次に旧中舞鶴駅跡の公園へ。ここには当地に配属されていたC58形113号機が静態保存されています。
ここは公式側のランボードを歩けるように歩廊が設置されています。キャブ側からランボードを抜けるとボイラーとデフレクターの間を潜って前方のデッキから地面に降りるようになっています。
ランボード上の構造もより見やすいようにというやさしさにも取れますし、”遊具”として上によじ登って遊ぶ子供が多いのでだったらいっそのこと・・・というようにも取れます。


炭水車。はしごには登れないようにトラロープが巻きつけられています。トラロープ自体には妨害力はほとんど無いですから、実際には炭水車によじ登ろうなどと努々考えるなよ?というサインでしょうな。日本人の信条は察しと思いやりよ、というセリフを想起させます。


少し分かりにくいですが非公式側のランボードには柵が追加設置されています。これはよじ登り対策でしょうなぁという物でして、やはり遊具にされていたんじゃ・・・という疑念が生まれました。


正面から。スノープロウがあると表情が締まりますね。
デフの留め具の形状がおかしいです。たぶん歩廊を作る際に通行の邪魔に思われて上へ逃したと思います。しかし非公式側までやることはなかったのでは。


保存蒸気機関車あるある、火室の中の砕石。キャブに入れる蒸気機関車は、多かれ少なかれ子供のいたずらでこういう状態になっていますが、ここのは多いと思います。


同日11時37分
京都府宮津市 京都丹後鉄道天橋立駅
舞鶴からどこに行こうかという話になったんですが、行くアテがないならまだ雨も降っていないし天橋立でも見ようやという話になりました。日本三景は制覇しておきたいしな。
そういうわけで、宮津市へ来ました。天橋立周辺は観光地化されています。車は近くの有料駐車場に停めます。

なんとなく京都丹後鉄道の天橋立駅へ。なんだか小綺麗だと思いましたが、数年前に改装したそうな。駅で時刻表を見てみると、ちょうど列車がやってくるのが分かったので駅はとっとと離脱して線路沿いへ移動。


幸い、駅を出て豊岡方面へ歩いていくとすぐに良さげな場所を見つけました。
来たのはKTR8000形特急「たんごリレー」4号福知山行です。
「丹後の海」として改装された姿を見たのは初めてです。塗装を見て察せる通り、これも水戸岡電車のひとつです。


んじゃあ天橋立観光と行きますか。天橋立は地平から見ても何も分からないので、山の上へ登ります。
この「天橋立ビューランド」からリフトに乗って山頂へ。なんだかここへきて今回の旅行で初めて観光地らしい観光地、A級観光地へ行っているぞ・・・!


スキー場のチェアリフトみたいなものに乗せられて山頂へ。久々に乗ったなこれ。しかし索道という括りに広げると、数日前に立山で乗ったばかりだ・・・。


ちなみに、並行路線として「スロープカー」という区分としてはモノレールのようなものが走っています。線路はやたら近代的ですが、単線な上にすれ違い設備も持たない上に走りがのろいので、輸送力ではチェアリフトに歯が立ちません。
不要不急路線ではという気もしますが、この後実は役立ちます(ここ伏線)


天気が悪い...!
まあ分かってたことだけどさ。これで日本三景のうち2つを攻略。残るは宮島です。
砂州が手前の方でグキッと折れながらこちら側の海岸へ接続していますが、そのすぐ左側から、砂州の根本のようなものが飛び出ています。あれが大昔は繋がっていたんじゃないかと勘ぐってしまいます。
河川のダム建設により川の土砂が海へ流れ出ていかなくなったことで地形の侵食が近年著しい、という砂浜観光地あるある問題を天橋立も抱えているそうです。


なおここはミニ遊園地にもなっています。天橋立が見れればそれで満足なのでは・・・?とは行かない人達もいるんですな。


弁慶号も走っています。これは古典鉄・明治鉄も心がほっこりするでしょう。とはいえ渋めのチョイスだと思います。
ちなみに、ついに雨が降ってきました。かなしい。


雨が降ってきたらもっと見えなくなったよ・・・。こうなるといよいよここに用はないので、とっとと麓に降ります。


雨がそこそこ降ってくるのでチェアリフトに乗っていたら麓に着く前にビチョ濡れになってしまう!(こんなこともあろうかと傘は持ってきていたが)
んで、そこで登場するのがこのスロープカーです。これ、1時間に3往復しか走らないどんくさい乗り物ですが、全天候型乗り物なので雨の時は躊躇せず使います(手のひらドリル
1本待ってれば乗れるような感じだったしね。人が並んで混む前にとっとと降りるぞ。


