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九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その1

2023-08-10 05:52:48 | 旅行・イベント記
2018年9月19日(水)7時5分
静岡県牧之原市 富士山静岡空港
今回は夏の九州旅行5日間です。福岡県から鹿児島県まで、九州島を縦断します。
福岡県まではフジドリームエアラインズ(FDA)の飛行機でひとっ飛びで行きます。なんだかんだ行って飛行機で1時間強で博多まで行けるのは便利です。静岡空港の利用者数は長年伸び悩んでいるようですが、近くにこんな便利な交通機関があるのに利用しないのはもったいないと思います。


チェックインして保安検査場を過ぎます。地方空港は空港到着から搭乗までの動線が短く済むのが利点です。
確かこの頃から国内線出発ロビーが建て替えられたのでした。広くきれいになりました。



第1走者:フジドリームエアラインズJH141福岡(E175)静岡7:35→福岡9:30(20分早着)
これから乗る機材はエンブラエルE175 (JA07FJ) です。色はイエローです。


定刻に出発して離陸。


静岡あたりは雲が多かったです。


機内サービスの軽食です。軽食には通常お菓子が出されるのですが、朝方出発の便にはクロワッサンが提供されます。うれしいですね。


琵琶湖上空です。右下の湖が琵琶湖の端ですね。大津とか草津とかそのあたり。


もう福岡です。福岡市奈多あたりです。RWY16から着陸します。


無事着陸して誘導路を走行中。ANAのB767-300 (JA604A) とすれ違いました。スターウォーズのR2-D2特別塗装です。


駐機場に入ると隣にはまたJA604Aが。あれ、左右でデザインが違うんですか。こっちはBB-8です。
スターウォーズ飛行機はもう1機見ましたけど写真は撮れませんでした。
機材を降りて、バスに乗り換えて空港の建物まで移動します。定刻よりも20分も早く到着しました。ラッキーです。


史上最強の空港連絡鉄道、福岡市営地下鉄で博多の方へ出ます。新型車の305系がいたので一応程度に撮影。またいずれしっかりと撮影しておきたいですね。


第2走者:福岡市営地下鉄空港線筑前深江行(303系)福岡空港9:37→博多9:37
これに乗って博多駅まで移動します。希少なJR九州の303系でした。


博多駅のJR九州の券売機に直行して切符を受け取ります。すでにネット予約で手配済みでしたから、予約照会して受け取るだけです。
福岡市内から鹿児島中央までの乗車券が旅のお供です。後々乗ることになる特急列車等の切符も同時に受け取ります。


魅力的な特急列車の多いJR九州ですので、列車待ちの間に撮影をば。883系です。


こっちは787系。奥には885系もいます。


90年代前半の一部のJR特急車に見られる”肩幅”の広い車体断面が好きです。この787系もそうですね。前面は流線型ですが、真横から見ると傾斜は実はそんなに無いことが分かります。アムトラックのP42ジェネシスと似たような処理の仕方をしているのかなと思います。

というところで今日はここまで。


その2へ→







北陸project ~Hokuriku Master Side M. 最終回【2018/4/28~5/3】

2021-09-17 23:08:15 | 旅行・イベント記
2018年5月3日(木・祝)17時17分
滋賀県大津市 京阪電鉄 三井寺駅
比叡山の滋賀県側に降りてきた後は京都駅に戻るわけですが、まだ日が沈んでいないので石山坂本線でもうひと撮影していきます。そういうわけで三井寺駅で下車しました。


駅から石山寺駅方面へ歩きます。これは途中見つけた滋賀県大津市のマンホール蓋。


石山坂本線の三井寺~びわ湖浜大津の400mは、併用軌道となっていて沿線のハイライトのひとつです。
車道の幅は狭くてなんだか路地裏のような慎ましい併用軌道です。


併用軌道を往く京阪700形。石山坂本線は京阪電車の旧塗装が残る最後の路線でしたが、2017(平成29)年から現行塗装への塗替えが進んでいる最中だったので、それの記録も目的でした。


!!


700形の702Fが来ました!これは80形運行開始55周年を記念した80形を模した復刻塗装となっています。これを見れるとはラッキーです。
ハイエースとの対比も良いですね。ワンボックスの中では大きめのハイエースも電車と比べると小さいのだ。


電車単体でも。前パン電車は構図がカツカツになりがち。


びわ湖浜大津駅まで歩いてきました。すぐです。
以前は浜大津駅でしたがここに来る数ヶ月前にびわ湖浜大津駅に改称しました。


駅を発車する700形の新塗装も見れました。


第44走者:京阪京津線太秦天神川行(800系)びわ湖浜大津17:31→京阪山科17:44
びわ湖浜大津駅から京津線に乗ります。京津線の800系はだいぶ塗装変更が進んでいる印象でした。乗ったのも新塗装でしたしね。以前は独自の水色の塗装をしていましたが、統一感が出たようにも没個性的になったようにも感じます。
で、途中の京阪山科駅で降りました。隣接するJR山科駅で、帰りの新幹線の特急券と指定席券を予め買っておくためです。何時の新幹線で帰るのかはこの時まで決めていなかったんですが、目処が立ってきたので購入することにしました。
この後京都駅に戻ってきたときにも買うことはできますけど、コインロッカーに置いてある荷物の回収があることと、発車直前に駅に着く可能性もあることを考えるとここで予め買っておいた方が良いと判断しました。
ちなみにGW中の当日発券でも「ひかり」だったら余裕で指定席を取ることができました。


京阪山科駅にも石山ともか嬢の等身大ポップがありました。この立ち絵はかわいい~~~と当時は思いました。


第45走者:京都市営地下鉄東西線太秦天神川行(50系)山科17:55→蹴上18:00
蹴上駅で降ります。


琵琶湖疏水を見に来たわけです。琵琶湖疏水というのは、琵琶湖の湖水を京都市へ流すため1890(明治23)年に建設した水路です。引いてきた水は、水道水、発電用水、工業用水、あとは水路を活用した水運に使われてきました。
通り道なので寄ってみたわけですが、見どころが多い上に範囲も広いのですべて回りきることはできず。書くこともたくさんありそうなので、今日のところは軽く触るだけに留めておきます。


あの建物は日本初の営業用水力発電所の蹴上発電所です。



このあたりには、今はもう使われていない水運用のインクライン設備が残っています。
青い鉄骨の骨組みの構造体はインクラインの台車で、三十石船の復元模型が乗っかっています。


インクライン特有のクソ幅広レール。


琵琶湖疏水が開通した1890(明治23)年にはすでに東海道本線大津~京都間が1880(明治13)年に開通していましたが、そこから東の大津~長浜間は未だ建設されておらず琵琶湖を介した水運が主流でした。なので京都~大津以東の物流では琵琶湖疏水を経由した水運がブイブイ言わせてたと思います。調べてないからしらんけど。


インクラインの軌道は歩くことができますよ。






ここがインクラインの下流側の船着き場ですね。奥に広がるのは南禅寺船溜。


南禅寺船溜。船に積んだ貨物の積み下ろしとか船頭の休憩所とかで使われた物流拠点です。琵琶湖疏水と鴨東運河の接続点でもあります。


ここから鴨東運河。


平安神宮へと続く神宮道のクソデカ鳥居。でかすぎでは・・・。バスがあんなに小さく見えるぞ。


いい感じのアパートメントだと思いました。


白川です。柳がいい感じだと。


同日18時38分
京都府京都市東山区 三条大橋
第46走者:京都市営地下鉄東西線太秦天神川行(50系)東山→三条京阪
降りた蹴上駅からひとつ隣の東山駅から再び東西線に乗り、ひとつ隣の三条京阪駅で下車。ちょっと三条大橋を見たら、ここらで夕飯とします。


京都に来たので、ここは餃子の王将とします。うまい。


第47走者:京都市営地下鉄東西線太秦天神川行(50系)三条京阪→烏丸御池
第48走者:京都市営地下鉄烏丸線竹田行(10系)烏丸御池→京都
最終走者:JR東海道新幹線「ひかり」482号東京行(N700系)京都19:59→静岡21:34
JR京都駅へ戻り、預けていた荷物を回収し、新幹線に乗って帰りました。
この時乗った「ひかり」は、静岡駅に降りた時に気づきましたが、初日に静岡から新宿へ行く時に乗ったのと同じ列車でした。丸6日ぶりに静岡駅へ戻ってきたのです。

というところで、2018年ゴールデンウィーク旅行は完結です。
今回は、初めて訪ねた地域は黒部立山アルペンルートくらいで、他は以前の旅行で行ったことのある地域ばかりでした。しかし、その中でもちょっとマイナーな地区へ足を踏み入れて、以前よりも少しはその土地を知ることのできた旅行だったのではと思います。

ではこれにて終了。
完。

博多→大阪 サイコロの旅5・落穂拾い編 最終夜

2021-09-04 21:55:34 | 旅行・イベント記
引き続きジーライオンミュージアムの続きです。
イギリス車・・・というかロールスロイス車がズラッと並んでいます。


ロールスロイスのなにかです。


これも分かりませぬ。もう調べるのを止めた。


これは1966年式ファントムVです。年式までわかったのは説明板が立っていたから。
ファントム軍団はロールスロイスの最上級モデルでフラッグシップなのです。


1975年式ファントムVI。ファントムVの正常進化版といったところ。
全体的に箱型のボディですけどフロントフェンダーやボンネット周りは昔ながらの形状で、やはり超高級車のデザインは超保守的だという印象。


またもやビュイック。なんでビュイックだけアメ車館に入れてもらえないんだろう。


たぶんクラクション鳴らす伝声管。蛇の形をしているのがおしゃれ。


ほぼ一人乗りでは。


ここはロールスロイス以外のイギリス車っぽいです。


フォード・モデルAロードスターです。これもアメ車館には入り切らなかったか。


オースチン・7。1920年代のイギリスの自動車市場を席巻して売れまくった乗用車です。


MG・MG TDだと思われ。はしご型フレームに2人乗りのボディを載せた安価なスポーツカーのT系列の4番目のモデルです。

これでイギリス車はおしまい。隣の倉庫へ移ります。


最後はドイツ車館、というかほぼBMW車館。ここにあるBMW車は、故・土居君雄氏が個人的に蒐集したいわゆる土居コレクションの一部です。氏が他界した後、コレクションは堺市に寄贈されたんだそうな。
これは1955年式イセッタ250。自動車というより三輪スクーターに密閉型ボディを乗せたようなものです。乗降用ドアが正面についているっていうまともな発想じゃねーなという車。
BMWはイタリア・イソ社のイセッタをライセンス生産して販売していました。本家イソよりも多く生産したので、どっちが本家なのかわからない状態になってるらしいです。
250型は、エンジンにBMWのバイク用のR25型を搭載した改良型です。