ガラス越しから見た天橋立。でもこの天気じゃ雨橋立だな、ガハハ。


到着。

というところで今日はここまで。


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博多→大阪 サイコロの旅5・Ex 最終夜

2021-06-20 22:22:00 | 旅行・イベント記
2020年11月3日(火・祝)12時52分
大阪府大阪市港区 ジーライオンミュージアム
天保山の近くにある赤レンガ倉庫を再利用したビンテージカーの展示場であるジーライオンミュージアムへ来ました。
入場料は1,000円しました。まあ妥当かなと思います。館内はなかなかの収蔵量で、細かく書いていくとまたキリが無くなってしまいますんでそれはまた後日ということで、ざっくり書いていきましょうか。


ワイでも知っている、ご存知トヨタ2000GT、の後期型。しかも2台もいるし。当時の物価でだいたいカローラ5~6台分するんで、まあ普通に超高級スポーツカーですな。


ビンテージもののアメ車がずらずらと並んでいます。ゴイスー。
フォードやキャディラックみたいな有名所はもちろんスチュードベーカーとかハドソンとか今は消えてしまったメーカーも色々。


たぶんフォード・モデルTT。うん、いいよねTT。


スチュードベーカー・アースキンモデル50。スチュードベーカーの乗用車は初めて見ましたん。


キャディがお好き?結構、ではますます好きになりますよ。キャディのオールドモデルです。
キャディラック・シリーズ61です。昔から押し出しの強いことよ。


フォード・デラックス。これは戦前型だと思いまする。この頃あたりから前照灯がボディに埋め込まれるようになりましたが、その頃のデザインの車はチョー美しいと思います。


ここからはイギリス車。イギリス車って昔は色々なメーカーがあったんだねっていうのは車の知識を得ていくと気づく点。
これは硬そうな車として私に知られるロールスロイス。たぶん25/30HP。マーリンエンジンでも積んでそう。


対戦車ロケット食らっても走り続けそうなやつら。ロールスロイス・ファントムVIです。


最後はドイツ車。
クソデカキドニーグリルが近頃話題のBMWですが、このBMW・328も大概デカイ。でもM3よりかよっぽどまとまっていると思いにけり。


BMW・503。
というかんじで1時間半くらいの滞在でした。蒐集したビンテージカーのコレクションを飾ってあるという感じのどちらかというとショールーム的な施設だと思いますが、車種がどれも珍しくて興味深いので行ってみた価値はありました。


ジーライオンミュージアム撤収後は、中央線で本町駅まで移動。近くの模型屋に寄って店内の陳列を物色してお買い物をした後、御堂筋線でなんば駅まで。


同日15時54分
大阪府大阪市中央区 近鉄大阪難波駅
なんば駅でコインロッカーに置いてあった荷物を回収して近鉄の乗り場へ。そろそろおうちへ帰ります。
帰りは名古屋までは近鉄特急に乗りますぜ。しかもこの近鉄最新鋭の対東海道新幹線用決戦兵器80000系「ひのとり」に乗りますぜ。
まだまだ新型車なのでみんな記念撮影しています。未来の電車博士(でんしゃ・はかせ)もちらほら。
パッと見ロマンスカーみたいじゃんとか言っちゃいけないんだろうな。


意気揚々と先頭車へ行ったけど乗車するのは最後尾の方だった・・・。
1枚窓の風防は、ヨーロッパの高速車両に似たものを感じます。運転席もほぼ中央に配置されていますしね。


「ひのとり」のロゴマーク。火の鳥って言うと手塚治虫のクソ鳥を思い出してちょっとアレな気分になるのがな。


で、乗るのは先頭と最後尾の号車に設定されているプレミアムシート車です。普通車との差額は700円だったのでどうせなら乗るかという感じ。


座席は1+2列並びです。1列席は全部埋まっていたので2列席へ。隣に人が来なかったのは幸い。
全席コンセント設置は当たり前、シートは本革でリクライニングとレッグ/ヘッドレストは電動式、読書灯付き、バックシェル構造だからいくら背もたれを寝かせても平気というスペック。
これはよきかなという座席でしたが、習慣的にこういう椅子に座りなれていないのでビミョーに落ち着かない感じでした。育ちが知れますわね、オホホのホ。