1938年式328ウェンドラー。328のシャーシにウェンドラーというコーチビルダーがボディを装荷したモデル。BMWの戦前最高峰といわれるんだそうな。


1938年式328ロードスター。328のスポーツモデルです。2000cc車としては当時破格の80ps、全輪独立懸架、油圧ブレーキなど最高の技術を満載していました。


ご存知腎臓グリルです。捉えようではこの時期の車のほうがよっぽどクソデカですけど、この頃の自動車のグリルはどれも縦長なので別に違和感があるわけじゃないんですよね。これを現代の形状の自動車にオマージュとして取り入れようとしても似合わんじゃろ・・・というんが感想です。


1938年式327/328カブリオレ。
327のボディに328のエンジンを乗せたモデル。さすがコレクター、複数台持ちは普通ですか。


1958年式507ロードスター。特に書くことなし・・・。


1935年式315/1ロードスター。エンジンに改良を加えたモデルで、自動車レースで優勝するなどしてBMWの宣伝に一役買っていたとか。


これはどう見てもフォルクスワーゲンのビートルですけども。なんだか窓からドアからボンネットから、謎の茶色のパネルで覆われていて、どういう車なんじゃと思いました。中身はがらんどう?


1960年式502アウテンリート(左)、1956年式503カブリオレ(右)。
これで博物館の見学は終了です。他の自動車博物館とは毛色の違う揃え方で、興味深かったです。初めて見た車種がほとんどでした。というか自動車博物館って所有者の嗜好によって揃え方が変わってくるものですね。この辺は、種類がある程度限定される鉄道や航空系の博物館とは違う面を持っていて面白いところです。


最後に屋外に停めてあった車を見てみましょうか。
これはスバル・360です。てんとう虫とか和製ビートルとか言われているあれです。


クライスラー・ニューヨーカーです。1949年生産開始の3代目のモデルです。たぶん1949年式?


クライスラー・300です。高級セダンですね。クソ重そうな見た目をしてます。


で、これは全長を延ばされたストレッチリムジンなのでした。ホイールベース長すぎでダックスフントってかんじ。こんなホイールベース、運転するの難しいでしょ・・・。


パッカード・ワントゥウェンティ。1939~1941年に生産された2代目のモデルです。


マスコットはこんな感じ。羽のところはガラスを使っているのかな?おしゃれですね。

というところでジーライオンミュージアムはおしまい。今回のサイコロの旅5にまつわる一連の話もこれでおしまいです。
では。

北陸project ~Hokuriku Master Side M. その32【2018/4/28~5/3】

2021-08-31 06:39:28 | 旅行・イベント記
2018年5月3日(木・祝)16時14分
滋賀県大津市 比叡山鉄道ケーブル延暦寺駅
鉄軌道と索道で往く比叡山越えも次で最後、比叡山鉄道の山頂駅、ケーブル延暦寺駅に着きました。
最寄りのバス停の無動寺からケーブル延暦寺駅までは少し離れていて徒歩連絡しないといけないですが、未舗装の山道を歩かされてどういうこっちゃと思いました。たぶん本来の経路ではないんじゃなかろうかと思います。
山道を少し下ってたどり着いたのがこの駅舎。なんでこんな黄ばんでいるんだろうと思いました。そういう石材を使っている?経年劣化?よく分かりませんでしたが、建物の作りからしても相当に古い建築物だろうとは想像がつきました。たぶん地元産の石材を使っているんだと思います。
実際、この駅舎は1927(昭和2)年に比叡山鉄道が開業した時から使われているものです。


もう滋賀県側に入っているので、山から見える麓の景色も滋賀県です。琵琶湖が見えますな。
天気は山頂を境に曇り空になってしまいました。


切符を買ってケーブルカーに乗り込みます。駅舎の待合室は山を降りる人達で大混雑でした。


第41走者:比叡山鉄道ケーブル坂本行(1号)ケーブル延暦寺16:30→ケーブル坂本16:41
比叡山鉄道というより坂本ケーブルの方が名前の通りが良いケーブルカーに乗ります。


前方の麓側のかぶりつきを確保できました。坂本ケーブルは、距離が2.0kmあって日本最長のケーブルカーです。標高差は484mで、所要時間は11分。長い時間ケーブルカーを楽しめそうです。


距離が長いからなのかケーブルカーにしては珍しく途中駅があります。もたて山駅です。


谷を橋で渡っていきます。
ところで車両には確かにパンタグラフが付いていましたが、実際走ってみると架空線はどこにも見当たりません。最近になって撤去されて非電化されたのかもしれないです。ケーブルカーの車両自体には動力が付いていないので非電化でも問題ないですが、車内照明等のサービス電源はどこからやって来るのやら。


数日前に乗った立山ケーブルでもそうでしたが、ケーブルカーで曲線があるのいいですよね。ケーブルカーは離合部を除いて直線だけであるという先入観があったので、意外性が強いです。ケーブルがよく外れないなと思います。
なお線路脇をよく見ると、昔は建ってたと思われる架線柱の土台が残っています。


隧道もあります!すごいな坂本ケーブル、いち路線の中に要素を詰め込んできてますね!とても楽しい!



しかも結構長いし途中でカーブしている。


隧道を抜けるとようやく中間地点の離合部に到達しました。


ここらへんはまあ普通なのかな。


ここの架線柱の土台は柱が根本でぶった切られていますね。


2本目の短い隧道を抜けるとほうらい丘駅を通過。


そして麓のケーブル坂本駅へ進入。


前面展望が楽しいケーブルカーでした!登る時もかぶりつきたいものです。


ケーブル坂本駅も開業以来の駅舎を使っています。間取りや柱なんかは当時物でしょう。戦前昭和っぽい雰囲気です。


駅舎はケーブル延暦寺駅と似たような外観ですが、外壁は吹付のようなもので、色も違うんで印象は結構変わりますね。


ケーブル坂本駅からは京阪電車の石山坂本線に乗り換えます。ただし両者の駅は900mくらい離れています。歩いていけない距離ではないですが、路線バスが接続しているのでこれに乗ります。日が傾く前にもうひと撮影したいですからね。


第42走者:江若バス41系統比叡山坂本駅行(日野レインボーRJ)ケーブル坂本駅16:50→坂本比叡山口駅16:53
江若バスの路線バスに乗って京阪電車の駅まで乗ります。ケーブルカーの乗客はだいたいこれに乗り継ぐので、ケーブルカーよりも小さいバスの車内は満員でした。


第43走者:京阪電鉄石山坂本線石山寺行(600形)坂本比叡山口17:02→三井寺17:15
個人的には京阪本線より馴染み深い石山坂本線に乗ります。
駅名がいつの間にか坂本比叡山口駅に改称していました。JRの比叡山坂本駅と紛らわしいような。



三井寺駅に着きました。こんなところに石山ともか。

というところで今日はここまで。次回やっと最終回。


最終回へ→

北陸project ~Hokuriku Master Side M. その31【2018/4/28~5/3】

2021-08-26 22:55:14 | 旅行・イベント記
2018年5月3日(木・祝)15時1分
京都府京都市左京区 叡山電鉄 八瀬比叡山口駅
叡山電鉄とはこれでおさらばです。
八瀬比叡山口駅の駅舎は1925(大正14)年に開業した頃から残っているものです。軒の屋根の下から出ているのこぎり型の飾り板やホーム上屋のトラス構造といい、2代目京都駅のホーム上屋のような雰囲気を感じます。同じ設計者なのかもしれません。


高野川を渡ってケーブル八瀬駅へ。ここまで来ると緑豊かな感じ。


叡山ケーブルのケーブル八瀬駅です。京都滋賀の県境にある比叡山の京都側から登る経路です。
しかし八瀬比叡山口駅でぼやぼやしているうちに先発列車は行ってしまったみたいで、次の便を待つことにします。


ケーブル八瀬駅の改札口。内装はリフォームされていますけど、構造自体は1925(大正14)年から使い続けているそうな。
叡山ケーブルの運営はどこがやっているんだろう、というのは現地にいた時は分からなかったんですが、後で調べてみたらケーブルカーの上のロープウェイともども京福電鉄の経営だったんですな。嵐電以外にも路線を持っているのね。


ゴロゴロと音を立てながら山を下ってくるケーブルカーを撮影。ケ1というらしい。
パンタグラフが4つも付いてますけど、トロリーバスと同じで+と-の架線があるということかしら。鉄道だけど線路にはアースさせないのか?これに関してはネットを調べただけでは分からなかったので不明としておきます。


第38走者:京福電鉄叡山ケーブル(ケ1)ケーブル八瀬15:25→ケーブル比叡15:34
それでは比叡山を登ります。山頂駅との標高差は500m以上、最大勾配は530‰あります。


登っています。


中間のすれ違い設備。


ケ2とすれ違い。ちなみに、この白地に赤青帯の塗装は2021(令和3)年に新塗装に塗り替えられて消滅してしまいました。あれま・・・。
新塗装は叡電の観光列車「ひえい」のような緑と金の塗り分けです。統一感を出したんだね。


ケーブル比叡駅に着きました。


ケーブル比叡駅は山頂ではありません。ここからさらに叡山ロープウェー(ロープウェイではない)に乗り継いで降りたらようやく山頂です。


結構登ってきましたね。今いるところの標高は690mあるのだそうな。
奥に見える町並みは左京区岩倉ですね。


昔使っていたロープウェイに関する機械ですね。左から山頂駅で操作するノッチハンドル、手ブレーキ、あとは索道を動かす主電動機です。



第39走者:叡山ロープウェイ比叡山頂行(1号)ロープ比叡15:45→比叡山頂15:48
乗り継ぎ時間は10分なのでそそくさと乗り場へ行きます。ロープウェイですが乗り場は傾斜しているのか。


いい駅だ。色使いがレトロチック。


ロープウェイに乗る時は麓側を見たほうが面白い派です。


霧が出てきたけど・・・。


比叡山頂駅に着きました。標高は840mあります。


山腹に駅を建てているから乗り場も傾斜せざるを得ないということか?