ちなみに「ひのとり」の特急列車は、特急料金にひのとり料金という加算料金が上乗せされています。この時はまだ在来のアーバンライナーも名阪甲特急に入っていたので棲み分けができていたかと思いますが、後に名阪甲特急は全てひのとりに置き換わりましたんで、実質的な特急料金値上げになっています。
私は旅行ついでにたまに乗る程度だからあんまり気にしませんけど、名阪甲特急の主要顧客であるところのビジネス客はあんまりいい顔しなさそうです。


デッキには有料のコーヒーマシンがありにけり。
左の壁は無料のロッカーが6部屋あります。交通系ICカードを鍵代わりにするっていう駅のコインロッカーでよくみるやつです。


コーヒーの他にはココアとオッ紅茶もあります。コーヒー200円、ココア150円、オッ紅茶100円。コーヒーは比較的高いなおい。日本茶系はタダで飲むものだという刷り込みがあるせいか、ないっすね。
軽食も一応売っていますが、栄養食品的なものしかないのでラインナップが微妙だ。コーヒーに合う焼き菓子系とかあればよかったのに。あとはひのとりキーホルダーとひのとりハンカチが売っていました。
車内販売は廃止、飲食物は乗車前に駅の売店で買え、というのが昨今の潮流になっています。無人販売とはいえ車内で飲食物が買えるのはせめてものことかもしれませぬ。というかこういう販売形態が落としどころじゃないかと思います。
コーヒーを買いまして、席でダラダラとしていました。あとはサイコロの旅の行程のまとめをメモ書きしていましたが、意外と揺れるのであまり進みませんでした。プレミアムシートは今どき珍しくハイデッカー構造なので、そのせいかな?


同日18時12分
愛知県名古屋市中村区 近鉄名古屋駅
無事名古屋駅到着。はやいぜぼくらの近鉄特急。次は普通車にも乗ってみよう。


エスカの中で夕飯。あんかけスパにしました。うまい。


最後は新幹線で静岡へ帰り着きました。

以上でサイコロの旅5・Ex編は終了です。
次回からは新連載、サイコロの旅5・落穂拾い編が始まります。お楽しみに。


落穂拾い編へ→

博多→大阪 サイコロの旅5・Ex 第4夜

2021-06-19 07:47:33 | 旅行・イベント記
2020年11月3日(火・祝)10時36分
大阪府大阪市浪速区 南海電鉄汐見橋駅 
汐見橋線の電車がやって来ました。2両編成の昔の電車がのたのたと走ってきます。
汐見橋線の運転本数は終日2本/時で、線内を走る電車も1編成だけですから、この複線設備は過剰なものと言えるんですがいまも維持されています。
線路の間隔とか路盤とかも微妙に広く取られているような気がします。
線路の左を走っている高架は阪神高速15号線です。


車両は南海2230系2232F。支線用の電車ですが元を遡れば高野線の大運転で使われていた元ズームカーです。


電車から降りてきたのは数人で慌ただしさはありません。
この電車に乗って岸里玉出駅まで行きます。道中もやはりのたのたとした走りでした。


南海本線と高野線との接続駅の岸里玉出駅に着きました。汐見橋線のホームは駅の隅っこに孤立したような形であります。
駅が高架化された際に高野線との線路は分断されてしまい、南海本線へのみ通じることができます。


現在は汐見橋駅方面から難波方面へと進路を変えている高野線ホームへ。不死身とまで言われた6000系がついに置き換えが始まるんだそうな、ということで見れたらラッキー程度で見に行くことに。
最初に来たのが6200系6519F区間急行林間田園都市。


30000系特急「こうや」。


6300系6301F各停金剛。6000系のマイナーチェンジ版でちょっと狙っているのと違いますがまあこれも後を追うでしょうしね。


泉北高速鉄道5000系5501F準急和泉中央。
なんば行の各停の電車が来たのでここで離脱。


天下茶屋駅で下車しますがその前にここでも電車撮影。
南海の最新鋭通勤電車、8300系8712F空港急行なんば。近畿車輛で造られてるアイツです。


南海50000系「ラピート」。何度見てもすげえ電車だと思いますが、関空に用がないので一生乗らないまま終わりそう。


6300系6312F準急和泉中央。


3000系3515F空港急行関西空港。あ、これ元泉北高速鉄道の電車ですね。おでこの車番とロゴマークの銘板の跡が残っています。
大手私鉄の子会社で廃車になった電車を親会社が譲り受けて運行するっていうのはまあ珍しいことだなと思います。

まだ6000系を見ていませんがどうやらしばらく来なさそうなので、今回は諦めて撤収します。


天下茶屋駅で大阪メトロ堺筋線に乗り換え。


同日11時59分
大阪府大阪市港区 大阪メトロ大阪港駅
堺筋本町で再びの中央線に乗り換えて大阪港駅で下車。ここらへんは自称日本一低い山の天保山があるところです。行きませんでしたけど・・・行けばよかったかな。
天保山は安治川の浚渫の時に発生した土砂を積み上げてできた築山です。確かに日本一低い山だった時期もありましたが、近年どこか別の山(忘れた)のほうが低いことが分かったので今は2番めに低い山です。でも大阪市を始め周りの人たちはしらばっくれている模様。


近くの韓国料理屋とらじで昼飯にします。大阪で韓国料理の組み合わせはなんだか鉄板な気がしますので・・・。
スンドゥブチゲ定食にしました。辛いだけじゃないのがいいですよね、美味しかったです。


駅の南側へ歩いていきます。
ぽつんと角地。


いい感じの集合住宅だと思いました。


今日の目的地その2、「ジーライオンミュージアム」です。輸入車の販売とビンテージカーの博物館をやっているところです。私は博物館目当て。
建物がレンガ倉庫を再利用したものになっているのがおしゃれ。


ここは特にアメ車が多い!これはたまらない場所かもしれないです。
これはシボレー・ベルエアーの1953~1957年に生産されていた初代モデルです。

というところで今日はここまで。

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博多→大阪 サイコロの旅5・Ex 第3夜

2021-06-16 22:56:46 | 旅行・イベント記
2020年11月3日(火・祝)9時14分
大阪府大阪市此花区 阪神電鉄西九条駅
駅メモをやる人とやらない人という方向性の違いにより福島駅で一行は解散となりました(私はやらない方)。
前も書きましたがこの日はサイコロの旅の予備日です。例えば昨日の最終日で鹿児島が終着地点だったとして、次の日は大阪まで復帰してこなければいけません。そういう事態になった時のための日でした。しかし実際は不本意ながら昨日の昼間にゴールしてしまったのでそれがまるっと宙に浮いてしまったわけです。

せっかく大阪都心で暇になってしまったので、ふらついてみることにします。
まずは福島駅から環状線で西九条駅へ行き、そこで阪神なんば線に乗り換えます。大阪難波駅まで行きますが、難波方面のホームは電車を撮るには絶好の場所なのを見つけたので、ついでに少し電車を撮影していきます。
写真は近鉄9820系9821F(EH21)区間準急大和西大寺。


阪神1000系1603F+1210F快速急行奈良。
都心で電車を駅撮りするのもなんだか随分ひさしぶりに感じますよ。


神戸方面もいい感じ。
阪神9000系9208F普通尼崎。でもやっぱりこの電車の色は巨人軍だわな・・・。


近鉄5820系5723F(DH03)普通東花園に乗って大阪難波駅へ。阪神なんば線に乗るのは初めてのこと。
西九条駅は高架駅である環状線の線路のさらに上を跨ぐように地上高14mの高さに線路が敷かれているそうな。大阪難波駅が地下駅なのは知っていましたから、ここから地下へ降りるのは大変そうだ・・・と思いながら発車しました。
すると周りは防音壁で囲まれていて景色も何もありません。途中で川を渡ると(たぶん安治川)、急に車内からでも認識できる急勾配でもって地下へ向けてどんどん高さを下げていきます。防音壁で外の様子が分からないままあっという間に地下へ潜ってしまい九条駅へと着いたのでした。
後で調べてみたら、地上区間は35‰、地下区間は40‰もあるんだそうで。波の地下鉄以上の勾配を持っていたんですか。いやこれ頑張りましたね・・・。
とまあ、たった1kmちょっとの区間でしたが濃密でした。