いやぁ~ガスってますねぇ。標高840mにしてはちょっと涼しいし。


第40走者:京阪バス57系統京都駅前行(ふそう・エアロスター)比叡山頂16:05→無動寺16:13
はい、それでは、比叡山を降ります・・・。あれ、延暦寺は・・・?
実は、延暦寺は24時間立ち入れるわけではなく、確か15時か16時が最終入場時刻なのです。比叡山頂に着いた時点でどの道ムリなのでございます。
確かケーブル八瀬駅の切符売り場のおばちゃんにそんなことを言われたような気がします。内心ガビーンと気落ちしましたが、まあおもしろ交通機関を乗り継ぐのが主目的でしたので、延暦寺は再履修するということで。
ていうか延暦寺は中々に敷地が広いらしいのでこんな時間に行ってもどうせろくに回れなかったと思います。


山道を大型バスで走るのはダイナミックで良いんですが、酔いやすいので乗車中は油断ならないんですよ。


バスに乗り続けていれば寝ているうちに京都駅まで連れて行ってくれますが、それはせずに途中の無動寺バス停で下車します。ここから比叡山坂本ケーブルカーに乗り換えます。

というところで今日はここまで。

博多→大阪 サイコロの旅5・落穂拾い編 第6夜

2021-08-21 22:36:29 | 旅行・イベント記
前回に続いてジーライオンミュージアム収蔵のアメ車を見ていきます。


前回紹介したハドソン・7パッセンジャーとスチュードベーカー・コマンダー8コマンダーのグリルには、これ見よがしに「8」の数字がグリルに意匠としてあります。8気筒車はステータスだった時代だったのかもしれないです。


これも前回書いたスチュードベーカー・アースキンモデル50、フォード・モデルAA、フォード・モデルTT。


フォード・モデルAのロードスターだと思います。こういうロードスターはよくホットロッドのベース車に使われていたので、原型を維持している車両は実は貴重なのだ。まあこれが原型なのかホットロッドから復元したのか、見ただけでは判別できませんが。
ちなみにモデルTのロードスターやV8を搭載したモデル18のロードスターも同じような目に遭っているので、もはや宿命なんですかね。


1941(昭和26)年式キャデラック・モデル61です。御存知高級車メーカーのキャデラックです。キャディがお好き?結構。ではますm(ry


1941年にもなると流線型ブームは大衆に受け入れられて、キャデラックでもそれを採用していますね。今見てもオラついてるなぁっていう顔つきです。


はい、これすき。フォード・デラックスです。たぶん1939(昭和14)年式。
1930年代後半から流線型の概念が自動車のデザインにも取り入れられたんですが、その黎明期に登場したこのフォード・デラックスやリンカーン・ゼファーはドンピシャどストライクで好きな自動車です。
フェンダーの張り出た従来のボディから現代の箱型へ移行する過渡期なのもあり、従来型ボディとしてはかなり洗練されてきているのも魅力です。


バッジがおされ。


フォードとキャデラック。


ビュイック・エイト。1942(昭和17)年登場の2代目で、4ドアセダンですかね。
1942年登場ながら、当時は戦争真っ最中でしたので統制が入り同年に生産中止。戦後の1946年から生産を再開しました。この個体も戦後型じゃないかな?


1938(昭和13)年式ハドソン。流線型が勃興した時期ですが、準流線型とでも言うべきやや保守的なボディで登場しました。ただ縦長ヘッドライトはハドソンのトレードマークだったらしく、これにも採用されています。


1938(昭和13)年式パッカード・モデル120。リンカーン、キャデラックと並ぶアメ車高級車メーカーの一角。今は消滅してしまったけど...。
ホイールベース120inch (3,048mm)なのが車名の由来だとかで。


アメ車館は以上。やはり楽しいところですなぁ。ハドソンとかスチュードベーカーとかは正直知らんかったので、新しい発見もありました。


次はイギリス車館です。イギリス車もブリティッシュ・レイランドが出てくるまではなんだか楽しそうな車ばかり作っていましたな、というのがなんとなくな印象です。ただここに収蔵されているのはだいたいロールスロイスなんですが。


トライアンフ・タイガー100。二輪はさっぱりなんだ・・・。


ロールスロイスのなにかです。


1961(昭和36)年式ビュイック・ル・セイバーです。これは1961~1964年に生産されていた2代目の2ドアコンバーチブルです。


この頃の車の内装、赤一色や青一色みたいな目が疲れそうなものが多いです。


1910(明治43)年式のビュイック・10サレー。またT型フォードかと思いきや、グリルの切り抜き文字がビュイックなのでした。
製造当時から白の塗装が純正であったみたいです。当時に白い車というのはあんまり聞いたことがなくて、たぶん珍しかったんじゃないですかね。


古式ゆかしい車で良いなと思いました。

というところで今日はここまで。

最終夜へ→

博多→大阪 サイコロの旅5・落穂拾い編 第5夜

2021-08-16 18:42:00 | 旅行・イベント記
ジーライオンミュージアム本館の続きです。前回も書きましたけど、元々小さめの倉庫が何棟かあるところを再活用した施設なので、館内も複数の倉庫があります。倉庫ごとにその自動車の生産国が分かれていて、最初の倉庫は自動車黎明期と日本車です。