大阪難波駅で下車しました。ホームへ降りると反対に近鉄80000系「ひのとり」が停まっておられました。あれま、見れるとは思わなかったですぞ。


80000系80101F(HV01)特急「ひのとり」近鉄名古屋。
でかい、壁か?っていうのが第一印象です。意外と直線的ですしね。


最初は珍しいなぁ~と思っていましたけど、しばらく経たないうちに名阪特急の主力になってしまいました。特急車両への投資がすごい。
とりあえずいまは下見ということで。


80000系の発車を見てから次の行動へ移ろうと思っていたら、引退迫るスナックカーの回送が滑り込んできました。これは桜川駅の引き込み線で折り返した後に大阪難波始発の特急に入るので、待っていればまた姿を現すことになります。これ幸いとスナックカーが来るまで待機時間を延ばすことに。
しかし80000系の次に来たのは、近鉄特急と言うとやっぱりこの貫通扉の汎用型が思い浮かぶ、22000系特急賢島でした。


折り返してきた12200系がホームへ入ってきました。当時の近鉄特急の中では古株の電車でしたので接客設備も古く、いわゆるハズレ特急という認識でした。
ただ汎用型特急電車の塗装が塗り替えられていく中で12200系だけは旧塗装を堅持していたのもあって(どうせもう廃車になるからという理由だろうが)にわかに人気が高まりましたな。


単独でも撮影。
地味に汎用型特急電車による特急名古屋行も、2021年になると過去帳入りしてしまいました。
まだこの後もしまかぜとか伊勢志摩ライナーとかもやってきそうな感じなんですが、いつまでもここに留まるわけにもいかんのでここで離脱します。
一度改札を出た後、構内にあるコインロッカーにかばんを置いていった後に再度改札をくぐります。


阪神電車でひとつ隣の桜川駅へ。


桜川駅です。がらんがらんですやん。
ちなみに奈良や大阪からやってきた難波止まりの近鉄電車が折り返す時はここのすぐ隣りにある引き込み線までやってきます。大阪難波駅には折返し用の引き込み線を造れなかったのですかね。そもそも2面3線っていうのりば構成も、発着規模と乗降客数からいって小さいと思いますし、難波のあたりは地下といえど土地が少なかったのかなぁと想像します。


改札口。ガラッガラでした。難波の域内じゃない都心の空白地帯みたいなところなのか?平日仕事に来るところであって休日はそうでもないとか?


これが駅の入口。公衆トイレみたいな、そんな感じ。


同日10時33分
大阪府大阪市浪速区 南海汐見橋駅
で、目的地その1はここ。南海電鉄汐見橋駅です。よく都心の中のローカル線などと呼ばれる通称汐見橋線の始発駅です。本当は高野線の一部というか始発駅ですけど影が薄いのであんまりそういう認識は自分含めて持たれていないようです。


前はボロい駅舎だったみたいなんですが、私が来た時はなんとなく小綺麗になっていました。外壁塗り直しただけっぽいので建物時代の古さは隠しきれていませぬが。
ちょっとした観光地化しようとしているのかも。そうやって浄化しようとするのは個性を潰すようでなんか違うんじゃないのって気はしますが。


やたらにがらんどうな室内。一角に駅員の事務室があるだけ。駅の機能は実質的にはこの建物の片隅の小屋程度で済んでしまっているようです。
汐見橋駅の名物といえば改札口の上の壁に昭和30年代に製作された巨大な沿線観光案内図があったんですが、数年前に撤去され、細かく裁断された上で電車イベントで販売されてました。おお、なんてことを。


たったこれだけ。一応有人駅。
ただ塞がれた窓口っぽいものがありにけり。昔は高野鉄道の始発駅として賑わっていたのやもしれませぬ。


1面2線でまさにローカル電鉄の匂い漂う始発頭端式ホームです。


ホームから改札口を見る。


この空間が始発駅らしくて良いです。あれですあれ、旧新橋駅みたいなあれ。目張りしたガラスもいいですね。
ちなみにこの駅の開業は1900(明治33)年。この年でちょうど120周年で、ずいぶん歴史のある駅なのです。もしかしたら周年イベント企画が練られていたかもしれませんね。

というところで今日はここまで。

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