マツダ・コスモスポーツです。1967(昭和42)年登場。世界で初めて、多気筒で実用的で量産されたロータリーエンジンを搭載した自動車です。なおこういう妙な肩書の時はたいてい先駆者がいるので注意。本当の意味で世界初はNSUヴァンケルというドイツのメーカーのヴァンケルスパイダーという車です。なお課題山積だった模様。


コスモスポーツについては、なんだかウルトラマンやエヴァンゲリオンでその姿を見ることができるらしいよ、というくらいのことしか知らないので多くは語れません。
ただ実物を見るのは初めてですね。


クーペなんですね、というかんじ。


マツダ・ルーチェ(初代SUA/SUAV/SVA型)です。1966(昭和41)年登場の4ドアセダンです。実物見るまで存在を知りませんでした。


フェラーリ・ディーノ。1967(昭和42)年登場のミッドシップ2人乗りスポーツカーです。フェラーリ、他に適した置き場所がなかったのかしら。
ディーノには206型と246型の2種類があるみたいなんですけど、どっちかは分かりませぬ。日本へ輸入されたのは246型の方が多いので、確率的には246型だと思いますが・・・。


1968(昭和43)年式のアルピーヌ・A110です。アルピーヌはフランスのメーカーで、今はルノーの傘下です。当時にしては顔立ちが濃いかなあという気がします。まあこれも全く知りません。


御存知、1969年式トヨタ・2000GTです。1967(昭和43)年登場したトヨタとヤマハが共同開発したスポーツカーです。当時の高級車のアイコンみたいなポジションにいますよね。
どうやらこれは2台共後期型のようです。フォグランプが小さくなっているのが見分けるポイントだとかで。


こちらも御存知、日産・スカイラインGT-R(KPGC系)です。1969(昭和44)年登場のいわゆるハコスカですね。極稀に道端で見かけることもあったと思いますが、まじまじと見るのは初めてでしょうねえ。
グリルのバッジと拡大されたリアフェンダーがGT-Rであることを主張していますけども、ぱっと見は不通のハードトップクーペなのだろうというおとなしい外観からのギャップ萌えがミソなのかもしれないです。


プリンス・スカイラインスポーツです。1962(昭和37)年登場した日本初のスペシャリティカーと言われとるやつです。
値段が高いのとスペシャリティカー文化が日本ではまだ浅かったので、たったの60台くらいしか生産されなかったらしいです。



まあなんと言ってもこの顔つきでありますが・・・。ツリ目ヘッドライトにクソデカグリルというのは斬新でありましたでしょう。後のグラチャン族の車にこういうツリ目ヘッドライトがありましたけど、元ネタになっているのかしら。というか今に続くオラオラ顔の元祖か?


隣の倉庫に移って、次はアメリカ車館です。日本車は1960年代以降の車種ばかりでしたが、アメ車だとさすが1910年代からの車両が展示されています。


フォード・モデルTTです。1917(大正6)年登場のトラックです。例のT型フォードの貨物版です。
モデルTのシャーシを元に、骨格強化、ホイールベース延長、ギヤ比変更、リアサス強化などのトラックとして使うための設計変更がされています。
荷台の種類は色々あるようですが、この個体は木枠の柵を付けたステークベッドという種類ですね。


1927(昭和2)年登場のフォード・モデルA。モデルTの次に登場したやつですな。


1928(昭和3)年式のスチュードベーカー・アースキンモデル50。
ヨーロッパ向けの小型車として売り出しましたが、あんま売れなかったようです。

ダッジ・1931年式クーペ。


シボレーのクーペだと思いますけど、手がかりが少ないのでなんとも言えませぬ。


1932(昭和7)年式ハドソン・エイト。縦長のヘッドライトが個性を出している感じ。


1947(昭和22)年式インディアン・チーフ1200。すまねえ二輪はさっぱりなんだ。


1923(大正11)年式ハドソン・7パッセンジャー。7人乗りということでこの頃にしては大きめの車体してます。エンジンは水冷直8で、8気筒の大排気量エンジンを搭載しているのがハドソンの強みの時代もありました。


1929(昭和4)年式スチュードベーカー・コマンダー8。コマンダーは元々6直エンジン車でしたが、1929年から加わったのが8気筒エンジン車でした。

というところで今日はここまで。

第6夜へ→

北陸project ~Hokuriku Master Side M. その30【2018/4/28~5/3】

2021-08-08 19:56:49 | 旅行・イベント記
2018年5月3日(木・祝)13時18分
京都府京都市左京区 叡山電鉄鞍馬駅
第35走者:叡山電鉄鞍馬線「きらら」出町柳行(900系)鞍馬13:19→修学院13:43
鞍馬山を降ります。帰りの電車も「きらら」でした。


発車直前でもう座れんかったので立って前面展望を楽しみます。鞍馬線もなかなかエグい勾配を進んでいきますね。このあたりの区間は土砂崩れでよく不通になるんだそうです。全線乗れるとは良い時期に来たのかも知れないです。


800系と列車交換。800系はいかにも中小電鉄的な電車です。


八幡前駅のHATO EKICHO。じわじわくる。


ゆるキャンスタンプラリーの最後のスタンプを回収すべく修学院駅で下車。
700系が停まっていたのでついでに撮影。


修学院駅には叡電の車庫があって、そこの事務所内にスタンプが置かれています。これでできた。
あとは出町柳駅で景品と引き換えてもらいます。


第36走者:叡山電鉄叡山本線出町柳行(700系)修学院13:51→出町柳13:58
次の電車で出町柳駅へ戻ります。既に14時前でちょっと時間推してるので、聖地巡礼は省略です。


さっきも見たゆるキャン装飾をした700系がまだ停まっていたので、未撮影だった八瀬比叡山口寄りの先頭をば。


ヘッドマークです。絵柄は特に見新しいところなし。


あきちゃん。


昼飯は駅前のロッテリアで。地元だと食べる機会がないしな。
あと景品は入手できました。缶バッジでしたね。


同日14時23分
京都府京都市左京区 叡山電鉄出町柳駅
そいでは今度は比叡山に登るべく再び叡山電鉄へ。


!?
なんだあれは...。


わぁー、やっぱすごいなあの輪っか。


これが叡電の誇る最新鋭観光列車700系「ひえい」である!
経年の増えてきた700系の延命工事ついでに車体を改造して観光列車に仕立てたものです。
前面に楕円の円環体をくっつけた鉄道車両の常識を外れた外装が「なんじゃこりゃ」と感じさせます。よく見ると700系独特のくさび形の前面形状がわかるんですけど、ぱっと見は円環がまず目に入ってきてしまうので分からんですね。


第37走者:叡山電鉄本線八瀬比叡山口行「ひえい」(700系)出町柳14:37→八瀬比叡山口14:51
駅に着くと誰もが写真を撮ります。そらそうよ。
これに乗ります。別に興味なかったんですが、たまたま乗れてしまいました。ラッキー。



乗り込みます。意外にも混んでいませんでした。観光列車としては珍しいロングシートです。種車が元々ロングシートだったというのもありますけども。
とにかく楕円がこの車の設計概念なのだ、というのが感じられるくらいに社内も楕円が目に入ります。側窓は楕円だらけだし座席の手すりも楕円です。つり革の持ち手も楕円にしてくれれば。


終点についてみんな降りた後に車内を一瞬撮影。座席の幅はたぶん標準的な通勤電車よりも若干広い印象でした。
側窓の間には枕が付いているハイバックシートです。これは人間の頭を窓から外すことで車窓を遮られないための工夫だと思われ。


たった15分足らず、片道だけの乗車じゃ短すぎる気がしました。また乗ってみたいところです。
八瀬比叡山口の駅ホームは開放感あって良いですね。高くて広い屋根はなんだかヨーロッパ的です。


出町柳行で折り返していった「ひえい」を後追いで撮影。さよーならー。

というところで今日はここまで。次回は比叡山に挑みます。


その31へ→

北陸project ~Hokuriku Master Side M. その29【2018/4/28~5/3】

2021-08-03 23:18:41 | 旅行・イベント記
2018年5月3日(木・祝)12時3分
京都府京都市左京区 叡山電鉄鞍馬駅
叡電鞍馬線の終点、鞍馬駅に着きました。終点に着く手前の貴船口駅にはどえらい数の乗客が山を下る列車を待っていましたが、あれと一緒になるのはゴメンだと思いました。


鞍馬駅でゆるキャンスタンプラリーの2つ目を手に入れいました。駅には志摩リンのポップがありました。


駅の待合室は古風にまとめられています。


駅の外に出ると、電車の生首がいます。これは京都電燈デナ21形です。京都電燈というのは、叡山電鉄の前身の会社です。
1928(昭和3)年製造の電車で、鞍馬線開業用に製造されました。なお就役は翌年8月です。1994(平成6)年まで実に65年間活躍した後、前頭部カットモデルのだるまとしてここに保存されています。
デナという型式ですが、デは電動車というのは想像つくもののナが分かりませんでした。鉄道省の客車の重量区分なのかと思いましたけども、調べると車体の大きさなんだそうな。ナというのは中型車(ナカガタ)という意味です。


たぶんデナ21形の車輪です。


駅前名物天狗のお面。大層ご立派なお鼻だこと。



鞍馬寺の門前駅なわけで駅前から伸びるのは門前町とでも言うべきなんでしょうが、ちょっと短いかな。


そういうわけで鞍馬寺へ。勝山の某寺と違ってこっちは盛況です。
これは山門です。

鞍馬寺についてはあまり書けることがないので流していく感じで。


普明殿という建物。休憩所ですかね。


鞍馬寺参拝とはこれすなわちちょっとした登山なので登りはしんどいのですが、ケーブルカーが敷かれているのでズルすることが可能。もちろん拝観料に加えて乗車賃も掛かるわけですが、体力と時間を温存できるならアリです。
乗った搬器は牛若號IVでした。IからIIIもいたんですかね。



山頂駅に着きました。混んでいたので車窓を見る余裕なしでした。搬器はまあ何の変哲もありませんでした。


とはいえ、まだまだ登るんですけどね。


結構登らされました。


道中色々すっ飛ばして登ってきたような気がしますが本殿に着きました。やれやれ。


本坊(金剛寿命院)という建物。要はお寺の事務所。


奥の院参道をまた登りますか・・・。ここでワイ選手、引き返すことに。本殿見たしいいでしょ、うん。


今度は下っていく模様。石垣の擁壁はなんだか年代物っぽいです。


中門です。帰りはケーブルカーには乗らないで歩いて鞍馬駅まで戻ります。


山内にある由岐神社 。


屋根にびっしりコケ生えているけど、屋根張り替えないんですかねぇ?という気持ちで撮っていたと思われ。


山中にある神社の場合、あんまり朱色を全面に出していない神社のほうが落ち着きあるので好きかも。


門前町へ戻ってきました。ぐへぇ。

というところで今日はここまで。


その30へ→

博多→大阪 サイコロの旅5・落穂拾い編 第4夜

2021-07-18 19:06:26 | 旅行・イベント記
2020年11月3日(火・祝)12時52分
大阪府大阪市港区 ジーライオンミュージアム

[Ex編最終夜はこちら]
サイコロの旅に勝って晴れて自由の身を手にした後に行ったのが「ジーライオンミュージアム」というビンテージカー、クラシックカーのショールームです。
ここにはどうやらアメ車がたくさんあるらしい、ということで以前より目をつけていたところでした。大阪市内で丸一日暇になってしまった今ころ行く機会です。
本編では尺が長くなると中の様子をほとんどカットしましたが、落穂拾い編ではもうちょい尺を取って見ていきましょうかね。というか毎度おなじみ、尺が長すぎ黒鉄重工の博物館見学記です。


一番初めに目に入ったのがまずこれですからね。
本編でもちらっと書きましたが、シボレー・ベルエアーの初代(たぶん1954年式)です。50年代アメ車代表のひとつですな。とてもイカした車だと思います。


後輪は全て覆いが被せられていて、全体的に張り出したフェンダーや控えめながらテールフィンとの一体感がよく主張されています。


この頃のアメ車は座席からダッシュボードからみんなボディと同じ色に設定されていますよね。特に赤なんかだと目が疲れそうなものです。


シボレー・フリートライン(たぶん1949年式)です。2ドアセダンでスポーツっぽい車です。


後ろはファストバックスタイルでぬるんとしたボディ形状が良い。ファストバックはえっちだなあ。


GMC・サバンナ(初代;1996~2002年)。大型の商用バンで、シボレー・エクスプレスの兄弟車です。1990年代のアストロブームの時に一緒に輸入されたのかな?


オークランド・シックス・モデル212オールアメリカン・4ドアセダン(たぶん1929年式)
オークランドという自動車会社が1907年に創業されにけり。1909年にGMの傘下に入っています。この頃のGMにはまだシボレーブランドは無かったので、オークランドはGMのエントリーブランドの地位に置かれました。シボレーがGMに加わると、オークランドはシボレーとオールズモビルの中間のブランドになりましたが、オークランドのサブブランドとして1925年に立ち上げたビュイックが人気でオークランドを追い抜いていったので、1931年にオークランドは廃止されました。


シックスは1913~1929年まで生産されていた乗用車で、車名は6気筒エンジンに由来します。
1928年にホイールベースを117inchに拡大したモデル212オールアメリカンというモデルだと思います。たぶん。


密閉式のセダンボディですな。丸いバックウィンドウがおしゃれか。


ロールスロイス・ファントムVI。たぶん。クソ重そう。



倉庫を改装した本館の中へ入ります。本館は小さな倉庫が数棟あるような感じで、倉庫の棟ごとに展示している車の国も違うという展示をしています。入館して最初の棟は、自動車黎明期と日本車の展示です。


まずは自動車の生まれる前、自動車の起源からということで馬車から。馬車はもちろんのことお馬さんの模型もあるのでわかりやすいです。


馬と馬車の連結もいろいろな工夫が積み上がっているんだろうなぁと思いますが見ただけでは分からず。そもそも本邦、馬車文化があまり無いですしね。


こちらが馬車。フランスのトゥールーズのコーチビルダーでだいたい150年前に造られた個体で、南仏ラングドック地方で使われていたそうな。


自動車にしろ鉄道の客車にしろ、馬車で培われた技術が土台としてあるので、これを持っていたヨーロッパ人はそれらの開発においてそりゃ強いよなっていう。


板バネとか使っていますし、後の自動車と大差ない足回りではないでしょうかね。


ブレーキも付いているんですなぁ。


馬車の技術を使ったイギリスの乳母車。足回りが馬車に似ているみたい。


車輪そんなに大きくしないとだめなのかしら。


バネの形状が凝っていますな。籠の形状に溶け込むような形になっているのが良いです。


なるほどな~(よく分かっていない)


謎自動車。たぶん電気自動車だと思います。電気自動車は簡単に起動や運転ができるとして女性からの支持があったと言われています。


自走式馬車みたいな車体なのが興味深いです。馬がいない分、衝突安全性は皆無なんですが、そういう思想は当時はなかったでしょうし。運転するにしてもちょっとした冒険だったのでは。
・・・とここまで書いておいて、実はただの馬車かも知れない・・・と予防線を張っておきます。


御存知フォード・モデルT(1923年式)。
1923年はモデルTの絶頂期で、年間生産台数が史上最高の2,055,300台を記録しました。以降は衰退期に入ります。
約20年間モデルチェンジしないまま売れ続けたと言われていますが、マイナーチェンジ相当の改良はしばしば行われていて、初期型と末期型では結構印象違います。ボンネットなんかはわかりやすいですかね。
ボディは、2人乗りオープンカーのラナバウト仕様。色々なボディ種類の中で一番安い仕様です。

というところで今日はここまで。どうもこの調子じゃ長くなりそうだなぁ。


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